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映画・演劇のレビュー

リバーベッドシアター『電気仕掛けの夢』

2007-08-20 10:00:29 | 演劇
 舞台中央には0014と書かれたグリーンの箱。台湾の軍隊で使われているものらしい。それをテーブルにして使う。後ろに置かれた椅子に座る女。コの字型に組まれた背景の美術は、オレンジを基調のした禍々しい雲。無表情な女の口の中に水を入れていく。どんどん入れていく。溢れてくる。さらには、水が入っていたボトルを口に突っ込む。顔に布がかぶせられる。

 絵画、オブジェ、人。それらが一体となって、一つの世界を作り上げていく。シカゴ出身の演出家グレイグが率いるリバーベッドシアターが台北からやってきた。3年程前、ISTで始めて彼らのパフォーマンスに触れたが、長編は今回が初めてなので、期待した。なのに、1時間弱の中篇作品。ドラマ性がないから、これを長編にしたならどんなものになるのか、気になっていただけに、少し肩すかしを食らった気分。「あたかも1枚の巨大な絵画が刻々と変化する様を見ている心地よさがあった。」というレプリカントの佐藤さんの言葉が彼らの作品世界を的確に表現する。

 ゆっくりと表情もなく、人が動いていく。まるで、能舞台を見ているようだ。演じるというよりも、動くオブジェという方が適当だろう。ここでは、人がモノのように存在する。しかも、ほとんどセリフ(というよりも、人の発する音)もなく、音楽も最小限に抑えられている(歌は所々に効果的に挿入されるが)。とても静かな空間を提示する。そして、そこには何もない。何らかのテーマを示すための劇ではない。静かな空間を絵画のように見せることだけに終始する。その中に驚きがあるのだが、それは意味には繋がらない。

 絵画が動いていく。シュールな空間は驚きを示すためのものではなく、一つの風景のように、自然なものを見せる。実際にも背後の額縁の絵が動く。それは巻物のように絵自身が横に動かされていくのだが、そのうちそこに人が入り、額縁の中で映像が演じられることになる。一瞬で終わるが、このシーンはこの集団の描こうとするものを象徴的に示している。

 体が傾いたまま眠りにつく女。グロテスクな(作り物だが)むき出しの胸とお腹を見せる妊婦。そのお腹が女の頭を包み込む。(お腹が開いてその中に女の顔が嵌るのである)テーブルに置かれた小さな家の中には人の顔が入っている。帽子を脱ぐと頭の中が見えてしまう老人の人形。目に見える帽子は本来頭を包み込むものなのに、帽子を取るとあるべきはずの頭がない。

 ここに見えているものがすべてではない。確かオープニングの字幕でもそんなことが語られていた。テーブルの上で本を広げてページを繰る老人(の人形)。彼の読む本の中身は背後のスクリーンにプロジェクタ-を通して映し出される。しかし、気付くとその本の映像が動き出す。何が事実で何がフェイクか分からない。それに、そんなことどうでもいい。クレイグは自身のイメージを淡々と見せるだけだ。そこにもう少し強い意志のようなまのが感じられたならいいのだが。

 オーディションで選ばれた日本人キヤストとのコラボレーションとして作られた今回の作品は彼らが本国でやっていることとあまり変わりがないはずだ。クレイグは人をオブジェとして扱うから、日本人であろうと台湾人であろうと変わりがないのではないか。今回はゲストとして呼んだ遠坂百合子と栃村結貴子を中心にして、全体が構成されてある。2人がさすがに上手い。台湾から来た役者たちは、背後に回る。さらに、4人の背後にはマグリットの山高帽の紳士たちを思わせる人物たちがコロスとして登場する。(これをオーディション組が演じる)

 イメージの連鎖には、一貫性がなく、つながりもないまま、でも流れていくように見せていく。物語ではなく、イメージが、世界を作る。この世界がひとつの夢を提示する。これが「電気仕掛けの夢」というのか。よく分からない。

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