
この短編集を読みながら、そのあまりに心地よさに陶然となる。川上弘美の世界はいつも同じだから、読みながら、この小説絶対に読んだことがあるよ、と思った。でも、2013年10月出版だから、もし読んでいるなら、2014年ということになる。昨年のことだ。昨年これを読んだ記憶はないから、絶対に思い違いである。でも、まるでデジャブみたいに、描かれるお話に記憶がある。もちろん、ほかの川上弘美の短編集にあるお話にここで描かれたようなお話が多々あるから、そういうことなんだ、と思うことにした。それにしても、いくつものお話が既視感ありすぎ。
読み終えたのに、しばらく、この本を置いたままだったので、まだ読み終えてないと思い、持って出た。電車の中でしおりのページから読み始めると、なんだか、また、読んだ予感。しばらく読んで、(3つくらい)改めてもう読んだよ、と思う。さすがに、1週間前くらいのことなので記憶は鮮明だ。でも、そのまま、最後まで再び読む。同じ話なのに、やはり新鮮。『9月の精霊』から最後まで読んだ。
とても好きなお話ばかりで、何度でも読みたくなる。読んだ鼻からまた読んでもドキドキするくらいに新鮮。21篇のお話は、いずれもたわいない出来事ばかり。すぐに忘れてしまいそうな。でも、そこに横たわる空気は、消えることがない。心に中に永遠に残る。
自分の色が見える。死んでいる人が確かにいる。何も言わないけど、そこにいて、見つめている。見える人には見えるけど、見えない人には見えない。自分の名前を信じられない人もいる。とてもいい人だから、結婚できない人がいる。精霊や妖怪やお化けが見える。でも、それは特別なことではなく、その人にとってはただの日常茶飯事。小さな人や、宇宙人なんかも、当然いる。困ったなぁ、と思うこともある。でも、どうしようもないし、本当はそれほど困らない。だって、それが日常だからだ。
この文を書くために、この本をもう一度手にした。パラパラとめくる。目にしたページから読む。止まらなくなる。お話の途中からでも構わない。そこから読んでしまう。「恋をすると、誰でもちょっぴりずつ不幸になるよ。」と帯に書いてある。確かに、そんなお話なのだ。それは別に不幸なことではない。ただの事実だ。そんなちょっぴりの積み重ねが生きることなのだろう。生きることは楽しい。心の隙間を描く。そこには何もない。でも、その何もなさがなぜかいい。生きていることはそんな何もない毎日を積み重ねることだ。ちょっぴりずつ不幸になるのは不幸ではない。