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映画・演劇のレビュー

『夜明けの街で』

2013-06-21 22:53:24 | 映画
 原作小説は東野圭吾が恋愛物に挑んだ作品で、なかなか面白いのだが、それが映画になると、どうして、こんなことになるのだろうか。ストーリーの表面をなぞっただけではダメ。しかも、原作が一応ミステリー仕立てになっているのでそのまま踏襲したのだが、そこがさらに映画を安っぽくしている。原作もそこが欠陥だったのだから、やめてもよかった。東野圭吾はちょっと自信なかったのだろうなぁ。だから、保険のつもりでこういう展開を挿入したのではないか。そういう作者の弱気をちゃんと踏まえて、若松監督は、逃げることなく、「不倫もの」の王道を行くべきなのだ。ただの恋愛映画にはしたくないというのなら、原作以上の仕掛けを施せばいい。自分に逃げ道を作ってはならない。彼は、超大作である『沈まぬ太陽』でも、『ホワイトアウト』でも、あれだけ攻めの姿勢を貫いたのに、どうしてこういう小さな話ではそれができなかったのか。

 安易な不倫ではなく、誠実なはずの男が不倫に巻き込まれ、(まぁ、自分のせいですが)どんどん深みにはまっていく。やがて、彼女は去り、妻との間には深い溝ができる。地獄だ。でも、自業自得。ある意味、当たり前すぎてなんの面白味もない話である。だからこそ、これを丁寧に撮ることで、すごい映画にすることもできるはずなのだ。若い女に溺れる中年男という図式にどこまでリアリティーを与えるかが監督の腕の見せ所。

 岸谷五朗が、派遣で来た深田恭子にはまっていく過程はそれなりに、説得力がある。やがて、自分をなくして、どんどん彼女との関係に突き進んでいく愚かさは見ていて痛々しい。でも、まじめで、一生懸命で、本人にとっては切実。そういう第三者が見たら、バカだなぁ、と思えるけど、当事者にしてみると命懸けという滑稽さが、リアル。しかも、ただのパターンではなく、自分たちだけは特別、という気分がちゃんとわかるのもいい。でも、あまりに彼がバカすぎて、だんだんそれはやりすぎだろ、と突っ込みたくなる。純粋過ぎるのだ。恋愛に免疫がないから、本気と遊びの区別がつかない。でも、だから、いい人なのだ。でなくては、こんな映画見ていられない。

 監督があと少し距離感を保って彼らの姿を見守ることができたならよかったのだが、監督が岸谷目線になってしまうので映画は少ししょぼくなる。これはもっとクールに描かれなくてはならない素材だ。あまりにありきたりだからこそ、そこには客観性が必要なのである。ラストの15年前の事件の時効を巡るお話はあまりに安易。そこかよ、と突っ込みたくなる。もちろん、この映画はそこではない。


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