山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

今日の日記

2010-08-23 18:59:29 | 日記
今朝、テレビをつけると、芸能レポーターの梨本さんが肺がんでなくなったというニュースが流れていた。
携帯電話の目ざましで起きたものの、いつものごとく完全には目が覚めず、布団の上で起きなくては、と思って格闘していたところだったが、そのニュースではっきりと目を覚ました。
えっ、梨本さん、なくなっちゃったの?
そういえば、最近見かけなかったとは思うものの、ずっと闘病生活をしていたわけではなく、芸能レポーターとしては以前ほどテレビ画面に登場していなかったようにも思う。
もう引退してたのかな、70歳くらいだったのかなあ、と思ったら、まだ65歳だったそうで、思ったより若かった。
自分の印象としては、梨本さんがテレビで活躍していたころは、すでに梨本さんは中年だったように思っていた。しかし、私が20歳のときに梨本さんは35歳であり、35歳と言えば、今考えると、とても若いと思うのだが、その当時はすでに「おじさん」だと思っていたのだ。
梨本さんは、インタビューするのがすごく上手だった。昔の映像をみると、やっぱり人柄がよかったんだと思う。答えたくないようなこともずばずば質問するのだが、聞かれた人がなぜか答えてしまうのは、梨本さんのその人柄にほかならないだろう。笑顔がいいなと思った。とっつきやすい人はいいなあ。明るくてパワーがあるのもいい。

そんな梨本さんの昔のインタビュー風景などが写されているを見ていたら、ある俳優が梨本さんに話している場面が出てきた。あれは、だれだったかな?森繁さんかな?(違っていたらすみません)。
その人がいうには、「日本人の多くは、仕事に全力を尽くすけれど、遊びには力を入れない。でも自分は遊びに力を入れる。遊ぶために生きているのだから、遊びのためにお金もつかって、パワーも使う」と言うようなことを言っていた。

ああ、なるほど、本当にそうだなあ。
私なんかも、人間は働かなくちゃいけないと思ってるし、生活の大部分を労働に費やし、あんまり遊んじゃいけないという固定観念がある。
でも、それってどうなんだろうか?仕事をするために生きてるって、悲しいような・・・。
もっと、思う存分あそんだらどうかな。

遊びに時間を費やすのもどうしてもブレーキがかかるけど、遊びのためにお金を使うのはもっとブレーキがかかってしまう。遊びは罪だというような意識があるのだ。
「贅沢は敵」と言うような感覚だ。昭和一桁生まれの、しかも超貧乏人の親に育てられたからでもあるだろう。

でも、梨本さんに話していた人の内容では、遊びにいっぱいお金を使っちゃって、そしてまた働く。遊ぶために働いて稼ぐと言っていた。
あくまでも、遊ぶこと、楽しむ事が人生の目的だ。

ちょっと、目からうろこだった。

週に2日休んで、5日働くと、だいたい3割遊んで7割働くという比率になる。
仕事がある日でも、夜はテレビを見たりして遊んでいるけど、休みの日でも家事なんかして働いてるから、やっぱり3対7という比率はそう変わらないだろう。
でも、もっと積極的に遊んで楽しむのもいいなと思った。

そんな過去のインタビュー場面を見たのも、梨本さんが亡くなったことがきっかけなんだと思うと不思議だ。
人のメッセージを引きだす人だったんだな。

私も、頑張って働いて、それ以上に遊んで楽しみたいと思った。

梨本さんのご冥福をお祈りします。

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見物渋滞

2010-08-22 23:15:45 | 運転・車・道路の事
このまえ、団体バス旅行に行っての中央自動車道の帰り道で、添乗員さんが、携帯で事故渋滞が発生したという情報を見たと言って心配していた。
団体旅行では、道路の混み具合によって、どこのサービスエリアで休憩しようかと決めるようだ。渋滞しそうなときには休憩しないでいってしまったり、大丈夫そうなときは休憩したりとか、その休憩時間をどのくらいにするかなど、運転手さんと相談したりして、スムーズに帰れる方法を決めるようである。
事故渋滞が起こると、それが起こったばかりのときには、どんどん渋滞がひどくなるばかりらしい。進んだ先で止まってしまうとサービスエリアにも入れないから、動いているうちに休憩を入れてしまったほうがいいのかもしれない。
事故が起きて渋滞が起きてからしばらく時間がたっていると、交通の流れも回復し始めるので渋滞も解除されるらしい。

