
若い女性たちの3つの集団の短編作品をまとめて上演する企画。僕が見た回は招待作品である空間悠々劇的を除く3プロが並ぶバージョン。「女に生まれただけで劇的!」というキャッチコピーそのままの刺激的な作品が並んでいる。
参加作品は以下の通り。
A:劇団遊人 「Womb→Tomb」(作・演出 なまいきなこ 出演 あべ川つまる/Meina/まんご)
B:Coquecal 「青空と雪と三日月の海」(作・演出・出演 桐子カヲル)
C:劇変蜥蜴 「白雪姫とミラクルフェアリーズ」(作・演出・出演 激変蜥蜴)
正直言うと、作品自体の出来はお世辞にもよかった、と言えるようなものではない。短編なのだから、もう少し驚きが欲しい。どの作品も素直なのだが、ひねりがない。だが、不思議と腹は立たないのは、それぞれが、それぞれ、自分たちの視点をきちんと持っており、作品に一貫性があるからだ。これでもし、何の試みもなく、だらだらと下手な芝居もどきの学芸会をやられた日には目を覆うだろう。しかも、変に理屈をこねまわして見せられたりしたなら、最低なのだが、(現にそういうものはよくある!)彼女たちはそんなことはしない。どの作品も、とても真面目で自分の方法論と主張をきちんと示してくれるのがいい。
しかも、それが、結果的にだろうが「とても醒めた目で現実をみつめる」というところに帰結するのがおもしろい。全く示し合わせたわけでもないのに、3つの作品はいずれも最後は同じところに行き着くのだ。そのことに驚いた。
普通の会話劇のスタイルで見せる幻想的なドラマである劇団遊人、ダンスの要素を取り込んだファンタジック・メルヘンであるCoquecal、童話をベースにしたドタバタ劇、劇変蜥蜴。まるで方向性の違う3団体の3作品がたどりつくのは、いずれもリアルすぎる現実だ。なめくじが海を見る、赤鼻のトナカイの冒険、鏡の中の妖精たちが王妃に現実を突きつけて去っていく。いずれもただの甘い芝居ではない。シビアなドラマとなる。
女たちは芝居の世界を生きているにも関わらず、リアリスティックな現実の時間をしっかり地に足をつけて生きる。その事実がなんだかとてもおかしい。女ってやっぱり強いなぁ、と改めて感じさせたステージだった。
参加作品は以下の通り。
A:劇団遊人 「Womb→Tomb」(作・演出 なまいきなこ 出演 あべ川つまる/Meina/まんご)
B:Coquecal 「青空と雪と三日月の海」(作・演出・出演 桐子カヲル)
C:劇変蜥蜴 「白雪姫とミラクルフェアリーズ」(作・演出・出演 激変蜥蜴)
正直言うと、作品自体の出来はお世辞にもよかった、と言えるようなものではない。短編なのだから、もう少し驚きが欲しい。どの作品も素直なのだが、ひねりがない。だが、不思議と腹は立たないのは、それぞれが、それぞれ、自分たちの視点をきちんと持っており、作品に一貫性があるからだ。これでもし、何の試みもなく、だらだらと下手な芝居もどきの学芸会をやられた日には目を覆うだろう。しかも、変に理屈をこねまわして見せられたりしたなら、最低なのだが、(現にそういうものはよくある!)彼女たちはそんなことはしない。どの作品も、とても真面目で自分の方法論と主張をきちんと示してくれるのがいい。
しかも、それが、結果的にだろうが「とても醒めた目で現実をみつめる」というところに帰結するのがおもしろい。全く示し合わせたわけでもないのに、3つの作品はいずれも最後は同じところに行き着くのだ。そのことに驚いた。
普通の会話劇のスタイルで見せる幻想的なドラマである劇団遊人、ダンスの要素を取り込んだファンタジック・メルヘンであるCoquecal、童話をベースにしたドタバタ劇、劇変蜥蜴。まるで方向性の違う3団体の3作品がたどりつくのは、いずれもリアルすぎる現実だ。なめくじが海を見る、赤鼻のトナカイの冒険、鏡の中の妖精たちが王妃に現実を突きつけて去っていく。いずれもただの甘い芝居ではない。シビアなドラマとなる。
女たちは芝居の世界を生きているにも関わらず、リアリスティックな現実の時間をしっかり地に足をつけて生きる。その事実がなんだかとてもおかしい。女ってやっぱり強いなぁ、と改めて感じさせたステージだった。