山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

浅間山荘事件

2006-06-13 20:41:31 | 未分類過去
昨日の夜はサッカーを見ないで、“突入せよ!「浅間山荘」事件”を見ていた。
コマーシャルの合間にサッカーを出して見たら、ちょうどそのとき日本が1点入れた。
私はもともと、世の中の人ほどサッカーには関心がないが、一応成り行きをしらないと世間の会話についていけないので、気にはしていた。オーストラリアはさほど強くないと聞いていたので、前半1点入れたら、後半もきっと大丈夫だろうと思った。しかし、浅間山荘が終わったあとサッカーを見ないでパソコンで遊んでいると、サッカーを見ていた娘が残念がる声が続けざまに聞こえ、負けたことを知らされた。
それでも、世の中の人のように残念で元気がなくなるなんてことはなく、私にとってはどうでもいい話である。

私の関心は「浅間山荘」のほうが強い。これは私が小学校の6年生のときのことだったと思うのだが、当時はいったい何が起こっているのかまるでわからなかった。悪い人間が数人山荘に立てこもり、そのまま何日も進展せず、ついに鉄の玉で建物を壊し、水を掛けたりして、機動隊が攻め寄せて、なんとか終結したということしかわからなかった。

その後、この映画が作られたころも、そんな美しくも楽しくもない映画には何の関心も持てなかったのだ。夫は映画が制作された当時(2002年頃)に見ていたようである。

昨日はテレビを見ている最中に予備校の勧誘電話などがかかってきて、中断させられたりしたため、集中してみることもできず、実は今でも、何だかよくわからない。

とにかく、立てこもっていた犯人たちは「赤軍派」というおそろしく凶暴な人間集団だったことはわかった。テロ集団ということだろう。
そして、そのような人間に対抗するすべを持たない日本の警察の情けない姿や内輪もめなどが、なんともやりきれないザマだったが、それでも何とか最終的には人質を救い、犯人を捕まえることができた。この事件で殉職してしまった人などもいて、こんな害虫のような人間のために尊い命があっけなく奪われてしまったことが残念だ。

それにしても、必死になって戦っているにも関わらず、この映画にはどこか冷めたようなおどけたような妙な視点を感じ、真剣なのか皮肉なのかよくわからない印象が残っている。

何年もたって客観的な視点からこの事件のあらましを見ると、そのような作品が作られるのであろうか。

最初から最後まで通してしっかり見ることができなかったから、自分がそのように感じたのかもしれないとも思う。

とにかく、過ぎ去った時代の事件であり、このようなことは今現在は起こりそうもないようにも感じるが、だからこそ、現在の危機管理は大丈夫なのか、いざ予期しない事件が起きた時に賢く俊敏に対処できるのか、昔以上に平和ボケになっていて、このような事件に対応しうる経験者などもいないのではないだろうかと思った。

この後の時代に起きたおそろしい事件といえば、オウム真理教のサリン事件であろう。
似たような狂気を感じる。集団の犯罪ほどおそろしいものはない。
コメント (2)

面接授業

2006-06-12 20:41:37 | 放送大学
今通っている放送大学の面接授業は、とても質の高い授業だと思い、大変ありがたく感じている。私が40年以上生きて受けたきた様々な授業の中でも、もっとも完成度が高いもので、こんなにわかりやすくしっかり準備された授業をしてくれる先生はめったにいるものではない。
ところが、周りを見渡すところ、受講生が10人程度しかいない。
定員は30人くらいであるはずだ。ほんとうにもったいないと思う。

放送大学では、「共修生」という聴講生を募集しているようである。普通、放送大学の学生の受講料は5000円だが、共修生は7000円だそうだ。135分授業5回分だから安いものだ。
私が受けているこの受講生の少ない講義も共修生募集の対象になっているようだが、まだまだ充分に空席が残っている状態だ。

こんないい授業がどうしてこんなに空いているのか、とても残念なことである。また、これで採算があうのかなあと心配にもなってくる。

そういえば、私が面接授業を受け始めたのは去年からであるが、放送大学に入ってから3年もたってからだった。それまで何で申し込まなかったかというと、受講生を選ぶにあたって優先順位があり、既習得単位が93単位以上の人が最も優先されるとか、様々な要件が書かれていたからである。それを見ると、放送授業でたくさん単位をとっていて、かつ面接授業をとっていないものが最優先されるということであるから、それに該当しなければ落とされる可能性が高いだろうという印象を受けるのだった。そして、そのことから、まずは放送授業を取るのが望ましく、それが終わりに近づいたら初めて面接授業をとるものだというように思い込んでいたのだった。

