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映画・演劇のレビュー

『ジェミニマン』

2019-11-13 20:19:23 | 映画

 

アン・リーの新作なのだが、いくらなんでもこういう単純SFアクション映画をわざわざ彼が手掛けるのはなしだ、とも思う。でも、かつて『ハルク』も手掛けた彼である、どんな素材でも受け入れる、ということか。何を見せられるのか、ドキドキしながら劇場に入る。安易な映画ではあるまい。でも、職人技を求められそうな企画だ。では、なぜ、それを彼がやるのか。謎は深まるばかり。

 

でも、これはただの職人監督の仕事ではなかった。無理せず、狙い通りの作品を作るけど、そこに彼ならではの拘りをなくさない。そこから他の映画とは違うアン・リーらしさが滲み出ていて、まずは安心する。B級アクションの筋立てなのに、この重厚さ。ドラマ部分を蔑ろにはしない。だからといってエンタメであることを放棄しない。ウィル・スミス主演、ジェリー・ブラッカイマー製作のアクション超大作、という看板には偽りはない。でも、監督は誰でもいいという映画ではなく、確かにアン・リーでなくてはならない。そんな映画になっている。今回彼が拘ったのはクローンだ。

 

だけどこれは『ブレードランナー』にはならない。もう少し緩い。作家性を前面に押し出しアート映画を目指すことはない。あくまでも表面上は娯楽活劇で、セオリー通りの展開でいい。そこで今回の新機軸なのだが、それは期待通り(宣伝通り)ウィル・スミス対ウィル・スミスだ。CGで作られた23歳のウィル・スミスに演技させること。技術の進歩は凄まじい。こんなことが可能なのなら、もう役者なんかいらない、と言われそうな映画なのだ。だが、敢えてそういう映画を通して、コピー人間の孤独を描こうとする。最終的にはクローン人間を主人公にした。作られた人間であろうとも、同じ人間で、だから、泣くし,考える、悩む。アクション映画で二人の対決がメインになるはずだったのに、最後の方ではふたりは共に手を携えることになる。それこそ驚きの展開ではないか。CGで作られたウィル・スミスの演技に泣かされる。そこに秘められる複雑な想いをどう解釈したらいいのか。こんな映画はなかなかないだろう。技術で作られたものが、人間を超えるのなら、もう役者はいらない。だけど、それでも役者を必要とするのは、役者は作られたものにはない失敗をするからだ。そして、作られたものには出来ない意外性を発揮する。


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