これも家族のお話。ふたつの家族がひとつになる。父親が再婚して、新しいお母さんとお兄ちゃんができる。3人家族だったところに2人がやってきて、新しい家族が始まる。その最初の晩餐。でも、映画は実は最後の晩餐の話だ。これは父親の通夜のお話。
通夜振る舞いは最初に父がこの家族のために作ってくれた目玉焼きから始まる。永瀬正敏の父。斉藤由貴の母。彼らの子どもたちは染谷将太、戸田恵梨香。そして、窪塚洋介が演じる。父は65歳で死んだ.子どもたちは、もう充分大人になり、もう各自で生計を立てている。独立して、家にはいない。久々に実家に戻ってきた。子ども時代の日々がよみがえる。
彼は7歳だった。姉は6年生くらいか。新しく兄となった人は高校生くらい。両親は40代くらいか。最初はぎこちない。なかなか上手くつきあえない。お互いの距離を詰めるまでには長い時間がかかる。映画はその長さをちゃんと見せていく。簡単じゃないことを無口な文体で描く。この映画がいいのは、その嘘偽りのなさだ。安易な展開は一切ない。先日の『台風家族』も家族の再会を描いていたけど、(この映画も台風を描いていてそこも偶然だろうが、共通する)あのドタバタ騒動を描く映画とは真反対のタッチだ。もちろん別々の映画だし、アプローチもテーマも違う。ただ、葬儀をきっかけにした家族の集合と離散という偶然に一致がなんだか、興味深い。
通夜の席で、彼らが家族になるまでの日々や、今の彼らの姿を通して、家族って何なのだろうか、ということが改めて問われる。しかも、ふたつの家族がひとつになるという困難が、ふつうに他人同士だったふたりが結婚して家族を作るというパターンとは違うドラマを提示する。彼らの抱える問題をこの映画は明確にはしない。すべてを隠したまま、淡々と綴っていく。ラストで父の秘密(と、いっても食べ物の好き嫌いの話なのだが)が明かされて、みんなは笑う。それって一体何なんだ、と彼らは思う。ずっと暮らしてきたのに、知らなかったこと。それを他人から聞かされたとき、無口だった父の想いが胸に沁みてくる。なぜ義兄が出て行ったのか、その秘密も終盤に明かされるけど、大事なことはそこではない。知らさないことで、抱えることで、お互い何かを守り、大切にする。それは実は些細なことかも知れないけど、そんなささやかなことの積み重ねの中で人は生きている。この映画の主人公5人はみんな無口だ。いや、中心にいる姉と弟は、そうじゃない。彼らは必死になり、コミュニケーションをとろうとしてきたし、今もしている。でも、彼らだって、口を噤むしかない。父も義母も義兄も言わないからだ。だけど、彼らの作る料理は饒舌だ。この映画は食を巡るお話だ。特別なものではなくても、それが彼らには特別だったりする。それは最初のチーズの上の目玉焼きだけではない。