しかし、今のようにがらがらの教室を見ると、放送授業で93単位なんか取っていなくても十分受講できるはずである。
そして、私自身の経験上、放送を聴いて自分で勉強するよりも面接授業のほうがずっとわかりやすいといえる。だから、もっと早くから申し込めばよかったのだ。

そんなわけですから、申し込んでもきっと落ちるだろうなどとは思わず、どんどん申し込みましょう。
コメント

落花生

2006-06-10 11:16:22 | 植物・花・木
6月1日に撒いた落花生はまだ芽がでてきません。
他の方のブログで、4日に撒いたピーナッツが8日にひとつ芽を出したということなので、うちのはずいぶん遅れているようです。
いつも球根ばかり植えているので、その癖で深く埋めすぎたかなと不安になり、さっきおそるおそる上の土をどけてみました。すると、なんとなく一回り大きくなったような落花生があって、実の割れ目の隙間が広がっていました。
明らかに変化はしているようですが、まだ芽らしきものは発生していませんでした。
単にふやけて割れただけなのかなと不安に思い、さらにおそるおそる実の下の方を観察してみると、太い根が下に向って伸びているようです。やっぱり生きていましたよ。
きっと、もうすぐ地上に芽を出すでしょう。
この実はもともとタネ用ではなく、母が食べるために親戚からもらったものを一部ナマのまま冷凍してあり、その中から身の大きそうなものを選んで持ってきたので、ちゃんと芽が出るかどうか疑心暗鬼でした。
ほんとうは5月のほうが暑い日が多かったようですから、もっと早く撒けばよかったです。6月1日に撒いた時に水をかけたものの、後は雨が降るだろうとそのまま放置していたら、その後数日間は雨も降らなかったようだし、あまり暑い日もなかったようなので、成長に適さない環境だったのでしょう。
早く芽がでるといいなあ。

      
コメント

エレベータと学校選び

2006-06-10 00:56:28 | 未分類過去
この間、高校3年の娘と都内の専門学校を見学に行ったのですが、そのときに娘が気にしていた様子だったのが、エレベーターで移動するのか?ということでした。
そのときは、まだ、今回のシンドラーのエレベーターの事故が起こる前だったのですが、娘は7階建てくらいの建物の教室移動をもっぱらエレベーターですることに違和感をもったようなのです。その建物は各階に1つの教室というような縦長のものでした。

学校は何棟かに分かれていますが、どこもエレベーターで上下し、人間がぎゅうぎゅうづめで、建物内に階段らしきものが見えませんでした。案内される途中で1つの階だけを上下するときに階段を使う場面もあったのですが、それは人がやっと一人歩けるくらいの幅の外階段でした。私は日本語学校に勤めていたころから、そのような造りには慣れており、エレベーターで学生と一緒にぎゅうぎゅうづめになっていつも移動していたので何も感じませんでした。

しかし、娘は、考えてみれば、高校までエレベーターを使ったことはなく、広々とした階段を上り下りしているのでした。だから異様に感じたのでしょう。
娘に言われてみると確かに、いい気持ちのものではないなと思います。
専門学校の多くは狭い土地にビルを建てているので、そのようなつくりのところが多いのですね。もし、火事やなんかあったらどうやって逃げるのかと思うと、ちょっと恐いです。

さらに高校生の娘は徒歩か自転車通学しかしたことがなく、電車や地下鉄などに乗っていくのもいつもと違う神経を使ったようでした。そして、帰宅するとずいぶんと疲れ果てていました。体力はあるはずなんですが、人工的な乗り物と人の多さに神経をすり減らしたのでしょう。

この間、私は放送大学の文京学習センターに行ったのですが、ここは筑波大学の一部なので、広い広い階段のある、昔ながらの建物です。こんな感じだったら娘も疲れ果てたりしないんだろうな~と思いました。エレベータも必要ない階数です。

専門学校の勉強内容は悪くはないと思ったのですが、エレベーター移動専門のような造りの学校には、できれば行かせたくないなあと思いました。
コメント

エレベーターのメーカー

2006-06-10 00:00:07 | 未分類過去
シンドラーのエレベーターが危険なことで話題になっているので、どこに行ってもエレベーターのメーカーが気になって見てしまいます。
普段使っている場所のエレベーターは三菱や東芝が多いようです。それを見るとほっとします。
今日も健康診断に行ったビルでエレベーターの乗り降りが必要だったので、ついつい見てしまいましたが、シンドラーではなく安心しました。
そして、乗り降りするとき、足元を見て、段差なんか何にもないよなあと確認しました。

