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映画・演劇のレビュー

コトリ会議『にくなしの、サラダよ』

2013-04-23 20:36:30 | 演劇
コトリ会議が不妊治療の話を芝居にするなんて、それだけでもう驚きだ。そのための費用が200万というのも驚き。その内訳は1回で60万、大体3回くらいで何とかなるものだということらしい。知らなかったぁ。(まぁ当然かぁ。)

 カフェを舞台にした芝居を、カフェで公演する。今までよりさらに小さな空間で、いつものような1時間45分の芝居ではなく(いつもコトリは同じ上演時間なのだ)1時間20分の芝居にする。しかし、それはコンパクトで簡単な芝居、ということではなく、これは新しい山本さんの可能性を示す野心的な挑戦なのである。大体、まず山本さんがリアリズムの家庭劇に挑戦するということが、それだけですごい冒険なのである。

 これは4人姉妹の話でもある。コトリ版『若草物語』だ。末っ子がまだ幼いころ、母親が出奔し、父と4人は、生きてきた。やがて、みんな大人になり、末っ子だけが結婚して家を出て、5年。家族会議を開く。家の近所の喫茶店で。そこに4人と、末っ子の夫の5人が集まる。要介護の父親は家に残したまま。子供のころ、日曜日の朝はよくここに来ていた。そのころはまだ、母もいた。ここはそんな思い出の場所なのだ。営業が終わった後の時間。わがまま言って店を貸してもらった。そこで話されるのが、父に孫を見せてあげたいから、不妊治療に踏み込みたい、という話なのだ。老いて弱った父に、死ぬ前になんとか孫を抱かせてあげたい。でも、どんなに頑張っても子供ができない。原因は夫の精子に問題がある。

 そんな話をコトリ会議が取り上げるというのもすごい。しかも、まだ若い山本正典さんがこれを書くのである。 なんで? と思った。でも、そんな疑問もさることながら、それよりも、まずこの芝居から目が離せない。いつもながらとても面白いのだ。

 深夜の喫茶店という舞台設定もいい。幼馴染のマスターをオパンポン創造社の野村侑志が演じる。もちろん先の5人のアンサンブルはすばらしいのだが、それ以上に彼の存在が芝居全体を引き締め、緊張感のあるものにする。

 これは失われた家族のお話だ。原風景となる、日曜の朝、みんなで行った近所の喫茶店での朝食。それをキー・イメージとして、そこにあったささやかな幸福をもう一度取り戻すための営み、それがこの芝居のテーマだ。残された家族による家族のあるべき姿を巡る考察。ここには不在の母と、父の存在も際立つ。本来そこに中心があったはずなのだ。なのに、母がいなくなり、今、父もいなくなろうとしている。このままではほんとうに家族は完全になくなる。そうしないための不妊治療なのだ。だが、意外な事実が判明する。

 これはとても静かな芝居である。それをまるで童話のような(それはいつものコトリ会議もそうなのだが)語り口で見せる。ところどころで歌も入って、それが作品全体のアクセントにもなる。コトリ会議らしさをちゃんと残したまま、今までにないリアルな家庭劇を作りあげた。珠玉の作品とはこの作品のための言葉ではないか、と思わせる、そんな佳作なのである。


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