それで、そのときに、バスは東京に向かっていたのだが、事故渋滞との情報を見て、添乗員さんは到着時間が大幅に遅れるのではないかと心配していた。でも、その情報は違っていて、事故は上り車線ではなく下り車線だったそうだ。たしかに上りにも事故渋滞と出ていたようだが、それは最初からなかったようにすぐに消えたらしい。

では、なぜ渋滞情報が出たのか?
それは、下り車線で起きた事故を、上り車線を走るクルマが見物することにより、走り方がゆっくりになったためらしい。
見物といっても、クルマを止めてみるわけでもなく、徐行をするわけでもない。でも、そっちに目を向けて何が起こったのかな?と思うだけで速度が落ち、それが後ろから走って来るクルマの流れにも影響してしまうようである。

その旅行のときは、大渋滞になるのではないかと心配したものの、さしたる渋滞もせずに走ることができた。そして、そのうち対向車線の事故現場付近を通りかかった。警察が来ていたが、事故は軽い接触程度で、たいしたことはなかったようだった。
「事故見物渋滞だったんですね」と添乗員さんが言っていた。

今日、中央道を走っていると、自分の走っている道路の路肩に2台のクルマが少し離れて止まっていて、それぞれの運転手さんが車から降りて歩いていた。
何があったのかな?接触したのかな?とそちらに目をやった。警察などは来ていなかった。
そして、そこを通り過ぎたあと、メーターを見たら、車の速度が70キロに落ちていて、あわててアクセルを踏んだ。前のクルマとの距離も開いていた。

事故見物渋滞というのは、こういうことで起こるんだなと思った。
その他にも、故障なのかJAFのクルマが来たりしているところもあったが、
何か変ったものを見ても、気をそらさないで速度を落とさず、ちゃんと運転しなくてはいけないなと思った。


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八王子に行って来たぞ

2010-08-22 15:40:45 | 運転・車・道路の事
昨日まで、どこに行くか決めていなかったのだが、今朝になっていきなり八王子に行くことにした。
八王子には、村内美術館というのがあって、コローやミレーの絵があるとのことである。
地図を見ると、中央自動車道の高速出入り口付近に近い。以前から、行ってみたいなあと思っていた。

まずは、行きは甲州街道を行った。甲州街道は府中あたりまでしか行ったことがなかったが、今日は、その先、国立インター入り口から日野バイパスへと左折。
日野バイパスは広くて気持ちがよかった。そのうちまた甲州街道に合流していたようだ。そして、八王子市にはいると、道路はちょっと汚い感じになってきたけど、とにかく、今日は日曜で、大型トラックがいないというのが楽だった。
その先、ナビに従って右折する場所があったのだが、まだ100mくらい先だと思って第2車線を走っていたら、第3車線の長い列が右折車であり、右折レーンに入りそこなって直進してしまった。しかし、ナビが改めて案内してくれたので、ちょっと遠まわりになったように感じたものの、知らぬ間に目的地に着いていた。あとで確認すると、このコースが最初にパソコンのドライブルートで調べたルートで、適切だったようだ。ラッキー。



村内美術館は、村内家具がやっている美術館で、大きな家具屋さんだから駐車場も広い。
美術館も常設展示でもかなりの点数があって、センスよく展示されている。なによりも人がいないというのが魅力だ。館内自分一人の貸し切り状態みたいだった。ゆっくり存分に作品を見ることができた。館内には、ところどころに、休憩しながら絵が眺められるように、ソファーなどが置いてあるのだが、さすがに家具屋さんだけあって、ものが違う。
それに、BGMにモーツァルトの曲が流れていて、本当に優雅な気分で作品を鑑賞することができた。ここは穴場だ。


(村内の前の国道16号)

さて、帰りだが、高速の入り口があまりにも近いので、高速に入らない手はないと感じ、思いきって中央道を使うことにした。八王子入口は以前も高速教習で使ったことがあるはずである。
高速に入る車が連なっていたので、ついていった。料金は500円だった。600円だと思っていたら、それは普通車であり、軽自動車は500円だったのだ。ナビが料金まで教えてくれたし、高速モードにします、のような事を言い、画面表示がいつもと違うものになっていた。

合流は、何がなんだかわからないまま、知らないうちに合流していた。
こんなんでいいのかな?

