
来月にDVD発売されるようだ。この夏、期待して見に行った。で、がっかりして、書く気もしなかった映画だ。せっかくのDVD公開なので、思い出しながら、少しこの映画について書きたい。
中田秀夫監督は信用している。『リング』1本で、彼はホラー映画の巨匠になった。その後も、たくさんの傑作を作ってハリウッドにも進出した。だが、近年、まるで精彩を欠く。どうしてこんなことになったのか。彼のもとに集まる企画がマンネリ化していて、それで彼自身もモチベーションが落ちているのも原因だろう。この新作の企画なんて、正直言って最悪だ。どうしてこんなB級映画の韓国映画リメイクなんかしなくてはならないのか。わけがわからない。アイデアが素晴らしいのならともかく、この程度の話ならオリジナルでいくらでも作れる。
すべての人間を自由に操ることのできる男と、彼が唯一操ることのできなかった男。彼らの究極の対決。悪くはない話だ。作り方次第では。だが、それには、かなりよくできた台本が必要だ。お話の展開をうまくしなければ緊張感を持続できない。ただのバトルでは噴飯ものになる。
しかも、山田孝之と藤原竜也を主演に迎えて、彼らのバトルを展開していくのだ。これは絶対に心理戦にしなくては意味がない。うまい役者を使い、2人を対決させるのなら、アクションとか、CGとかはいらないはずだ。彼らの芝居を引き出すような台本が必要で、中途半端なアクションなんかいらない。なのに、まるでそうはしない。ふたりとも何のために呼ばれたのだか、わけがわからない。こんな芝居でいいのなら、2流のジャニーズ系の若手でも呼んできて、アイドル映画にでもすればいい。
圧倒的に台本が悪い。しかも、石原さとみまで、ヒロインとして起用したのに、彼女に何もさせないって、何? ふざけるのも大概にして欲しい。ふたりの男の間に立ち、最終戦争を見守るミューズとでも設定しなくては意味をなさないはず。どちらかの側に立ってはならないのに、完全に山田側の陣営に入る。ええもん(山田)とわるもん(藤原)。そういう図式はお子様ランチに任せるべきで、ちゃんとした映画がそういうパターンで作られるべきではない。
と、ここまで書いてきて、やはり、この映画について書く必要はなかった、と思う。時間のムダだ。とても、期待した。それだけに見たときの失望がいかに大きかったのかを思い出すことになった。むなしい。
中田秀夫監督は信用している。『リング』1本で、彼はホラー映画の巨匠になった。その後も、たくさんの傑作を作ってハリウッドにも進出した。だが、近年、まるで精彩を欠く。どうしてこんなことになったのか。彼のもとに集まる企画がマンネリ化していて、それで彼自身もモチベーションが落ちているのも原因だろう。この新作の企画なんて、正直言って最悪だ。どうしてこんなB級映画の韓国映画リメイクなんかしなくてはならないのか。わけがわからない。アイデアが素晴らしいのならともかく、この程度の話ならオリジナルでいくらでも作れる。
すべての人間を自由に操ることのできる男と、彼が唯一操ることのできなかった男。彼らの究極の対決。悪くはない話だ。作り方次第では。だが、それには、かなりよくできた台本が必要だ。お話の展開をうまくしなければ緊張感を持続できない。ただのバトルでは噴飯ものになる。
しかも、山田孝之と藤原竜也を主演に迎えて、彼らのバトルを展開していくのだ。これは絶対に心理戦にしなくては意味がない。うまい役者を使い、2人を対決させるのなら、アクションとか、CGとかはいらないはずだ。彼らの芝居を引き出すような台本が必要で、中途半端なアクションなんかいらない。なのに、まるでそうはしない。ふたりとも何のために呼ばれたのだか、わけがわからない。こんな芝居でいいのなら、2流のジャニーズ系の若手でも呼んできて、アイドル映画にでもすればいい。
圧倒的に台本が悪い。しかも、石原さとみまで、ヒロインとして起用したのに、彼女に何もさせないって、何? ふざけるのも大概にして欲しい。ふたりの男の間に立ち、最終戦争を見守るミューズとでも設定しなくては意味をなさないはず。どちらかの側に立ってはならないのに、完全に山田側の陣営に入る。ええもん(山田)とわるもん(藤原)。そういう図式はお子様ランチに任せるべきで、ちゃんとした映画がそういうパターンで作られるべきではない。
と、ここまで書いてきて、やはり、この映画について書く必要はなかった、と思う。時間のムダだ。とても、期待した。それだけに見たときの失望がいかに大きかったのかを思い出すことになった。むなしい。