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映画・演劇のレビュー

『夕霧花園』

2021-08-18 10:43:40 | 映画

今年いちばん期待していた映画だ。昨年春の大阪アジアン映画祭で上映された時には後できっとすぐに公開されるものと思っていた。だから見逃してもあまり気にしてなかったのだが、その後いつまでたっても上映はなく、もしかして日本公開はなくなったのかと心配していた。ようやく見ることが叶ってうれしい。

トム・リン監督の映画が好きだ。彼の真面目さや純粋さはその作る映画からいつも溢れている。だからいつも見ていて胸がいっぱいになる。デビュー作の『九月に降る風』はノー・スーパーで見た。日本での劇場公開前だ。妻が台湾で買ってきたDVDの1本だった。話している事の中身は分からないのに、最後まで見た。ものすごくよかった。胸に沁みた。しゃべっている内容がわからなくても描かれていることがちゃんとわかる。その映像から彼らの想いが伝わるからだ。あの1本で彼が好きになった。

2本目の『星空』は大阪アジアン映画祭で見た。主人公の少年少女の旅がすばらしかった。改装前の台北駅でふたりが旅に出るシーンからラストまで。ある種のファンタジーなのだけど、ここでも彼らの心の襞すら伝わってくる。とても繊細で優しい映画だった。これも何度かノー・スーパーで見ている。ちゃんと台湾でDVDを購入したからだ。

3作目の『百日告別』は特別な映画だった。トム・リン監督の亡くなった妻への想いがこめられた作品だ。丁寧にひとつひとつを掬い取っていく。まだ3本目だったけどあれは彼の映画の集大成だろう。

そして、5年。ようやくやってきた彼の4本目の映画がこの作品だ。今回彼は台湾を離れてマレーシア映画に挑む。しかも歴史大作である。阿部寛が参加している。彼のキャリアにおける第2期のスタートを飾る作品だ。

だけど、どうしたことだろう。映画が始まってしばらくしても少しも心動かされない。こんなはずじゃないだろ、と思いつつスクリーンを凝視した。映像は美しい。衝撃的なシーンもあるけど、それが全体の静かな描写のなかにちゃんと収まる。描こうとしたこともわかる。盛りだくさんになりすぎたことが原因なのか。ちゃんとつたわらないもどかしさばかりがつのる。

3つの時間が描かれる。戦時下で死なせてしまった妹への想いを引きずり、彼女を殺した日本人を憎む気持ちは今もある。でも、ひとりの日本人庭師と出会い、彼に心惹かれていく。そこに彼が抱える想いも交錯し、彼と共に日本庭園を造る仕事を通しての恋物語が描かれていく、はずなのだけど、まるで映画が弾まない。丁寧に作られているのは今までと同様だ。だけど、このお話に僕はまるで乗れなかった。

ミステリ仕立ての現代のシーンにも違和感を抱いた。3つの話が少しも重ならない。なんだか別々の映画を見ている気分だ。どうしてこんなことになったのだろうか。重い歴史の1ページが描かれる。だけど、それがまるで胸に迫ってこない。きれいごとにしか見えない。このマレーシアが国を挙げて作った大作映画を任され、その重圧から自由な立場を持てなかったことも相俟って、不完全な作品になってしまったのだろうか。初めてのビッグ・プロジェクトに、トム・リンは自分の個性を生かしきれなかったのだろうか。

この題材を任され、勝算はあったから引き受けたはずなのだ。戦争の悲劇を描き、そこには明確な善と悪があるわけではない、ということをひとりの中華系マレーシア人の女性の視点から描くというこの企画自体は彼にとって不本意なものではなかったはずだ。阿部寛演じる日本人の描写があまりに不自然だったとしても、その根底にあるものはトム・リンにとって自然な感情だったはずだ。そこには嘘はない。力量不足だったとは考えたくはないけど、残念過ぎるけど、僕には伝わらなかった。とてもショックだ。


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