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映画・演劇のレビュー

『管制塔』

2011-12-19 21:47:40 | 映画
 この世界の果てまで行きたい、と願う。もう、どこにもいたくはない。どこにも自分の居場所なんかないからだ。少年は、ずっとこの北の街で暮らしてきた。両親と弟と、4人家族だ。別に何の不満もない。いい家族だ。両親は理解があるし、弟はかわいい。だけど、彼は誰にも心を開かない。部屋の押し入れの中で寝る。まるで幼い子供のようだ。もう15歳で、もうすぐ高校生になる。学校でも、いつもひとりで、どこにもつながっていないイヤホンを耳に入れて周囲を拒絶する。だから、誰も彼に近づかない。

 少年は生まれたときから、この街にいて、ここから一歩も出たことがない。そんな少年のもとに一人の少女がやってくる。この街に、彼の中学に、転校してきた。少女は、父親の借金のため、住んでいた街を追われ、流されるように、町から町へと彷徨ってきた。今度はこの北の果ての街に。

 最果ての場所で、彼女は彼に出会ったのだ。この小さな映画には彼ら2人しか出てこない。クラスメートも先生も、そこに居ても居なくても同じだ。2人は周囲なんか何も見ていない。自分しかそこにはいない。

 少年は少女と出逢い、彼女と時間を過ごし、ほんの少し、変わった。彼女に導かれて、音楽と出会う。物置の古いギターを引っ張り出して来て、手にする。初めて楽器に触れる。音を奏でる。ぎこちなく、震えるように。やがて、音楽が生まれる。少女は「君なら出来る」と少年を励ます。自分たちのオリジナル曲を作る。満足に楽器も弾けないのに。「オーディションを受けよう!」と言う。びっくりする。まだそんなレベルではなんし、とこたえる。大丈夫。ほんと、だろうか。でも、彼女がいうと、そんな気がする。

 2人だけの時間が流れる。きっとこのままずっと、こんなふうに、時間が続けばいい。幸せな時間だ。でも、わかっている。ありえない。こんな時間は絶対に一瞬のことだ。だから、彼女は今を心から楽しんでいるようだ。僕は、ただ彼女についていく。

 管制塔を見に行く。2人が暮らす場所からは、更に遠くに見えるその場所に、2人でいく。そこで、街を見下ろす。雪に閉ざされた街。一面の白。そこから彼らは世界を見る。ここは日本の最北端。最果ての街。でも、彼女はここから、もっと遠くの、世界の果てに行きたいと言う。

 誰よりも一番よく知っている。すぐにまた、ここを追われる。見知らぬ街でたったひとりで、孤独に生きることだろう。だから、どこかで、誰かが、見てくれている。そう想うと、勇気が出る。管制塔から彼が見守ってくれる。そんな気がする。映画のラストシーン。街の雑踏の中で、彼の歌が聞こえる。彼女は振り向く。その笑顔を捉える。

 こういうポエムのような映画を作りたかったのだろう。音楽のあるささやかな風景。『ソラニン』の三木孝浩監督の最新作だ。たった68分のもとて短い映画。昔の岩井俊二のような映画だ。こういうものって最近なかった。とても新鮮だった。稚内の街自身が主人公のような映画だ。『ソラニン』も、とても好きな映画だった。これはありふれた映画なのかもしれない。どこにでもあったような映画だ。だけど、どこにでもあるラブストーリーがこんなにも心に沁みるのも事実なのだ。

 何も言わない。語らない。ただ、そこに、彼らがいる。時は経ち、そして、やがて彼女は去っていき、自分ひとりが残される。また以前と同じような退屈な日々が戻ってくる。何も変わらない。でも、本当は、知っている。音楽は彼を変えた。彼女の残り香が、彼にこの歌を作らせた。そして歌わせる。彼女の気配、雰囲気、面影。これは彼女そのものだ。だから、彼は歌う。ここに自分はいる。君を想う。  

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