シンドラー社は世界で2位のシェアを誇っているようです。
「だからわが社の製品の性能は信用できる」というようなことを言っています。
世界で2位だから性能がいい?はあ?って感じです。
世界で2位でも日本では1パーセント。
日本のメーカーのエレベーターはそんな故障も事故もない。
止まったときに段差なんかできない。それが普通のエレベーターですよ。
ということは、世界の水準が低くて、日本の水準が高いってことじゃないのか?
数として世界で2位だということは、性能や安全性が保障できることの何の証明にも理由にもならないのではないでしょうか。

ところで、いろいろエレベーターを見ていたら、「弁慶」という名前のエレベーターを複数見ました。
ちなみにメーカーは「三菱」だったようです。
「弁慶」というのは力強そうな名前ですよね。
以前、ブルドーザーだかショベルカーだかで、やはり「弁慶」という名前が登録されていたように記憶しています。
力のある英雄的な存在は「弁慶」なんでしょうね。

話がそれましたが、
日本では公営住宅や公共施設の場合、入札で決めるからどうしても経費が安く済むものを採用することになるようです。
結局シンドラーはそういうところにしか入り込めないメーカーです。
普通の民間のビルでは日本の信用できるメーカーのものを使っているわけです。
安い会社が選択されるっていう落札方法も問題がありそうです。
コメント (2)

明日健康診断

2006-06-08 23:10:25 | 未分類過去
さっき、問診票に書き込もうとして改めて注意書きを読んでみたら、なんと、今夜は8時までしか食べ物を食べてはいけないのでした。そして、水分は少量の水ならばよいと書いてあるんですが、検査は明日の午後だというのにずいぶん厳重なんですね。夜食をたらふく食べておこうという計画は、はかなく消えてしまいました。

なんで前夜の夕飯の制限時間が午前も午後も同じなのかと思います。仕事などで8時までに夕飯が食べられないひとはどうするんでしょう。私は知らないで8時半頃まで夕飯を食べていましたが、まあ30分くらいなら大丈夫でしょう。

よく考えると、明日できるのは、血液検査とレントゲン関係です。しかもレントゲンは、肺と胃と乳がんのためのマンモグラフィというものとで、そんな一気に3つもレントゲンやって大丈夫なのかな?そのほかに血圧くらいは測るんでしょうけど、心電図も測ってもらえるのかな?

考えてみたら、生理中は、便潜血検査と子宮ガン健診に加えて、尿検査もだめでした。
実は尿検査も前回区の健診で受けた時に異常があり気になっていたので調べたかったのですが、残念です。

これだと、誕生日の月にもう一回区の健診を受けたほうが良さそうです。
そうなると、決められた日に中途半端に会社でやることになるよりも、自分の都合の良い時に医療機関に行って受けることのできる区の健診で全項目ちゃんと受けたほうが良いようです。
せっかく会社でやってくれるものですが、来年は希望するのはやめようと思います。
パートは保険がきかなくて会社が負担するとのことで、1人15000円近くするらしいです。
区でやれば会社も私もお金がかかりません。
今回は血液から判明する腫瘍マーカーで大腸がんがわかるものをオプション自己負担(2100円)で受けることにしました。様々な部位の癌に対してそれぞれ違うものなので、一種2000円~3000円するため、全部はうけられません。父方の叔父が2人、母方の叔母が2人大腸がんになっているし、私自身大腸ポリープの経験があるので、一番気になるものを調べることにしました。マンモグラフィも有料オプションで、5250円かかります。金かかる~。

できない検査が多いので早く終わればいいな。
終ったら、早く帰って、おいしいものを食べよう 
コメント

すべり込み

2006-06-08 18:22:32 | 放送大学
5時5分前くらいに郵便局に駆け込んで、「20世紀の中国文学」の通信課題を速達で出してきました。今日午前中からやれば遅くとも3時頃には終わるだろうとたかをくくっていたら大変なことになりました。

課題は、教科書の2つの課を選んで、その時代の中国文学の状況を1200字以内で書くのですが、それに際しては、作家または作品を1つずつ取り上げること、それについての自分の意見・感想を入れるのが望ましい、ひとつの課から2~3箇所を引用すること、(ただし引用部分は全部書く必要はなく最初と最後の数文字でよい)という条件がついています。