80キロが最高速度となっているが、みんな100キロくらい出している。
途中で、1台少し遅いトラックが居てみんなが追い越していたので、私も追い越し車線に入って追い抜いたが、それでもそのトラックがものすごく遅いというわけではなかったので、追い越し車線に移ってからその車を追い越して元の車線に戻るまではとても長く感じた。

高速教習では調布インターで下りたが、うちは高井戸インターから出れば近かったのだ。
トンネルを出るとすぐ左が出口だと、あらかじめナビが教えてくれた。
なんと美術館から自宅まで30分くらいでついてしまった。行きは高井戸からは入れないので調布まで一般道を行かなければならないから高速を使う効果はあまりないといえるが、帰りは断然速い。行きは一般道で1時間ちょっとかかった。

中央高速では、ちょっと気を抜くと速度が100キロ以上になったり、80キロ未満になったりしたので、極端に速くなったり遅くなったりしないよう注意しなければならない。
それにしても、高井戸付近では60キロの表示が出ているのだが、60キロなんかで走るクルマはほとんどいないようだ。

高速はなんとかうまくいったが、高井戸で下りて環八に合流するときに、譲ってくれると思った車にクラクションを鳴らされてしまった。
やはり、減速してくれると思うのはダメだなと反省。どうも速度感覚がちゃんと把握できていないようだ。距離はあると思っても時速60キロのまま走ってきたらあっというまに近付くので、かなりの余裕が必要だから、こっちがゆっくり入って行くのはまずいようだ。
安全確認をしっかりして無理な入り方はしないように気をつけなくてはいけない。
となると、高速の合流も、本線を走るクルマがあったものの、とりあえず走っちゃえみたいな感じでアクセル踏んでたけど、本当よかったのかなあ、などと不安に思う。

どのくらい離れたところをどんなクルマが走ってきてたか?までは覚えてないのだ。
幸いにして、危なくはなかったようだ。

自分のクルマと相手のクルマの速度と位置の関係がどうなっているのか?
それから、相手がどう思って運転しているのか?速度を緩めようとしているのか、いないのか?など、ちゃんと観察しなくちゃいけないなあと思う。

本日の走行距離、66km。オドメーター2506km。
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気持の入らない読書

2010-08-21 23:54:48 | 日記
「風の歌を聴け」を読み終えたが、実際、何がなんだかわからない。
急いで読んだからだろうか。
なぜ、自分が「うわのそら」で小説を読むのかもわからないのだ。

このあいだは、帰省する電車の中で
「女50代 美しさの極意」っていうのも読み終えたけど、
これもとりあえずざっと読んだ。

「大切に読む」ということができないのだ。

その本によると、
50代を過ぎると、時間もお金もなくなっていくそうだ。
お金を稼げるのは、せいぜいあと10年だ。

本気になって稼いだら、お金はたまるのだろうか?
自分は、本気になってお金を貯めようとしたことがあるのか?

ないよ。

「本気にならない」まま、時間だけが過ぎ去っていくのかな。

女50代 という本では、
自分のやり方を得意になって書いているような場面は好きではなかった。

それは、あんたのやり方。
それが一番いいやり方のように書かないでもらいたい。
そこまでくると、個人的な趣味を押し付けられているようでちょっと鼻につく。

でも、自分もきっとそういうことがあるに違いない。

年をとってくると、自己主張はパワー全開だ。
気をつけよう。

人の言うことに耳を貸さなくなってくるから、人の書いた本も本気で読むこともできなくなり、
うわの空になってくるんだろう。
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今日も花火大会?

2010-08-21 21:06:06 | 日記
今日は、多摩川の花火だとか?夜になって、南のほうから、ドン・・ドン・・バリバリなどと雷のような音がしていたが、花火は見えなかった。
それにしても、この夏、何か所で花火が行われたのだろう。平和なんだな~。

休日は、朝から他の人のブログを何度も開いて見ているのだが、更新している人が少ないような気がする。休日はやっぱり出かけたり、家族と過ごしている人が多いのかもしれない。
読むものがあまりないので、自分のブログを書いてヒマをつぶすことになる。

家で一人で過ごしていると、まるでのどが渇いたように、書いても書いても書き足りないという状況になってくる。

きっと、運転が好きな人が、どんなに走っても、もっともっと走りたいのと同じ状況なんだろう。
私は、文を書くのが好きだ。どんなに書いても書いても、もっと書きたいわけだ。

しかし、そんなにいっぱい書いたところで、ネタもないし、中身はからっぽになってくる。
こまったことだ。

村上春樹の昔の小説なんか読んだところで、そんなフィクションは面白くもなんともないよ。カタカナ語が多いのもいやだ。だから外国小説みたいな感じがしてしまうのだろう。
それに、洋画を翻訳したようなセリフにも興ざめだ。そういう時代だったのかな。

