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映画・演劇のレビュー

超人予備校『ほとんど人参』

2011-10-02 08:16:04 | 演劇
 今回の上演時間は105分です、というアナウンスを聞いた時、「最近の超人予備校って、だんだん長くなってきてるなぁ」と一瞬思ったが、すぐにそれは間違いであることに気づく。超人予備校の上演時間はいつも90分。それは最初からずっと変わらない。それは魔人ハンターミツルギさんの基本スタンスだ。このたわいない(敢えてそう呼ぶ)芝居にはそれ以上の長さは必要ない。シンプルでコンパクト。それが身上なのだ。では105分というのは、なぜか。そんなこと、わかりきったことだ。ニランジャンがサポートに入った『踊る綱吉くん』以降、ダンスシーンが必ず入るようになったためである。なんとも分かりやすい理由だ。(ミュージカルだった『踊る綱吉くん』なんて120分もあった!)

 ということで、ずっと魔人ハンターミツルギさんは変わらない。今回のミツルギさんはなんと子供に対して聞かせる童話の世界をステージに展開する。このわかりやすさを超越した。大人をバカにしたようなストーリーラインには驚く。しかも、そこに何の暗喩もない。ただ、ありのままの絵本のようなストリーだ。

 2人の女の子がいました。生まれた頃からずっと一緒に過ごしてきて、大人になった今も、なんと同じ会社で働いています。2人はなかよしでした。というのは、嘘でなかよしのふりをしてきた。大学は別のところにいったはずだったのに、また何故か同じ職場になる。お互い仲のいい友だちのフリをしてきたけど、主人公の笑子(日枝美香L)は、本当は真里菜(三月)のことが羨ましくてしかたない。自分にないものをすべて彼女は持っている、と思う。自分が大好きな男の子はいつも彼女のことが好きで、自分より彼女の方が出世するし。なんとかして、彼女を貶めたいと思う。そんな時、ひょんなことからウサギと人参とかぼちゃがやってきて、彼女を助けることになる。って、こんな感じの話。最後は仲直りをして、めでたしめでたし。

 そんなバカな、と唖然とする。1本の芝居がこんなシンプルなストーリーでいいのか、そして何の邪気もないキャラクターが舞台上を右往左往するだけなのだ。うそだろ、と思う。もう少し何かがあってもいいではないか、と思うし、何もないのなら、それでは芝居として成立しないのではないか、とそこまで思わせるような内容なのだ。まるで幼い子供のためのお芝居で、それにしてもここまで中身がないのは前代未聞だろう。普通もう少し話には奥行きがあり、考えさせるものがあるだろう。このシンプルバカはありえない。普通ならお客さんは怒るところである。でも、ミツルギさんがそれをやってしまうと、なんだか腹は立たない。こういうのもありかぁ、と素直に認めてしまうのだ。それって彼の愛すべきキャラクターのなせる技か。いや、それだけではない。

 このあきれるほどに単純な話で、105分(正味90分)もの時間をひっぱっていく力量は実は生半可なものではない。ふつうならこの内容では途中で飽きてしまって退屈するはずだ。なのに、ラストまで一気に見せてしまう。たかがそれだけの話なのだが、それだけのことを見せきるのは難しい。ならばなぜ、彼には可能だったのか。

 それは個々のキャラクターがきちんと描かれてあるからだ。彼らがちゃんと面白いからなのだ。そこには表面的な面白さではなく、ミツルギさんの精神が宿っている。そんな彼の愛すべきキャラクターたちを見ているだけで優しい気分になれる。彼らしさが全編を貫き、それが作品の力となっているのだろう。何も考えずにラストまで、笑って見ていられる。それだけなのに、それがなんだか貴重なことに思える。 

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