このような細かな条件がなければ、それなりに自由に書けるのですが、特に2~3箇所引用するとなると、どこを引用していいんだか?
そもそも教科書にある内容しか知識がないのだから、重要なところを省略した引用の形にしてしまったら意味がわからなくなるし、教科書の内容を自分の言い方で書きなおしたら、引用するところがなくなるし、なんだか頭が支離滅裂です。
「じゃあ、引用は作品のすじとか、実際にあった出来事のあらましの部分にするのがいいのだろうか?」などと、いろいろ迷い続けてしまいました。無理に何箇所も引用を入れようとするとそれだけ内容も膨らんでしまい、最初に書きたかった本筋とはそれてきてしまったりするのです。
2つの課で1200字ですから、1つの課では600字で、概況と、作家や作品の実例と、自分の感想、などを書くと、どうしても文字数が超過してしまいます。

こういうのって、きっと書き方のパターンがあるんだと思います。そのノウハウが私にはありません。お手本みたいなのがあったら読んで見たいものです。
先生の意図するものがどういうものなのか、わからないんですね。
ちゃんと放送を聴いていないからわからなのかな~。

4時半頃になり、もうあきらめるかと思ったのですが、もうばっさりと省けるところを切り捨てて無理やりまとめて、プリントアウトし、提出用の書類に貼り付けて、あせって学生番号などを書き込み、郵便局に走りこみました。
セーフです。締め切りの明日に、必ず届くそうです。

内容はめちゃくちゃですが、書いただけなんとか合格点をもらいたいです。

実は前回は1つの課の分だけ書いて挫折していました。そのとき書いたのはもう没にして、今回は新たに別の課を選んで書いていたので、最初からやり直しでした。前回もわけがわからず急いで書いたものですからろくなもんじゃありませでした。
しかし、いくらなんでも、2期続けてもう少しのところで挫折するというのはしゃくにさわります。最後の踏ん張りです。

とは言うものの、「日本語基礎」はあっさりと敬遠しました。これは次の期に回します。今、日本語教育に触れるのは私にとって精神衛生上よくないです。これはなんか精神病の一種だと思いますが、いやなものを我慢してやる義務はないのですから、これのことはもう考えません。一生やらないかもしれません。

とりあえず、今日は打ち上げだ
コメント

仕事の役割

2006-06-08 00:27:36 | 未分類過去
今日は、もともとは私が健康診断に行く日程になっていたのだが、もうひとりの別のグループで同じ内容の仕事をしているパートタイマーのKさんが休みの日なので、同種の仕事をする人間が皆無になることを避けて、健康診断は他の方と交替してもらい、私はいつもどおりの仕事をした。片方が休みのときはもう片方が補うようにしているからだ。

このことは、「悩める日程」(5月26日)に書いたが、パートごときがわざわざ日程を変えてもらってよかったのかなと後悔したりしていた。
私の担当している仕事はムラがあって、とても忙しいときと暇なときがあり、もし今日が暇だったら、最初の日程でよかったじゃないかということになるからだ。

また、パートが全体の状況をいちいち考える必要はないということと共に浮かんでくる考えは、パートはもともと自分の置かれた部署の仕事を自分がいるときだけ一所懸命やればよいのであって、そうしていれば、他人から、ある時は「山本さんがいてくれて助かる」と思われ、ある時は「山本さんがいなくて困った」などと思われ、かえって自分自身の存在価値も意識されるかもしれないと思ったりするわけである。

でも、今日は、ものすごく忙しかったので、「暇だから山本さんがいても意味はなかった」と思われることは避けられた。また逆に健康診断に行ってしまい、「誰もいなくて困った」という事態も避けられた。最低ひとりのパートが待機するということを優先したことで、全体の仕事がスムースに消化できたから、その判断は正しかったということでほっとした。

書類の校正は1件平均2時間くらいかかるので、1日3件くらいしかできない。今日は全4件(私分2件、Kさん分2件)の書類があり、30分残業して3件(私分2件、Kさん分1件)を消化した。さらに帰り際に1件(私分)が新に追加される様子だったので、明日はすでに2件の仕事が待っていて、さらに増えるかもしれない。

私は明日休みで、あさっては健康診断で1時間くらいしかいられない。いつも2人で分かれてやっている仕事を、明日とあさってはKさん1人にお願いすることになる。
でも、今日私がKさんの分までやったのと同じように、明日と明後日はKさんが私の分をやってくれるから安心だ。やはり、補いあってやっていくという考えで動くのが合理的である。

人に頼まないで自分が何もかもやるというのは無理なことだし、仕事というのは実際代理がきくものなのだ。だからそうできるものはそのように手配するのがいいだろう。

先日、社員さんが一人辞めて行かれたが、その人がいなくなったからと言って、会社は何も変わらず、ちゃんと誰か別の人が仕事を引き継ぎ、代わってやっているのである。そう思うと人の個の存在価値とは何なんだと思うが、仕事とはその人が役割を担うことが大切なのであって、それがその人個人そのものでなければならないということではない。同様の能力や手際があれば別の人でもいいのであり、極端なことを言えば、緊急事態の演劇の代役でさえ、偉大な本来の役者に代わって演じた代役がほぼ満足に役を果たせることも多いわけである。