本日の、一般人のブログを読むほうが楽しいな~。

「風の歌を聴け」は最後まで読む気がなくなってきてしまった。
私は、村上春樹に限らず、小説はあまりすきじゃないんだ。

このごろ、嫌いなものが増えてきたな~
9時になったので、テレビでも見ようかな。
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一番近い本屋

2010-08-21 19:10:16 | 日記
一番近い本屋に行って、本を買おうと思ったんだけど、
自転車で行くのはすごく遠回りで、
近くの駐輪場に置いて歩いて行くと、
歩く距離が長いうえに駐輪代がかかり、
なんだか、面倒くさいしバカらしい。
かといって、路上に置いて撤去されたら3000円も罰金が取られちゃうし・・・。
集積所まで取りに行くのも一苦労だ。

ふと、思いついたのが
としょかん

そうです、本屋より近い。
駐輪場がある。
本も無料。

ということで、図書館で調達してきました。
図書館が近くにあってよかった。
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夕方

2010-08-21 18:24:12 | 放送大学
18時前に光化学スモッグ注意報が解除された。
昼間はずっと冷房をかけて昼寝をしていた。左側の腕が冷えて痛くなった。
設定温度は30度。一番高い温度だ。風速も最低にしてあったが、それでも冷え過ぎてしまう。17時過ぎに目を覚まし、窓をあけると、案外涼しい風が入るので、冷房を消した。
ノドもおかしくなっている。冷房は身体に悪い。

今日は、朝から村上春樹の「風の歌を聴け」という小説を読んでいた。途中で寝て、起きて、また続きを読み、半分くらい読んだところだ。
どうも、場面が「日本」という気がしない。なんか、ピンとこない。
作者とは相性というものがある。ちょっとダメかな。

なんで、この小説を読み始めたかって、それは放送大学の面接授業に「レポートの演習2-小説を論じる」っていうのがあったからだ。この科目は、この「風の歌を聴け」を使って演習が行われるらしく、受講者はあらかじめこの小説を読んでおく必要があるそうだ。私は、この科目を受講すると決めたわけではなく、受講するかしないかを決めるために作品を読んでみることにしたのだ。もし気に入ったら受講するつもりだった。
まだ、半分しか読んでないからなんともいえないけど、今の時点で、「ぜひ受講したい」とは思えなかった。

この小説は村上春樹が若い時に書いた作品だ。この人は、今や日本を代表する偉大な現代作家である。最近も大作がでている。「1Q84」はみんなが買って読んでいる。するとますます読みたく「なく」なる。
この新刊、私はずっと「IQ84」だと思っていたのだ。知能指数が84という意味だと思っていた。ところが、「IQ」じゃなくて「1Q」なんだそうだ。1Q84年という意味らしい。本当に自分は疎い。そして、相変わらずこの人の作品をほとんど読んでいない。エッセイかなんか1冊くらい読んだかもしれない。

同年齢の友人の話では、娘さんの買ったこの新刊を読もうとしたら、文字が小さくて読めなかったそうだ。だから私も同様に違いない。
いきなりこんな大作は読めないし、大成した後の作品より、初期の軽い作品のほうが読めるかもしれない、などと思った。
そうすれば、そこから、この人の作品にほれ込んで全部の作品を読むこともあるかもしれない、などと空想を広げたが、少なくとも今の時点でそんなことはありそうもない。

放送大学のこの面接授業は、「専門科目、人間の探求」に属する。これは私がすでに卒業した専攻である。今やっている自然系の科目が向いていないので、これだったら元の畑かなと思ったのだ。それに私はもともと他の短大で文芸科を卒業している。
以前、面接授業で化学の実験をやったときに、実験レポートをすいすいとこなす人がいて、目を丸くしたことがあった。開けてみると、その人は自然系のコースをすでに卒業していた人だったので、なんだ、それだったらできるのは当たり前だと思ったものだった。
だったら、私がこの面接授業を受ければそれと同様の状況が起きるかもしれない、などということも空想したが、どうもそんな状況は起こりそうもなさそうだ。

