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映画・演劇のレビュー

劇団すかんぽ長屋『深川生首橋』

2020-07-19 17:47:45 | 演劇

実に4か月振りになる本格的「小劇場演劇」観劇である。コロナ下での上演中止に最後まで抵抗して、上演した前作から4か月、予定通りのスケジュールで今回の公演を強行した神原さんたちの覚悟のほどが伝わってくる作品だ。だけどそこには悲愴感はない。それどころか、まるでいつも通りで変わりない。あっぱれだ。この状況であろうとも、(どんな状況であろうとも)変わることのない「いつもの自分たち」を、お客さんに届ける。舞台はナマでなくてはならない。そこに役者がいて、ここに観客がいる。自分たちのやりたいことを妥協することなく表現する。ただそれだけ。そんな当たり前のことが困難な現実の前で、彼女は立ち止まったりはしない。堂々と受けて立つ。その強さには頭が下がる。(僕にはそんな強さはないから。)

今が夏であることすら、忘れていたのに、神原さんは「夏は怪談でしょ!」と、この芝居をぶつけてくる。白峰さんなんて、全編首から上だけで演じる。(生首女なので)終演後の挨拶でも、首から上だけで登場。

お話はいつものように単純で、わかりやすい。ただ、今回、久々に人がムダにたくさん死ぬ。まぁ、それは神原さんお得意のパターンでもある。生きるも死ぬも紙一重。生きているものと死んでいるものとの差なんて微々たるもの。善悪も同じく、紙一重。だから精一杯に今を生きる。そんな当たり前のことを、あっけらかんとして描いてくれる。

過去3回のすかんぽ長屋とは少しタッチが違う。(だいたい「すかんぽ長屋」が舞台ではないし)恋愛ものというわけでもなく、一応凄惨な復讐劇なのだけど、でも、それがこんなにもあっけらかんとした芝居になる。この内容であろうとも、この明るさこそが神原ワールドだ。何があろうともさらりと流していく。でも、どんな困難が待ち受けていようとも自分は曲げない。それでこそ神原さんだ。


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