例えば会社を辞めていく人間が、「最後にこの仕事だけはまとめておきたい、この仕事は自分にしかできない」などと思い、力を尽くしたとしても、その思い入れが会社に残っている人にどれだけ通じるものであろうかと思う。辞めていく人間の情熱は、残念ながらその当人固有のものである。
ある人がやめる前に最後の仕事として、ある仕事を全うしたいと思っていても、会社のほうでは今後も残って働く人にそれをゆだねるというのが普通の感覚であろう。

だから私は昔から「現役」じゃなければ意味がないと思うことが多く、「現役」こそがすばらしいと思っている。何でも「元」とか「OB」とかになってしまったらおしまいだと思っていた。もし、個人の固有の能力や個性が本当に価値のあるものであるなら、現役よりも「元~」というような人が尊重されるであろうが、大方は忘れられていくのであって、現役に勝るものはないと思う。

それで、毎日の仕事に対しては、「自分の情熱」よりも「役割を担い合う」ことが大切だと思うようになった。それは、あるときは「執着」せずに「任せる」ということでもあり、臨機応変に任せたり任されたりして仕事を効率的に消化していくことがいいことだろうと思う。
コメント

もうすぐ健康診断だが・・・

2006-06-07 00:22:15 | 未分類過去
せっかくパートタイマーも会社で健康診断が受けられるので、希望しました。
しかし、パートで受ける人の割合は、3分の1くらいです。
昨年バリウムで下痢になった人や、面倒くさいという人など、受けない人が多いようです。
私も申し込んでみたら、けっこう面倒なことだなと思ってしまいました。
区でやっている無料の健康診断なら家から近いし、自由に日程が選べますが、会社の健診は遠くて日程が決められています。
パートは平日に休みがあるので、その日に区の健康診断に行くことができるわけですから、その点は社員とは大きく違います。
会社負担も大きいでしょうから、会社が無理してパートのために健康診断を提供する必要性もないのかなと思います。

驚いたのは、健康診断が午後だったことでした。それで、その日の朝は8時以前に何もつけないトースト1枚だけは食べてもよく、水は11時前まで飲んでいいそうです。何もつけないトーストというのは食べたことがないのですが、あまりおいしくないでしょうね。
コーヒーでも飲めればまだいいですが、それもダメだし・・・。
そして、昼に健診センターに行くのですが、検査が終わるのが4時頃だそうです。
朝、8時前に何もつけないトーストを食べようとしても食欲なさそうだし、しかし夕方まで何も食べないでいられるかな~。
今まで、区の健診では、朝食べないで昼まで我慢するのも辛かったです。
しかたない、夜食でもたらふく食べて栄養を蓄えておくことにします。

今回、残念なのは、大腸がん検査の便潜血検査と子宮ガン検診もあるところ、ちょうど生理にぶつかって、受けることができないことです。日程が選べないということはこのような点、非常に不便ですね。
以前区の健康診断の便潜血検査で陽性になり、調べたところS状結腸にポリープがあって、内視鏡で切除したことがあるので、大腸がん検診はやりたかったです。子宮ガン検診ももう何年もやっていません。これらは、区の検診を待って申し込むしかありません。

そして、もうひとつの欠点は、パートは健診に行っている間は仕事ではないので、その分給料が減ってしまうことです。これなら、有給休暇のほうがましです。仕事時間が減ると収入が減ってしまいますからね。
区の健康診断は癌関係は普通の健診とは別に申し込まなければならないので、その点は面倒ですが、有給休暇をとってそっちに行ったほうが、結局はいいかもしれません。

今度の健康診断は、胃のレントゲンがあるということが区の普通の健診とちがうことです。それから、乳がん検診は自己負担で受けることができるので、それは受けるつもりです。
血液の腫瘍マーカー検査は高いので、考え中です。

年をとると、調べるところたくさんありますね。
コメント (7)

日本語ボランテイアの会

2006-06-06 00:09:59 | 未分類過去
以前活動をしていた日本語ボランテイアの会の方から電話をいただきました。
私はいま休会中になっているのですが、私のEメールアドレスを会のアドレスとして利用してよいかという話と最近の会の様子など知らせてくれました。
私のEメールアドレスは以前から会のものとして登録されているのですが、本当は実際に活動している人に連絡が行ったほうがいいでしょう。しかし、皆さん自分のアドレスを広報などに公開されるのは抵抗があるようです。
中には公開すると世界中からメールが殺到するなどと極端なことを恐れている人もいるようです。しかし、そんなことはありません。
確かにいろいろなボランテイア団体のメールアドレスはネット上にも公開されているとはいうものの、それを見て問い合わせてくる人などはたまにしかいないので了承しました。ただ、私は会の現況がわからないため、問い合わせが来たときはすぐに実際に活動している方に転送することになります。