ブログなどで放送大学の体験談を読むと、自信を持っていたはずの科目がクリアできず、ショックを受けたというようなことが書いている。「自分はいつから勉強ができなくなったのだろうか?得意なはずの科目で落第した、自信を失った」などということが往々にしてあるようだ。
先日も面接授業のときに、数学が一番得意だったという人が、数学で不可を取ったことが納得できないと話していたのを耳にした。
得意だったものが苦手だったり、好きだと思ってたものが嫌いだったりするのだ。
自分の認識が間違っているということに気がつかされる、自分の実態を思い知らされるのだ。

なかなか、大変だね~。自分の実態を知っただけでも良かったのか、それとも知らないままだったほうが幸せなのかな~。実態を知り、それを乗り越えられたら一番いいんだろうけど、年をとるとなかなかできないもんだ。だったら、自分は得意だと思いこんだまま受講しないほうがいいのかもしれないな~。

なんで、こんなことをぐだぐだ書いているかというと、実は、何の意味もない。
単なるヒマつぶしだ。

休みの日になると、ブログばかり書いている。
1日に何個も書くから、つぶやきみたいなもんだ。だからツイッター状態だけど、それにしても文字数が多すぎるから、ツイッターでは収まらないだろう。

意味もない暇つぶしに付き合わせてごめんなさい。


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光化学スモッグ

2010-08-21 15:24:00 | 運転・車・道路の事

空はどんよりと、うす曇りである。お昼ごろ光化学スモッグ注意報が発令された。
今日は、貴重な休みだから、例によってクルマの運転の練習をしなくてはならないと思ったが、朝からどうにも身体が重くて出かける気がしなかった。
先週も帰省していて運転をしていないから、クルマでどこかに行かなくてはと思うが、帰省していた故、疲れ果てたまま仕事に突入していたので、2週間の疲れが積っている。実家ではどこにも行かずにごろごろしていたものの、それでも疲れているのだ。
疲れているんだったら、無理に運転をすることもないだろう。それに、ウチのクルマの排気ガスで光化学スモッグをさらに増やすことにもなってしまう。
そう思って自宅にこもって冷房をかけて昼寝をしていたのだが、・・・
あっ、自宅のエアコンも二酸化炭素を排出して光化学スモッグを作っているのかもしれない。・・・困ったことだ。
光化学スモッグ注意報は、まだ解除されていない。
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速く藻を食え コリドラス!

2010-08-21 13:35:34 | 日記
てな感じの、最近の職場です。

昨日も30分の残業になったのですが、残業を許可してもらうのもなんかすごいプレッシャーです。昨日は、上司たちが会議をしていたので、残業の許可をもらうことができず、結局勝手に時間を延長して、事後報告ということになりました。
なんとか定時の30分未満超過で収められるかと思ったのですが、それも無理そうです。

持っている案件をその日中に終わらせる必要があるかないかで、馬車馬になるかならないかが決まるわけで、もしその日中に出さなくてもよいのであれば、ほっとして普通の速さで仕事をし、10ページくらいを来週に残して帰るところです。
しかし、依頼者である担当者に確かめに行くと、やはり当日中にお願いということで、馬車馬になる覚悟を決めました。
しかし、どんなに走ってもやっぱり残業をしないでは収まらず、しかも、なんで残業をすることにこんなに罪の意識のようなものを持たなければならないのかと、矛盾を感じ、タイムカードを押してサービス残業をするのはやめ、しっかり残業をつけることにしました。

それにしても、勤務報告を見ると、その前にやっていた案件が、1時20分までかかったというのは、午前の仕事を前倒しにして、それを12時までにやっておけば、午後の仕事も定時に収まったのではないか、などとつっこまれそうです。
藻を食うのが遅いんだよコリドラス。別のコリドラスに換えてもいいんだぜ。・・・

しかし、こっちに言わせてもらえば、その1時20分に終わった仕事も、午前中に終わらせようと12時20分まで昼休みを使ってやってもさらにやり切れなかった部分であり、
もう、これ以上速く藻を食うことはできません。


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作品を書くということ

2010-08-21 13:12:27 | 日記
いつしか、人生も「半分」を超えた。人生はあと30数年くらいかな。
それも、平均寿命まで生きられればの計算であり、そうでなければ、人生はあとどれだけ残っているのかもわからない。3分の1かもしれないし、4分の1かもしれない。

平山画伯は「ぶれない」を書いたときに70代で、あと10年くらいは人生が残っていると考えておられたようだが、残念ながら70代にして亡くなられてしまった。
たくさんの絵を残されたから偉業は成し遂げたといえるが、それでももっと生きて、描きたかったものや、絵以外にもやりたかったことがあったはずだ。

