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映画・演劇のレビュー

三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』

2016-01-20 21:25:47 | その他

これは三浦しをん版『東京バンドワゴン』だったんだ、と思うと、終盤のあんまりな展開にも納得がいく。と、いうか、それこそが彼女の意図なんだ、と思うと、なんだか胸が熱くなる。これからの時代、新しい家族の在り方を模索する日本人への彼女からのメッセージなんだ、と理解する。

核家族化が進展した高度成長期を経て、21世紀は「新しい家族」の形が生まれつつある。それは、他人同士が家族として暮らす社会だ。

独居老人をホームに押し込めるのではなく、家族が同居して助ける。しかも、お互いに、である。娘は老いた親の介護をするのではない。親に支えられるのだ。でも、それはパラサイトシングルなんて、一時期はやったものとは違う。どちらかが、どちらかを、ではなく、相互に支えあう。そうじゃなくては成り立たない。それが「家族」ではないか。血のつながりではなく、もっと大事なものがそこには生まれるはずなのだ。

小路幸也が模索したものを、ここではもっとリアルに、でも、現実的に提示する。ファンタジーではない。老いた母と、40前独身の娘の二人暮らし。そこに、娘の友人(と、いっても、最近、たまたま知り合いになった女性)がやってきて、さらにはその友人の会社の後輩までもが、同居することになる。そこに、疑似4人姉妹が誕生する。だから、これは現代版『細雪』となるのだ。(なんて強引な!)

古いお屋敷で暮らす4人の女性たち。彼女たちの毎日を描くホームドラマである。たわいない日々のスケッチで、途中までは、わざわざ読むに値しないのでは、なんて不遜なことすら思いながら、読む。しかし、作者の意図が明確になったところからは、この穏やかな日々がとても、心地よく、いいじゃないか、こんな生き方も、なんて思いだす。「ざんねんな女たち、の」と帯には書かれてあるが、これを残念(「ざんねん」である)とは思わないところが、すばらしい。安心して暮らすことが、家族の条件だとするなら、ここには確かに家族がいる。家を出ればいろんなことがある。でも、家に帰れば落ち着くし、また明日もがんばろう、と思える。そんな場所であって欲しい。それが家であり、そこには家族が必ずいる。それはただの入れ物ではなく、生きていくための休息地だ。だが、それが今の時代損なわれていく。

でも、血族にこだわることを棄てたとき、それは帰ってくる。安心とは、永遠に続くものではない。40歳を目前にして、結婚もせず、血縁は母しかいない女が、焦ることもなく、幸福に暮らせるのは、そこに、信頼できる友人がいたからだ。今の幸せがずっと続くか、否か、ではなく、今、この幸せを享受できていることを大切に思えれること。それが一番なのだと、思う。

カラスと、死んでしまった父親の登場が、そのことを教える。彼らはこの4人を見守っていた。(ついでのように書くけど、同じ敷地内で暮らす山田さんも、である)世間の目なんて、どうでもいい。自分たちが心地よく暮らせたなら、それが、一番なのだ。死者はそこにいる。自分たちを、ちゃんと見守ってくれている。そんなことすら愛おしい。だからこれは「おとぎ話」ではなくリアルなのだ。

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