3Dのひとつの可能性を示してくれる。3Dは最初は飛び出してくることが驚きだった。(昔の初期3Dである『13日の金曜日3』なんてのはその見本だ)でも、もうそんな単純なことでは誰も驚かない。次に、奥行きと広がり。それが魅力となり、2Dにはないワールドワイドな世界が提示できること、それが驚きとなる。(『アバター』がそうだ)でも、それももう驚きでもなんでもなくなった今、もう3D映画を見る必要性はどこにもない。スペクタクルと破壊の限りを尽くした『トランスフォーマー3』以降、早々と終幕を迎えることとなった。
しかし、そこに一石を投じる映画が登場した。それがこの作品である。3Dは狭くて暗い迷路を作ることが可能だ、というのが清水崇の方向性である。彼は前作『戦慄迷宮 3D』でホラーハウスというアトラクションとしての3D映画を作り上げ、そこで試みた実験を踏まえてさらに進化させ、本作に挑んだ。主人公の心の迷宮を3Dによって作り上げる。
ヒロインの満島ひかりのトラウマとなる義母殺しを、あらゆる側面から視覚化して見せる。これはそのための3Dである。3Dはここではドラマを作る上でのひとつのテクニックでしかない。
ローアングルで捉えられた小学校の校庭での子供たちの姿。3Dの奥行きが見事に生かされている。このなんでもない冒頭の映像がなぜか不気味だ。開放感あふれるはずの校庭が、この後の展開される閉鎖された空間におけるドラマの幕開けにふさわしい。明るく無邪気な子供たちの活気あふれた姿ではない。それはなんでもない風景のはずなのに、低い角度から見ることで、異常な世界として示される。そして、兎小屋。死にかけているウサギを安楽死させるため石を振りかざしている少年。そこに駆け寄っていく彼の姉。帰り血を浴びる2人。この冒頭のシークエンスの緊張感は凄い。
ある事件から喋れなくなったヒロインと、彼女が、生まれた頃からずっと守り続ける年の離れた弟。弟がウサギのぬいぐるみに導かれて死の世界へと連れ去られる。それをなんとかして助けだそうとする姉もまた、さらなる死の迷路へと誘い込まれていく。
狭い家の中のいろんなものが並べられた空間(3Dで捉えられた狭い部屋とこまごましたものが新鮮だ)で仕事をしている2人の絵本作家の父親(香川照之)。彼の無関心さが、2人のドラマと並行して描かれる。家の階段(清水崇は階段が大好きだ!)の上がったところにある物置へと通じるこれまた狭い入口。ここから異界に入り込む。身動きの取れない不自由な空間の中で話が展開していく。映画のスクリーンまでもがとても狭く感じられる。(劇場が120席ほどの小さな劇場だったことも影響しているのかも知れないが、この映画はわざと視野が狭まるように作ってある)本来なら空間の広がりを誇示するための3Dが、この映画においてはその反対に作用しているのだ。視野の狭さは閉じられた空間を助長する。
そうすることで、心も体もがんじがらめにされていくヒロインの内面を見事に表現する。満島ひかりの冷めた表情がすばらしい。ホラー映画のはずなのに、何が起ころうとうろたえないし、バタバタすることはない。冷徹に状況を見つめ対応する。こんなヒロインが出てくるホラー映画は今までなかった。
これは『呪怨』でホラーのひとつの可能性を極めた清水崇がその持てるテクニックの限りを尽くして挑む究極の3D映画である。前く無駄のない83分というスーパースリムなランニングタイムもすばらしい。
しかし、そこに一石を投じる映画が登場した。それがこの作品である。3Dは狭くて暗い迷路を作ることが可能だ、というのが清水崇の方向性である。彼は前作『戦慄迷宮 3D』でホラーハウスというアトラクションとしての3D映画を作り上げ、そこで試みた実験を踏まえてさらに進化させ、本作に挑んだ。主人公の心の迷宮を3Dによって作り上げる。
ヒロインの満島ひかりのトラウマとなる義母殺しを、あらゆる側面から視覚化して見せる。これはそのための3Dである。3Dはここではドラマを作る上でのひとつのテクニックでしかない。
ローアングルで捉えられた小学校の校庭での子供たちの姿。3Dの奥行きが見事に生かされている。このなんでもない冒頭の映像がなぜか不気味だ。開放感あふれるはずの校庭が、この後の展開される閉鎖された空間におけるドラマの幕開けにふさわしい。明るく無邪気な子供たちの活気あふれた姿ではない。それはなんでもない風景のはずなのに、低い角度から見ることで、異常な世界として示される。そして、兎小屋。死にかけているウサギを安楽死させるため石を振りかざしている少年。そこに駆け寄っていく彼の姉。帰り血を浴びる2人。この冒頭のシークエンスの緊張感は凄い。
ある事件から喋れなくなったヒロインと、彼女が、生まれた頃からずっと守り続ける年の離れた弟。弟がウサギのぬいぐるみに導かれて死の世界へと連れ去られる。それをなんとかして助けだそうとする姉もまた、さらなる死の迷路へと誘い込まれていく。
狭い家の中のいろんなものが並べられた空間(3Dで捉えられた狭い部屋とこまごましたものが新鮮だ)で仕事をしている2人の絵本作家の父親(香川照之)。彼の無関心さが、2人のドラマと並行して描かれる。家の階段(清水崇は階段が大好きだ!)の上がったところにある物置へと通じるこれまた狭い入口。ここから異界に入り込む。身動きの取れない不自由な空間の中で話が展開していく。映画のスクリーンまでもがとても狭く感じられる。(劇場が120席ほどの小さな劇場だったことも影響しているのかも知れないが、この映画はわざと視野が狭まるように作ってある)本来なら空間の広がりを誇示するための3Dが、この映画においてはその反対に作用しているのだ。視野の狭さは閉じられた空間を助長する。
そうすることで、心も体もがんじがらめにされていくヒロインの内面を見事に表現する。満島ひかりの冷めた表情がすばらしい。ホラー映画のはずなのに、何が起ころうとうろたえないし、バタバタすることはない。冷徹に状況を見つめ対応する。こんなヒロインが出てくるホラー映画は今までなかった。
これは『呪怨』でホラーのひとつの可能性を極めた清水崇がその持てるテクニックの限りを尽くして挑む究極の3D映画である。前く無駄のない83分というスーパースリムなランニングタイムもすばらしい。