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映画・演劇のレビュー

『アメリカン・ギャングスター』

2008-02-08 23:53:05 | 映画
 2時間37分の大作である。リドリー・スコットはいつもの通り細部まで全く手を抜かない。完璧に作られた工芸品のような映画である。68年から75年のベトナム戦争終結の年まで。ハーレムで麻薬を低価格で良心的に(!)販売していた男(デンゼル・ワシントン)の物語である。同時に、正義のために麻薬組織を撲滅するという執念に取り付かれた捜査官(ラッセル・クロウ)の話でもある。マイケル・マンの『ヒート』を思い出させる。

 何が正しいことで、何が間違ったことなのかなんてことがすぐにはわからなくなっていくような腐りきった世界の中で、主人公2人のそれぞれの生き方が描かれる。この2人の男たちはそれぞれ自分の正義のために生きることになる。ギャングなのにいつもきちんとした身なりをし、家族を大事にし、仕事に情熱を傾ける男。かたや、自分の事だけで精一杯で家族を顧みない勝手でルーズな男。ニューヨークの麻薬取締官の4分の3が汚職をしているという現実の中で、それでも正しい行為をしようとして組織の中から完全に浮いてしまう。映画は全く対照的なこの2人を描きながら彼らがようやく最後に一瞬すれ違う。そんな瞬間までを描く。

 70年代のアメリカってこんなにも野蛮なところだったのだ。それは当時見た映画でも描かれていたことだ。NY市警の腐敗を描いたアル・パチーノの『セルピコ』なんかを思い出してしまった。70年代にリアルタイムで見た映画が「今」として見せた風景が「再現」されている。30年以上前のことだから、当然のことかもしれないが、それってなんだか不思議なことだ。僕が小中学生だった頃のことなのだ。そんなのついこの前のことで、なのにそれが再現困難なくらいに昔のこととなる。そんな当たり前のことに何だか感心してしまう。

 リドリー・スコットが作り上げた70年代のハーレムは実はリアルとは言えない。彼の冷めた目線よって描かれる世界は彼の見た70年代であり、それは『ブラック・レイン』が彼の思うオオサカであり、『ブレード・ランナー』が彼の21世紀であったのと同じことだと思う。現実にあった出来事を描いても、遠い異国や、遥かな未来でも、彼は同じように自分の世界、自分というフィルターを通して見えてきたものとして構築する。

 ここにあるのは、この手のギャング映画によくある熱気はない。熱い生きざまではなく、、とてもクールである。当然デ・パルマの『スカーフェイス』、コッポラの『ゴッドファーザー』、スコセッシ『ギャング・オブ・ニューヨーク』のような映画にはならない。荒涼とした風景はフランク・ルーカスの生きた時代をリアルに描いたものではなく、あの時代を熟知するリドリー・スコットの心象風景であろう。この映画はギャング映画の傑作というよりも彼の拘りが作り上げた世界としてみたほうがいい。

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