習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『叫』

2007-03-25 22:47:01 | 映画
 最悪のコンディションの中で見た。1日働いてボロボロになった身体を引き摺ってシネリーブル梅田に行く。9時15分からのレイトショーしか上映がないから、仕方ない。少し頭も痛いし、身体は休養を欲しがっている。なのにこんな時間から映画を見る。明日はいつも通りに仕事があるから、6時には起きなくてはいけないのに。

 疲れているから座ってしまったら安心して眠くなる。やばい。何度も意識を失いそうになりながら、見た。この日に見なくては、この今年1番の期待作を劇場で見逃すことになる。それだけは何があっても避けたかった。年度末で毎日びっくりするくらい忙しく心身ともにまいっているけどそんなことを言ってたら本当に何も出来ない。と、いうことで黒沢清渾身の力作である。

 前作『LOFT』には少しがっかりさせられたが、それは彼の作品の特徴である重いタッチと軽いタッチの融合が今一歩うまく合致していなかったからだ。『ドッペルゲンガー』の脱力感と『アカルイミライ』の透明感。そして『CURE』の緊張感。それらが渾然一体となったような作品が作れないものかという苛立ちがあった。

 今回もどちらかというと、『LOFT』の路線で全体のバランスが悪い。ただあの映画ほど安っぽくならなかったのは主人公が役所広司だったということと、幾分全体が脱力系から緊張系へとシフトしていったことにもよる。ほんの少しのバランスが映画全体の方向性を決定付けることもある。黒沢映画はかなり微妙な世界なのでその辺の匙加減一つで出来がかなり変わってくる。ぎりぎりセーフって感じだ。

 幽霊の話なんていうバカっぽい設定は前回のミイラの話と同じでなんか乗り切れないが、今回はある一定のトーンで統一されているから『LOFT』にはならない。赤い服の女の謎なんてどうってことないし、恋人が死んでいた、というオチもそれほど凄いことではない。自分が犯人ではないか、と疑いながら犯人の捜査をしていく刑事の話というのもそれほど驚かない。

 黒沢清は原点帰りして『CURE』に近いタッチを見せてくれる。しかし、あの作品のような重量感がない。軽いのだ。それは彼の演出力が落ちてきたからではない。彼の興味のポイントがずれてきたことによる。しかたない。

 今は『カリスマ』を頂点にして緩やかな下降線を辿ってきた黒沢が、古典的なストーリーラインから、新しい物語を見出すための試行錯誤の時期なのだと思う。

 この作品を見ながら面白いし、力作だとは思いながらも、このお話のさらなる先が見たいと思った。これだけでは納得がいかないのだ。理屈を超越した恐怖の世界が見たい。『回路』や『CURE』を超える映画が見たいのだ。

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