私も凡人ながら、一度くらいは、小説のようなものを書きたいと、若いころから思っていたが、それも実行せずに年ばかり増えてしまった。
いいかげん、何か書かなければ書かないままで終わってしまうだろう。人の書いた小説等を読みながら、大した内容ではないなどと批評したりするわけだが、それでは自分が書けるのかというと、とても書けたものではないのだ。

以前、このブログに絵のことを書いたことがあるが、「名のない画家がどうということのない絵を描くにしても、それなりの労力と時間を要するのだから、絵は高いわけだ、パートタイマーの時給に換算しても・・・、」というところで、知らない人から厳しい批判のコメントが送られてきた。パートタイマーの時給と比較するのはあまりにも次元が低いということである。
たしかにそうだろう。

しかし、現実的に、私は毎日パートタイマーで仕事をしているが、それだけの時間を、例えば文学作品を書く時間にあてる覚悟はない。疲れてぶっ倒れてしまう。だが、おそらくそんなもので1年間を創作に費やしたとしても、まともな作品が書けるわけないし、パートタイマーで稼ぐ年収の10分の1も稼ぐことはできないだろう。
だから、私はパートタイマーをやめないし、作品を書かないで生活している。

そうだな、凡人なんだし、もう遅過ぎるよね。
人生の道を決めるのは遅くとも20代だろう。

趣味で絵を描いている人がいる。美術館の片隅に素人の絵の展覧会が開かれていたりする。
正直言って、あまりにもお粗末で興ざめだ。有名画家の絵を見たあとで、そんなものは見られたもんじゃない。趣味は趣味でいいのだ。自分が楽しければいいんだから。
中年過ぎて初めて絵を始めて、画家になった人はいないだろう。小説家も同じだと思う。
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履修科目登録

2010-08-21 11:19:23 | 放送大学
放送大学の科目登録は、まだ日にちに余裕があるので、のんびりしていたのですが、あんまりぎりぎりになって忘れてしまっては大変なので、今日ホームページから登録しました。
便利になったものです。

登録科目は、
1 エネルギー学の基礎

  思い起こせば、これは一度履修したものだった。課題も出して、試験も受けた。
ところが、たしか試験は教科書持ち込み可だったのに、出かけ際にカバンから教科書を出したのを忘れ、結局教科書なしで試験を受けた結果、落第だった。
そのあと、次期の再試験可能だったが、試験日が平日の仕事が休めない曜日になっていたので、そのまま放置。そしてその後、再履修もせず、内容もすべて忘れていた。
今回ふと科目案内を見ると、休日が試験日になっていた。一度勉強したものでもあるし、教科書もあるから、単位は他のものより取りやすそうだ。ということで選択。

2 社会と知的財産

 知的財産には関しては興味があり、知的財産検定等も受かっているので、この科目はまんざら知らない分野でもない。しかし、検定の時に勉強したことは大部分忘れてもいる。
このあいだ、面接授業で「ビジネスと知的財産」を受けておもしろかったので、さらに関連する知識を深めたいと思う。

登録は2科目だが、今回試験を受けないで落第してしまった「初歩からの化学」が、再試験を受けなければならないので、実質これも受講ということになる。

今回は教科書をじっくり読んで自分のペースで勉強しようと思う。

その他に、面接授業を3科目ほど申し込んだ。
学費は36500円であり、このくらいまでがいいところだ。
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帰省みやげ

2010-08-21 00:24:01 | トラックバック練習・ご意見板
実家に帰るときは、特に何も買っていかないことが多い。なんてひどい娘なんだろうね。

でも、今年は、ちょっとは母のために買っていった。
母の日のプレゼントもしてなかったし・・・。

この夏、閉店だか改装だかをするとのことで、自宅近くのお店がバーゲンをしていて、その店で自分のエプロンでも買おうとでかけていったら、エプロンはあまりいいのがなかったのだが、年配の人が着るムームーっていうか、私の田舎では「あっぱっぱ」というのだが、木綿の自宅着っていうのかな、母に似合いそうなのがあったので買った。
それが、メインのお土産と言えばお土産だ。

その他には、身体に良いという黒酢。これは、会社近くのスーパーで、昼休みにお昼のお弁当を買いに行ったときに買った。それと、台湾産の桜エビをかった。桜エビとコーンとゴーヤのかき揚げを母に作って食べさせようと思っていたので、田舎に帰ってから買いに行くのも面倒だし、桜エビなんか軽くてかさばらないからいいやと思って買っておいた。
日本産の桜エビは高くて買う気になれない。