ところで、会の状況なのですが、このごろの外国人の様子は、ちょっと以前とは変わってきているそうです。
ボランティアの日本語教室の場合、無料に近い金額で教えていることから、以前から無断欠席などの問題が多く、それを防ぐために、わざとボランティア教室にしては金額を高めに設定し、あらかじめ会費を何回分かまとめていただいておくということをしていました。たとえば1回500円を8回分計4000円もらうとかです。
それによって、お金を払ってある分だけは出席しなければもったいないと思って、雨など降るとすぐ休むような性質の外国人でも、頑張ってやってくるし、少なくとも休むときは連絡をしてきていたのです。

ところが、最近の外国人ときたら、その4000円を払ったまま、平気で無断欠席をするんだそうです。つまりは、4000円なんていう金はどうということないらしいです。
無断欠席した場合は、会費をいただきますと言っても、それでかまわないと思うので、平気で旅行に行ったり、突然買物を思いついて出かけたりして、日本人ボランティアとの約束をすっぽかすわけです。

ボランティアをしている人にはお年寄りが多く、その非礼な行いに我慢しきれず、「休んでばかりいるが来るのか来ないのか」と日本人のほうから何度も連絡を取ったりする人もいるようです。
それに対して、日本人のなかにも、もうほったらかしておけばいいんじゃないかと思う人もあり、しかしいつもすっぽかしをくらっていたら、こっちにもプライドはあるし、実際、そのために無駄な時間を浪費させられているわけで、やはりけじめをつけなきゃいられないと思う人も当然いるでしょう。
そんなことで、いろいろと考え方の行き違いがあって、さざなみがたっているようです。

私は、不快に思ったら、しつこいようでもやはりはっきりこっちの要求を伝えたほうがいいと思います。それは、担当ボランティア個人のやり方でかまわないのではないでしょうか。いくらお金を払っているとはいえ、連絡もしないで個人レッスンをすっぽかすことは非常識だということを伝えないとわからないんじゃないかと思います。

中には、何でも許せる、来なかったら時間をつぶし、とにかく一日会場で待つなんていうものすごく優しい人もいるかもしれません。まあ、そういうひとはそうしていればいいのかもしれません。

私がボランティアをする気になれなくなったのは、やはり、裕福で気まぐれな外国人の勝手な都合に振り回されながら日本語を教えるのがバカらしくなったからでした。それを感じるたびに苦痛になってきたのです。
国際交流協会などで、グループレッスンをしても、毎回誰かが休むので、なかなか一緒に進んで行くことができません。教室活動の準備をしても予定通りにはいきません。人数が少ない場合・ずっと休んでいる人が急に来て全員そろった場合・英語圏の人だけが来た場合、などと何種類ものパターンを考えて行ったところで、急遽別のグループの人と合流させて全く別の内容をすることになったりなどもしました。欠席の連絡が来たところでこの状況です。

それが、さらに悪化しているということのようですから、頑張れば頑張るほど労力が空回りすることがさらに多くなってきているようです。
いい加減にやってればいいのかもしれません。また、物心共に余裕のある人しかできないでしょう。

今は、自分のために時間を使うことができるので、平穏な生活をしています。


コメント

紫陽花の季節

2006-06-05 00:46:08 | 未分類過去
ここのところしばらく、バラの花が満開になっているお宅が多かったのですが、
最近は、バラに代わって紫陽花がめだってきましたね。
もうすぐ梅雨の季節ですね。

うちの子はテニス部なのですが、
私は自分の子がテニスをしているところを見たことがほとんどありません。
ちらっと見たのがほんとうにたった1回くらいでしょうか。
PTAの用事で学校のテニスコートのところを自転車で通りかかったときに
ちょっとだけ止めてフェンスの向こうに見かけただけです。

一方、通勤経路に面している私立高校のテニスコートは毎日会社の帰りに見かけることになります。
このごろは雨の日が多いのですが、ちょっとした雨ならだいたいテニス部は部活をやっていますね。
それを見ると、うちの子もやってるんだろうなと思ったりします。

この間、そこを通りかかると、テニスコートの先でバシャバシャ音がしてきました。
中は見えないのですが、そこにはプールがあるようです。
水泳部かな?もうプールの季節ですね。

