
30年前14歳だった父と、今、14歳である息子の2人が3年ぶりに田舎である島で過ごす夏休みを描く冒険物語。だが、父と息子のお話は別々のものとして描かれる。2人が主人公なのに、2人は同じ場所にはいない。44歳の父と、息子は、同じ時間を別の場所で過ごす。父は母(彼の妻ではなく、文字通り実母)と実家で過ごし、息子は1週間のキャンプに行くからだ。平行するお話は今の少年のドラマと、30年前の父親のドラマであり、これは等価に描かれる。ふたつの14歳はラストで交錯する。
14歳は微妙な年齢だ。父と息子はお互いに距離が出来たままこの夏を迎えた。その距離をなんとかしたくて、この帰郷を選んだ。お互いを見つめあうため、だったのだが、普段はできてなかった「向き合う」という行為をここで成し遂げるわけではない。反対に1週間、少年はここにはいなくなる。父は老いた自分の母と向き合う。それはあの夏死んだ父と向き合うことでもある。回想として描かれる彼の14歳の夏。そこで、何があったのかを僕たちは知る。
同時にメインのお話は現在進行形として語られる。(やはり、こっちが中心だ)キャンプに参加した6人の中2男子たちのお話だ。彼らは自分たちだけで島の学校で生活する。そこで生まれる友情がテーマとなるけど、単純ではない。6人の男の子たちは3人ずつ2グループになり、全く相容れないまま、話が展開する。ラストでひとつになる、というのはお約束だが、そこまでが思いのほか長い。気を持たせるためではない。わかりあえるなんて、そう簡単なことではないからだ。そのことをこの小説はさりげなく教えてくれる。だから、最後でわかりあえた時の喜びは大きい。困難を乗り越えることで生じる関係性は信じられる。その時必要なものは、無邪気なくらいに人を信じる心だ。ばかじゃないか、と思えるくらいに、あるひとりの少年は無防備だ。彼はよくある苛められっ子のポジションにある「デブ」である。こんなパターンの人物配置に最初は安易だな、と思うけど、実はここにこそこの小説の見事な仕掛けがある。主人公ではない彼がお話を動かすからだ。
主人公の少年と父親の和解もそこから生じる。父親を亡くした少年のドラマと、その息子が父親を取り戻すドラマが、バランス良く溶け合い実に上手いラストだ。作者が14歳という年齢に対して、単なる感傷以上のものをきちんと持って描いているのがいい。神の島であるこの南の島(沖縄の離島なのだが、本文には一切沖縄とは出てこない)の不思議をベースにしながら、ただのファンタジーには一切しない。どこにでもある大切なひと夏の体験として、よくある枠組みに落とし込んだ。すばらしい。