持っていったのはそれだけだ。
お盆は特に休みも取っていなかったので、金曜日に仕事が終わってから帰省して、日曜日の夜帰るという日程。なんか、疲れちゃって行くの面倒臭いな~と思ったけど、その「あっぱっぱ」は、夏中に母に渡さないと秋になったら着れないから、どうしてもお盆に帰らなくちゃと思ったわけだった。母は早速着てくれてちょうどよいようだった。

さて、帰省すると逆に故郷のみやげを自宅に買ってくるわけだが、それも実家で毎日ゴロゴロしていたから、お土産が売っているようなところには行かなかった。
母が圧力なべで赤飯を炊いてくれて、それを詰めてくれたので、帰宅して夕飯に食べた。
その他には、電車を乗り換えるときに、乗り換え駅の地下道であわてて箱入りのパイを買ってきた。乗り継ぎが10分だったので、もうなんでもいいやと、目に止まったものを適当に買った。誰にあげるでもなく、自分と家族が食べるだけ。

なんといいかげんなことか。

実家では、黒酢の料理は作らなかったけど、母が魚屋からゴーヤを買ってきたので、ゴーヤと桜エビのかき揚げを作った。
なんで魚屋でゴーヤかって?魚屋さんの自家製だそうだ。1個だけ売っていたそうだ。私が作ったゴーヤに似ていた。ちょうどよかった。
田舎ってこれだから面白いね。


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交通信号の日

2010-08-20 22:20:24 | 運転・車・道路の事


今日は、「交通信号の日」なんだそうです。
1931年(昭和6年)の8月20日に、銀座や京橋の交差点などに、日本で初めて3色の自動信号機が設置されたそうです。

あれっ、昭和時代になるまで今のような信号が無かったのか、と意外に思いました。
自動じゃなければあったのかな?おまわりさんが交通整理していたのかな?

今では信号がなかったら、大変なことになりますね。
交通はマヒしてしまうし、人間がやるったって、何人必要でしょうか?
無理ってもんです。

写真は、何か月か前に写したものですが、
ざっと5か所の信号が見えます。

これは杉並区の五日市街道です。

このあいだ、北区(板橋区?)の浮間舟渡駅の前の道路のことをネットで読んでいたら、「あの通りは信号が多すぎる」という誰かの意見が載っていました。
(あの通りは「浮間橋」があるので、私は「浮間通り」だと思っていたのですが、地図には通りの名前が載っていません。別の道路に「浮間中央通り」というのもあるようで、結局名前がわかりません。)
私は、あの通りを走った時、別に信号が多いとは感じませんでした。でも、あとで思いおこすと、ナビに従って右折しようとして交差点を2つも間違えた(手前の右折車線に入ってしまった)ので、やっぱり信号が立て続けにあったんだな、と思います。
でも、この写真のように信号の多いところは、普段走っていても珍しくないので、信号がいっぱい有っても全く驚きません。信号がいっぱいあると眠くもならないですね。

この前、都心を走っていた時、急に信号が立て続けにある場所があって、黄色になった瞬間、どこで止まればいいのか一瞬わからなくなりました。
60キロくらいで走っていて、急に信号が黄色になったときは、いきなり停まれないのでブレーキを踏まずに通過しますが、10mおきくらいに次々に信号があり、それがいっせいに黄色になった場合、どこかで止まらなければ赤になります。前にクルマがいなくて、スイスイ走っていたのですが、黄色い信号を2つくらい超えて3つ目くらいで急ブレーキで止まったときは、自分が信号無視をしそうになったようで、怖かったです。
そこは、たぶん普段は人も車も多い場所なんだと思いますが、その日は日曜ですいていたのでしょうね。

信号気をつけよう。


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ゴーヤ19~21号

2010-08-20 21:08:02 | 日記
ゴーヤはちょっと小休止でしたが、気が付くと、第2弾が次から次になっていました。
現在、17コくらいぶら下がっています。
葉っぱはだんだん枯れてきているというのに、こんなにいっぱい、大きくなることができるのでしょうか。
それにしても、ベランダのプランターでよく実りました。優秀な苗だったんだね。
ホームセンターで買ってきた土がよかったかな。それとも日当たりがいいからかな。
ゴーヤはよく水を吸うけど、考えてみたら、プランターの中の水を吸い上げるしかないわけで、そのプランターの水は、私が毎日、台所の水道から運んでいる。
ゴーヤの実の中の水分は、私がヤカンで運んだ水だと思うと不思議な気がします。