でも、なぜか、学校でプールがはじまると、とたんに雨の寒い日ばかりになってしまうような気がします。

幸い、高3は水泳の授業はもうないそうで、得意なテニスとバドミントンを選択できるそうです。
「じゃあ、5が取れるんじゃない?」と言うと、
いくら得意な種目でも、体育で5を取るのはなかなか無理なんだそうです。

ところで、もう学校でプールに入ることはないまま、卒業するんでしょうか?
それもちょっと淋しそうそうだな~。

コメント

日本人って

2006-06-04 03:39:21 | 未分類過去
いまさらながらですが、近代に入ってからの日本の発展のサマを振り返ると、目を見張るものがあると、再認識されられる今日このごろです。
日本人は明治に入って、すさまじい速さで世界の様々なことを、すごい意欲と体力と能力でもって取り入れて突進していったようです。
「日本人って何者?」と自分も日本人でありながら、脅威に感じるのでした。

放送大学の人間の探究コースでは、芸術や文学と共にいやでも日本の歴史のついて学ぶことになりますが、その中でも感じるし、また、テレビでやっている歴史番組などでもよく感じることです。

今も放送大学の「20世紀の中国文学」(藤井省三)の教科書を読んでいたら、
「魯迅来日の翌年1903年には鉄道営業キロ数は約8000キロ台に達している」とありました。ちなみに同年の中国では、4530キロに過ぎなかったそうです。
そして郵便や電話なども発達し、通信改革がおこり、「1909年には東京では「報知」「万朝報」の1日の発行部数がそれぞれ30万部と20万部に達し、全国の小学校就学率が98%に達した。」のだそうです。それに対し「中国では1914年の調査で北京紙は数千、上海紙でも「新聞報」が2万を記録しているに過ぎず、就学率に至っては1919年でも11%に低迷していた。」とのことです。それで、中国人留学生がなにもかも自国より進んだ日本を目指してたくさんやってきたわけですね。

いかに、日本人の吸収と適応と実行力が優れていて、勤勉で積極的な国であるかがわかりますね。
そして、このころは、弾力性のある乾いたスポンジが大量の水を吸うように、知識や技術を吸収したんだなあと感心せずにはいられません。
そうなると、その前の江戸時代にも関心は及びます。つまり、きっと江戸時代に栄養があって潜在能力を発揮できる地盤があったから、それができたのではないかと思うのです。

日本人というのは、静かで控えめな国民だと思っていたのですが、実はそうでもなくて、なかなかしたたかなものだなあと思いました。
戦争時代に日本紹介の映画を作って、世界に向けてアピールしていたなんてことも放送大学で知りました。

その日本が今、すごく回顧趣味みたいになっていないでしょうか?昭和30年代を懐かしむブームというか、高度成長が始まったころのことが映画やドラマにされることが多くなっているようです。そのころの発達する前の時代を懐かしんでいるのですね。同時に発達する過程をも懐かしんでいるのかもしれません。
それは、今の日本社会や現代人が失ってしまった情熱のようなものを求めているからかもしれません。

また、もう一段階昔の明治維新の発展前を懐かしむ様子も見えます。
今日、テレビで東海道五十三次の絵になっている同じ宿場の場所で、同じ構図をとって写真を撮るという試みをしていました。二つのグループがどっちがうまく撮れるか、それぞれ別のシーンを再現して写真に収めるのです。写真に写る人間は昔と同じ格好をするので、和服にふんどしとかで、本物の馬や籠なども使われました。
同じ場所で撮りながらも、景色や建物などの情景が大分変わっていて、長い年月の経過を感じましたが、たしかにその場所が今もあって同じ民族が生活しているのが不思議な気分になりました。そして、とてもおもしろかったです。

そのころ、まだ鉄道がない江戸時代には、東京―大阪間は徒歩で2週間かかっていたそうですが、明治時代に鉄道が引かれてからは22時間になったそうで、高度成長後の今は、新幹線で数時間になっていますね。それはすごく変わったことですが、そこに住んでいる人間の気質はあまり変わっていないのかもしれないと思いました。

日本人、頑張ってきたよ。
懐かしいものを失ってしまった悲しみがあるかもしれないけれど、得てきたものも多かった。そして、今、IT革命などもあって、インターネットや携帯が普及し、また1段階文明が過度期に入っているようです。
昔の情熱と夢を復活させて、何かに向って歩みたいと渇望しているんじゃないかなと思います。何かを過去にもどすということが新たな発展であるかもしれず、選択肢にないとは言えないでしょう。

日本人は、今、何をめざすべきでしょうか?
コメント (2)

