短編連作で、ピアノの調律師が主人公。(タイトルそのまま) 心に傷を抱えた彼が、自分の本来の人生から逃げて、ただ生きているだけの日々を描く。仕事でさまざまなピアノに出逢う。同時にそのピアノを所有する人たちとも。彼(彼女)たちのピアノへの想い、もちろん自分自身の抱える想いもそこには反映される。ひとつひとつのエピソードが主人公である彼に影響を与えていく。
やがて、静かにゆっくりと変わっていく。はずだった。だが、第6話でいきなり変調する。東日本大震災である。仙台でコンサートのため出張していた時、地震に遭う。自分が今まで抱えてきたものが、すべて根こそぎひっくり返されるほどの衝撃を受ける。小説としては終盤に至ってのこの突然の出来事はバランスを欠く。だが、熊谷さんは、ここをはずせなかった。3・11以前から書き始めていたこの連作は3・11以降も当然書き続けられる。その中で、それまでの流れを引き継ぎ、予定通りの終わらせ方をすることが出来なかったのだ。仙台在住の作家である彼が見たこと、それをこの小説の中に取り込まずにはいられなくなる。現実が小説を超える。その時、小説はもう意味をなさないのか。そうではあるまい。小説はその現実とどう格闘するのか。それが大切なことなのだ、と思う。だから、あえてバランスを欠くことになろうとも、こういう展開を求めた。
それは時事ネタを取り込んだ安易な終わらせ方なんかでは当然ない。震災が彼に与えたもの。そこから彼が何を受け止め、どこに向かうことになるのか。妻の死、と震災による多数の人たちの死を重ねるのではない。個人の問題だから軽いというわけではないことは、誰の目にも明らかだ。だが、圧倒的な衝撃の前で、自分のそれまでの価値観とか、考えなんてものが吹き飛ぶ。今、自分に出来る事とは何なのか。
最終話で、死んだ妻が出てきて、もう私は向こうに行ける、と言う。だから、あなたも自分の人生を生きて、と。先にも書いたが、これは安易な終わらせ方ではない。ぎりぎりの選択なのだ。ある種の選択をするときには、きっかけが必要だ。偶然のことだが、人生はそんな偶然に満ちている。だから、小説であろうとも、それを受け入れなくてはならない。
やがて、静かにゆっくりと変わっていく。はずだった。だが、第6話でいきなり変調する。東日本大震災である。仙台でコンサートのため出張していた時、地震に遭う。自分が今まで抱えてきたものが、すべて根こそぎひっくり返されるほどの衝撃を受ける。小説としては終盤に至ってのこの突然の出来事はバランスを欠く。だが、熊谷さんは、ここをはずせなかった。3・11以前から書き始めていたこの連作は3・11以降も当然書き続けられる。その中で、それまでの流れを引き継ぎ、予定通りの終わらせ方をすることが出来なかったのだ。仙台在住の作家である彼が見たこと、それをこの小説の中に取り込まずにはいられなくなる。現実が小説を超える。その時、小説はもう意味をなさないのか。そうではあるまい。小説はその現実とどう格闘するのか。それが大切なことなのだ、と思う。だから、あえてバランスを欠くことになろうとも、こういう展開を求めた。
それは時事ネタを取り込んだ安易な終わらせ方なんかでは当然ない。震災が彼に与えたもの。そこから彼が何を受け止め、どこに向かうことになるのか。妻の死、と震災による多数の人たちの死を重ねるのではない。個人の問題だから軽いというわけではないことは、誰の目にも明らかだ。だが、圧倒的な衝撃の前で、自分のそれまでの価値観とか、考えなんてものが吹き飛ぶ。今、自分に出来る事とは何なのか。
最終話で、死んだ妻が出てきて、もう私は向こうに行ける、と言う。だから、あなたも自分の人生を生きて、と。先にも書いたが、これは安易な終わらせ方ではない。ぎりぎりの選択なのだ。ある種の選択をするときには、きっかけが必要だ。偶然のことだが、人生はそんな偶然に満ちている。だから、小説であろうとも、それを受け入れなくてはならない。