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映画・演劇のレビュー

『はちどり』

2020-07-30 23:10:42 | 映画

この夏いちばん見たかった映画を見たのだけど、なんだか思っていたような映画ではなくて、戸惑う。でも、それってこの映画のせいなんかではなく,僕の勝手な思い込みのせいだ。だから、自分が悪い。甘いノスタルジックな懐古趣味のドラマを期待したわけではないけど、この厳しさは今の弱り切った僕にはキツい。

この映画の直前に飯塚健監督の『ステップ』を見た。これもいい映画だった。たまたまこの2本を連続で見たのだけど、『ステップ』が1人の女の子の2歳半から小学卒業までの10年間のお話で、『はちどり』は、中二の頃のある女の子のお話。2010年から20年の東京。1994年韓国ソウル。別々の国、時間なのに、2本はなんだか続いているみたいな感じで、見た。ある種の普遍性を持った「ひとりの少女」の人生のドラマって感じ。もちろん置かれている状況はまるで違う。でも、ふたりとも過酷な環境の中、全力で生きている。さて、今はまず、『はちどり』の話だ。

ケンカの絶えない両親。暴力的な兄、自分勝手な姉。そんな5人家族。彼女は、ただ自分の置かれた環境で、なにひとつ文句も言わないで、生きている。耐えて、それを受け入れて、我慢しているのは確かだ。でも、そんな日々を不満に思うのではない。こんなものだと思う。嫌なことばかり。腹立たしいことばかり。ささやかな喜びはないわけではないけど、でも、そんなものすぐにかき消される。

映画の冒頭に、こんなシーンがある。家に帰る、ドアを叩く。誰も開けてくれない。「おかあさん、開けてよ!」と叫ぶが無視される。絶対に母は家にいる。なのに、反応はない。不安になる。腹立たしい。これはどういうことなのか、と。そこに象徴されるものが2時間20分に及ぶこの映画の全編を貫く。実は、自分の家は10階なのに、9階のドアを叩いていただけで、階を間違っていただけだったのだ。だからお母さんはちゃんといたし。でも、そのエピソードをこの映画はただのうっかりミスというふうには捉えられない。普通ならそれは笑い話だ。でも、この映画は、そこに彼女の抱える不安を象徴する。

過酷な現実が描かれる。それを、かわいそう、とかいうのではない。映画は、冷静に、ただ、ドキュメンタリーのようにそんな彼女の日々をスケッチしていく。彼女はそこにいて、自分の置かれた現実と向き合う。生きている。映画を見ながら、理不尽なことを、受け止め、抵抗するのではなく、ただそこで自分なりに生きていく。そこでなんとか、道は開ける。たぶん。そのくらいの淡さで彼女の日々が描かれていく。だからつらい。

元気になれるという映画ではない。だけど、そんな彼女を見つめ続けることで、何かが変わっていく。大きく変わるわけではないし、少しずつ、というレベルで、だ。運命はほんの少しのところで、明暗をわける。橋の崩落事故で、たまたま彼女の姉は助かるが、先生が死ぬ。突然の死、という事実と向き合い、彼女は動揺する。でも、その事実を受け止めるが、もちろんどうしようもない。監督の自伝的作品だ。自分が生きた時代を、その時の気分を、忠実に映画化した。あの時、何を思い、何を感じたのかを、今一度、冷静に検証して見ることで、自分を知る。14歳の少女の心を映画というかたちで表現した。

 


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