昨日は、ゴーヤ19号と20号を収穫。19号は私の部屋の前にペンダントのようにぶら下がっていた子です。

(上の写真は8月11日撮影)

実家に持って行って母に食べさせようとおもったんだけど、ちょっと間に合いませんでした。昨日で長さ14センチ、重さ135グラム。

(収穫前撮影 8月19日)

小ぶりですが太さはあって、濃い緑色のきれいな子でしたよ。
リング状に切り、片栗粉をまぶして素揚げにしました。



それで、揚げる前にちょっと遊んでみました。
オリンピックの5輪みたいになったり、シャネルのマークみたいになったりするんですよね。知恵の輪にもなりますよ。
首飾りにしようかと思ったんだけど、重さに耐えかねて切り目が伸びちゃうので、あんまり長くつなげません。ゴーヤの「のれん」で我慢しておきました。


写真手前が19号。
上のボコボコなのが20号。知らないうちに大きくなっていました。
20号は今夜、牛肉とシメジと一緒にオイスターソース炒めにして食べました。
重さ120グラム。長さ16センチ。

東京産。

そういえば、今朝テレビでやっていたのですが、ゴーヤは群馬県でよくとれるそうです。
群馬産のゴーヤー(本当はヤーと伸ばすらしいですね)がいっぱい出荷されているそうです。ゴーヤは沖縄とか暑い地方の野菜ですが、群馬も暑いので、適してるんですね。

東京でも取れるもんな~
ゴーヤのビタミンCは熱を加えても壊れにくいそうです。
我が家は今年の夏はゴーヤづくしですよ。来年も子孫の種をまこうと思います。
食べられるし、カーテンにはなるし、おススメですね。

あっ、今日収穫したのは、21号ですが、



高いところになっていて、ごらんのとおり、小さいまま熟しちゃってました。これはこれできれいかな。種をとっておきます。

以上、ゴーヤ19~21号でした。

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1学期の取得単位

2010-08-19 23:32:31 | 放送大学
今日、1学期の履修科目の習得単位状況がわかるということで、放送大学のホームページを開いてみた。
といっても、めいっぱいサボっていて、試験を受けていないので、結果を見るもなにもないのだが・・・。
ただ、面接授業を2つ受けたからどうかな、と思って見てみたら、単位が取れていたので安心した。
まあ、ゼロでないだけいいかな。

取った科目は
「クルマでわかる物理学」 
この科目は、出席重視で、試験もレポートも何もなかった。ただ出席するだけでいいという珍しい科目だ。席に座って授業を受けるだけで単位が取れる科目が、いったいどのくらいあるのか知らないが、少なくとも私が受けた面接授業の中では、これが唯一だった。
(私は面接授業で10単位取っている。そのほかに授業は受けたがレポートを提出しなくて単位が取れなかった科目が1つある。だから、11科目中の1科目ということだ。)
内容は難しかったので、試験があったらどうしようかと不安だったが、なければないで、何か拍子抜けした感じだった。試験やレポートがあるならば、もう一度復習して理解を深める努力をしただろう。物理の計算はお手上げだったが、授業はクルマを理解するのに役立ったと思う。物理や数学の知識がもっと必要だな~というのが実感だが、今さら学力を高めることは無理そうだ。でも、車に関係した科目があったら、また受けたい。

もうひとつは、
「ビジネスと知的財産」
これは、なかなか役にたった。独立行政法人 工業所有権情報・研修館が出している「事業戦略と知的財産マネジメント」「産業財産権標準テキスト」という2冊の教科書をいただいたが、これも素晴らしい内容だ。とてもわかりやすくまとめられている。また、講師の先生が2人で分担して授業をしてくださったが、2人がかりの授業という非常に連携の行きとどいた充実した内容だった。
最後に授業内容が理解できたかどうかを確認するプリントのテストを受けて、提出して終わりとなった。受講生はさまざまな職業の人がいて興味深かった。
テストの結果があまりにも悪いと単位が取れない可能性もあるだろうから、ちょっと気になっていたが、単位が取れていてよかった。

今回の2つの授業は、受けて良かったなと思う。たった2単位だけど、自分にとっての収穫は大きい。
放送大学の面接授業はどれも有意義である。2学期も面接授業を受けに行くのが楽しみだ。
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