触れられない領域

2006-06-04 01:27:11 | 未分類過去
小さいとき、私は姉のバイオリンには絶対に触ってはいけないと思っていた。物心ついたときからそう思っていたのだ。だから、私自身がバイオリンを習いたいなどとは絶対に考えたこともなかった。
私と姉は5歳違うが、姉が小学低学年のころバイオリンを習い始めた時に、幼児だった私は、バイオリンをいじってひどく怒られたのかもしれない。
それ以来、私はバイオリンという領域に入ってはいけないのだった。自分が小学校に入って音楽の授業の合奏でバイオリンを選ぶ機会があろうと私はバイオリンを希望しなかったし、家にバイオリンがあろうと、私は今だかつてバイオリンに触れたことはないのだ。
バイオリンとは私にとっておそろしいものなのだ。

ふと、私にとっての「日本語教育」というのが、その「バイオリン」に似ているような気がした。
日本語学校を解雇されたり、中国人や他の外国人との付き合いの中で、いつしか私はその領域に入ることができない精神状態となってしまった。
何か、確実に私自身を否定されたような出来事があったわけではなかったが、私の中で何かが浸潤するようにアレルギー反応のようなものが出てきてしまっているのである。

あなたは「バイオリンを触るべき人間でない」というのと、「日本語教育に関わるべき人間でない」「外国人と交流すべき人間じゃない」というのが、何かとても似ている気がする。

一方で、未だにそれを自分の専門領域と思っていたり、中国人や中国文化が好きだと思っている自分がいて、矛盾している。
しかし、教科書を開いてみると、どうも落着かなくなって、とても課題なんかやる精神状況ではなくなってしまう。

別れた恋人とは二度と会わないほうがいいのと同じかもしれない。
コメント

もし、できる人間だったら・・・

2006-06-04 00:42:16 | 放送大学
放送大学の課題があと2科目全然進んでいません。
一言で言って、ヤル気がありません。

今年が編入してから6年目で、籍を置ける最後の年になっています。
ヤル気さえあれば卒業必要単位を頑張って取って卒業できるかもしれません。

問題は「ヤル気」がないことなんです。
今やってる内容は、「関心がない」の一言です。

もし、私が「できる人間」あるいは「優秀な人間」だったら、
すずしい顔でさっさと勉強して、課題をすませて、
この「人文・自然コース・人間の探究専攻」を卒業して、
その後、さらに「産業・社会コース・産業と技術専攻」に編入して、
どんどん勉強して、
こっちもすぐに卒業しちゃうでしょう。

あるいは、さっさといやなことから離れて、卒業なんかしなくて、
勉強したいことだけ選んでするっていうのもいいですね。
知識が身につきゃいいんです。
私の場合、今の仕事には物理・化学や産業財産に関する知識が必要なんです。

それが、愚図だから、
いつまでもいやになったものが転向できないし、
卒業証書にこだわるし、
そのせいで、新しい世界に踏み込めないでいる。
中国人に日本語を教えているわけでもないのに、
何で今さら、中国文学や日本語基礎なんかとってるんだろう。

踏ん切りが悪いったらない。

もう、いったいなにやってんだろう。

もしかしたら、勉強をしたくない理由にしているだけかもしれない。
別の分野に移ったとしても勉強は嫌いなのかもしれない。
もし勉強が好きだったら、関心を失う前にちゃんと卒業できていたはずだ。

要するに、怠けもの。
言い訳をしているだけだ。

ごちゃごちゃ書いてないで、やるべきことをやりゃあいいんだ!
コメント

りんご酢

2006-06-04 00:00:55 | 未分類過去
このごろ、気に入って飲んでいるのが「りんご酢」である。正確に言うと、「りんご酢入りロイヤルバモント」とかいうもので、ただのりんご酢とはちょっと違うようだ。最初、置き薬屋さんがそれと計量線つきの専用容器を置いていったので、教えられた割合で水で薄め、冷蔵庫で冷やしておいて飲んだら、すっきりしておいしかった。それ以来、ちょっとノドが乾いたときなどに飲むのが習慣になっている。朝起きたときや風呂上りなどに飲んでいる。便秘気味の娘は便通がよくなったと言っている。

この間、また薬屋さんが来た時に、今度は牛乳で割って飲む方法を教えてもらった。
りんご酢を3割、牛乳を7割にしてかき混ぜると、ちょうど飲むヨーグルトのようになるのだ。りんご酢の割合が多いと分裂してしまうそうだ。牛乳よりさわやかでおいしいし、栄養もあるし、体に良さそうで、毎日飲んでいる。

みなさんも、飲んでみて!

コメント