まるで石井隆はデビッド・リンチの『インランド・エンパイア』と同じようなことをやろうとしているように見える。女優が映画と現実を混同してしまい、自分自身の心の在り処を見失ってしまう。
何よりよく似ているのは、現実と空想、映画とのあわいが明確でないという部分だ。だから全てが幻想に見える。映画の拠りどころを放棄するので、摑み処がなくなる。2時間なり3時間なりを見続ける力はそこにあるというのに、それを放棄させたなら、もうどうにでもなれ、というしかない。彼らは、そんな行為を平気でする。もちろん石井隆はリンチほどはしないが。
石井にはまだ、言葉に於けるサインがあるのだ。そのことで映像自体を識別できるようにもなっている。ヒロインの名美(喜多嶋舞)が、場面場面で暴走しそうになると、はっきりと「それは違う」と言う。そのしっかりした物言いを信じる。しかし、彼女が言っていることも、さらには石井隆が描いていることにすら、明確な論理性がない。信じたくても信じきれない。
現実があって、映画があって、この2つが互いにリンクしており、映画の中にはさらにもうひとつの映画があり、それらが、微妙に共鳴しあうことで、現実自体までもが、揺らいでくる。
最初は、この話のどこかに真実がある、それを見極めようと思いスクリーンを見つめていた。どこがフェイクでどこに真実が隠されているのか、ドキドキしながら、見ていた。しかし、あまりに微妙すぎるし、一貫性がないから、見極めることが不可能になってくる。
女優が雑誌編集者(竹中直人)のインタビューを受けている、という一番外枠の話も、本当は嘘で、精神を病んだ女優が、医者の治療を受けている、というのが真実だ、というどんでん返しすら、嘘っぽく見えてくる。拠りどころとなるものはどこにもないということだ。病院内であるはずの場所が、実は映画のスタジオで、そこにはいくつものシーンのセットが並んでいる、というラストシーンも、それが真実か否かは明確でない。それすらも、彼女が見た幻想に過ぎないのかもしれないからだ。
夫(永島敏行)との関係が崩れていく過程も彼女の目を通してしか語られ(描かれ)ないから、本当は、どんな人物だたのかも分からない。この辺をもう少し融通を利かせて、夫の側からの描写を入れてもよかった気もするが、そこは徹底させている。あくまでも彼女の主観という基本ラインは絶対に崩さない。唯一インタビュアーである編集者の主観は入るが、それすらも彼女が自分の考えを明確にするために、手助けの域を出ない。
この映画の全てが、名美という女の見た性的妄想でしかないのかも知れないが、現実問題として、彼女の夫とその愛人は、彼女に殺されているし、彼女のマネージャー(津田寛治)は彼女を強請ろうとした女を殺している。この映画の中で描かれたことは、すべて現実に起こっている。しかし、その背後にあるそれぞれの思いは必ずしもこの映画が描いたままとは言い切れない。すべては、彼女の心の目が見た映像として提示されてあるからである。
これは石井隆の集大成的大作である。だが、石井自身の演出力が、ピークを過ぎており、ここにはかってあったような驚きがないのが辛い。衝撃的な描写ではなく、女の情念のようなものが、映画の中から迸り出てくることがない。描写は、ただただ、美しいだけである。正直言って、とても面白いのに物足りない。過激な描写はあまり気にならない。当然これはエロ映画ではない。
何よりよく似ているのは、現実と空想、映画とのあわいが明確でないという部分だ。だから全てが幻想に見える。映画の拠りどころを放棄するので、摑み処がなくなる。2時間なり3時間なりを見続ける力はそこにあるというのに、それを放棄させたなら、もうどうにでもなれ、というしかない。彼らは、そんな行為を平気でする。もちろん石井隆はリンチほどはしないが。
石井にはまだ、言葉に於けるサインがあるのだ。そのことで映像自体を識別できるようにもなっている。ヒロインの名美(喜多嶋舞)が、場面場面で暴走しそうになると、はっきりと「それは違う」と言う。そのしっかりした物言いを信じる。しかし、彼女が言っていることも、さらには石井隆が描いていることにすら、明確な論理性がない。信じたくても信じきれない。
現実があって、映画があって、この2つが互いにリンクしており、映画の中にはさらにもうひとつの映画があり、それらが、微妙に共鳴しあうことで、現実自体までもが、揺らいでくる。
最初は、この話のどこかに真実がある、それを見極めようと思いスクリーンを見つめていた。どこがフェイクでどこに真実が隠されているのか、ドキドキしながら、見ていた。しかし、あまりに微妙すぎるし、一貫性がないから、見極めることが不可能になってくる。
女優が雑誌編集者(竹中直人)のインタビューを受けている、という一番外枠の話も、本当は嘘で、精神を病んだ女優が、医者の治療を受けている、というのが真実だ、というどんでん返しすら、嘘っぽく見えてくる。拠りどころとなるものはどこにもないということだ。病院内であるはずの場所が、実は映画のスタジオで、そこにはいくつものシーンのセットが並んでいる、というラストシーンも、それが真実か否かは明確でない。それすらも、彼女が見た幻想に過ぎないのかもしれないからだ。
夫(永島敏行)との関係が崩れていく過程も彼女の目を通してしか語られ(描かれ)ないから、本当は、どんな人物だたのかも分からない。この辺をもう少し融通を利かせて、夫の側からの描写を入れてもよかった気もするが、そこは徹底させている。あくまでも彼女の主観という基本ラインは絶対に崩さない。唯一インタビュアーである編集者の主観は入るが、それすらも彼女が自分の考えを明確にするために、手助けの域を出ない。
この映画の全てが、名美という女の見た性的妄想でしかないのかも知れないが、現実問題として、彼女の夫とその愛人は、彼女に殺されているし、彼女のマネージャー(津田寛治)は彼女を強請ろうとした女を殺している。この映画の中で描かれたことは、すべて現実に起こっている。しかし、その背後にあるそれぞれの思いは必ずしもこの映画が描いたままとは言い切れない。すべては、彼女の心の目が見た映像として提示されてあるからである。
これは石井隆の集大成的大作である。だが、石井自身の演出力が、ピークを過ぎており、ここにはかってあったような驚きがないのが辛い。衝撃的な描写ではなく、女の情念のようなものが、映画の中から迸り出てくることがない。描写は、ただただ、美しいだけである。正直言って、とても面白いのに物足りない。過激な描写はあまり気にならない。当然これはエロ映画ではない。