習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『太陽』

2007-04-23 22:17:04 | 映画
 ソクーロフの映画だから、仕方がないのかも知れないが、まず劇的な展開がない。一切ない。ただ、静かに、室内劇として目立った動きもドラマもなく、ただ、ヒロヒトの終戦直前の姿と、戦争が終わった直後が描かれる。

 あまりにあっけなさ過ぎてがっかりするし、昭和天皇を主人公にした彼の苦悩を描いたドラマとして受け止めるには、情報量が圧倒的に少なすぎる。

 しかも天皇に対する僕たち日本人が抱くイメージと、ソクーロフの描く天皇像とのギャップも大きく、これはおかしいやろ、と何度も思った。しかし、僕たちはそれほど天皇のことを知っているのかというと、全く知らないことだらけなのかも知らない。自分が日本人だからというだけで、知ってるつもりになっている。

 ソクーロフは彼なりに調べた上で最終的には彼のイマジネーションが作り上げたヒロヒトを提示している。そこにはソクーロフのリアリティーというファクターがまず第一にある。当然のことだが、この映画はいつものソクーロフの映画世界とよく似ている。そんな中に日本人俳優たちが入り、日本語で、終戦前後の天皇の姿を日常レベルで見せていく。ソクーロフとしては、セリフも多くドラマチックかもしれない、と思うくらいだ。

 最初、映画で初めて「人間、天皇」の姿を正面から描く映画というパッケージングに踊らされて、これがソクーロフの宇宙の出来事なのだというファクターを忘れてしまっていた。ロシア人監督がロシア映画として撮り上げた日本と昭和天皇のドラマという次元をなしにして、この映画を語ることは出来ない。

 イッセー尾形のヒロヒトは実在の人物に似せるだけでなく、文字通りのひとつの象徴としての天皇をこの映画は見せてくれる。ラストでワンポイント・リリーフの桃井かおりの皇后の存在感は、リアリティーすら超えている。

 空爆を描く幻想シーンの美しさもこの映画の魅力だが、何よりも凄いのは、寒々とした天皇の住む空間である。あれには驚かされた。これはひとつの心象風景としてのドラマだと受け止めたほうがいい。

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