
思いもしないところで、思いがけない芝居と出会ってしまうと、なんだか生きていてよかったよ、と思うくらいにうれしくなる。宴劇会なかツぎの芝居は前回も見ているので、なんとなくの、イメージがあった。でも、今回は作、演出が変わっているから、前回のイメージとはまるで違う作品になっていてもおかしくはなかったのだ。だから、これは不意打ちではない。僕が、ぼんやりしていただけの話だ。でも、こういう驚きがたまにあると、芝居を見ていてよかった、と思う。
最近、どんな芝居を見ても、マンネリ化して、刺激的ではない。新鮮な驚きに飢えていたのだ。そんなところで、この作品である。ほんとうによかった。最初は、ちょっと胡散臭い芝居に腰が引けた。冒頭のダンスシーンとか、わざとらしい芝居とか。なんだこれは、と思った。そんな世界に迷い込んだ小畑香奈恵さん演じる母親だけ、周囲の芝居とはテイストが違う。彼女がこの作品世界にいることだけで、なんだか異常だ。この作品と役者としての小畑さんのキャラクターは合わない。彼女の資質、存在自体がそぐわない。これはとんでもないミスキャストではないか、と。出る芝居を間違えたのではないか、という違和感を抱く。そんな居心地の悪さを抱きながら、芝居を見続けることになる。だが、実はそれこそがこの作品のねらいなのだ。
僕たち観客は彼女に感情移入する。そして、この芝居のウソ臭さに辟易する。だが、その違和感が、実はこの世界の意味なのである。そこに気付くまで、少ししんどい。でも、そのしんどさも計算の上だ。よくぞ、そこまで引っ張ってくれた。
事故で死んだ息子のことがずっと忘れられないまま、心を閉ざしてしまった母親。たったひとりの彼女の孤独をこの作品は、パステルカラーのポップな色彩で見せていく。芝居はチラシのあるように「絵本の中に迷い込んだような少し不思議な」世界を提示する。その強烈な世界で、たったひとりの母親はどうしてもそこに馴染めない。当たり前の話だ。勘違いじゃないか、と思わせる不思議な世界。そこにいると、彼女や、僕たちのほうが間違っているのではないか、と思わせられる。この世界の住人たちは正々堂々と確信を持って生きている。これはすごいことだ。不思議の国に迷い込んだアリスのように、小畑さんはこの世界をさまよう。
彼女はこの世界を受け入れているのではない。終始違和感は拭えない。しかし、家族から「かあさん、かあさん」と声をかけられ、その現実を受け入れながら、そこで彼らの母親を演じる。やさしい夫、かわいい娘たち、幼い息子。みんな彼女を大切の思い、彼女に頼る。しかし、彼女は死んでしまった息子であるトトのことしか、見えない。
芝居のラストで、衝撃の事実が明かされる。彼女には身寄りがなく、トトと自分だけの母子家庭だったことが見えてくるのだ。すべては幻だった。現実を受け入れることができなくて、幻想に逃げることもできない。どうしようもない事実から目をそむけたい。だけど、自分の罪は許せない。だから、自分を責め続ける。トトを死なせたのは自分なのだ。だから、自分が幸せになることなんか、できない。
そんな彼女の周りでとんちんかんなくらいに明るくて、ノーテンキな家族劇が繰り広げられる。いくつものダンスシーン、ピアノの生演奏による音楽もふんだんに盛り込んで、バカバカしくて、ウソ臭い芝居が繰り広げられる。これはそのすべてが母親の心の中のドラマだったのだ。
と、こう書きながら、はたしてそれでいいのか、という疑問も残る。実は、ここに書いたようなことが、そう明確には描かれていないのだ。なんだか曖昧なのである。僕がただ誤解しているだけなのかもしれないくらいのあやふやさが残る。しかも秘密だが、あまりの披露から少し居眠りした。だから、書きながら不安だ。これでよかったのか。
でも、そんなことも、こんなことも含めて、僕はこの作品の不思議なテイストがとても気に入っている。作、演出を手掛けた田村佳代さんとその劇団であるGUMBOの面々が大々的にバックアップしたこの作品のなんとも言い難い不思議な空気感に圧倒された。
最近、どんな芝居を見ても、マンネリ化して、刺激的ではない。新鮮な驚きに飢えていたのだ。そんなところで、この作品である。ほんとうによかった。最初は、ちょっと胡散臭い芝居に腰が引けた。冒頭のダンスシーンとか、わざとらしい芝居とか。なんだこれは、と思った。そんな世界に迷い込んだ小畑香奈恵さん演じる母親だけ、周囲の芝居とはテイストが違う。彼女がこの作品世界にいることだけで、なんだか異常だ。この作品と役者としての小畑さんのキャラクターは合わない。彼女の資質、存在自体がそぐわない。これはとんでもないミスキャストではないか、と。出る芝居を間違えたのではないか、という違和感を抱く。そんな居心地の悪さを抱きながら、芝居を見続けることになる。だが、実はそれこそがこの作品のねらいなのだ。
僕たち観客は彼女に感情移入する。そして、この芝居のウソ臭さに辟易する。だが、その違和感が、実はこの世界の意味なのである。そこに気付くまで、少ししんどい。でも、そのしんどさも計算の上だ。よくぞ、そこまで引っ張ってくれた。
事故で死んだ息子のことがずっと忘れられないまま、心を閉ざしてしまった母親。たったひとりの彼女の孤独をこの作品は、パステルカラーのポップな色彩で見せていく。芝居はチラシのあるように「絵本の中に迷い込んだような少し不思議な」世界を提示する。その強烈な世界で、たったひとりの母親はどうしてもそこに馴染めない。当たり前の話だ。勘違いじゃないか、と思わせる不思議な世界。そこにいると、彼女や、僕たちのほうが間違っているのではないか、と思わせられる。この世界の住人たちは正々堂々と確信を持って生きている。これはすごいことだ。不思議の国に迷い込んだアリスのように、小畑さんはこの世界をさまよう。
彼女はこの世界を受け入れているのではない。終始違和感は拭えない。しかし、家族から「かあさん、かあさん」と声をかけられ、その現実を受け入れながら、そこで彼らの母親を演じる。やさしい夫、かわいい娘たち、幼い息子。みんな彼女を大切の思い、彼女に頼る。しかし、彼女は死んでしまった息子であるトトのことしか、見えない。
芝居のラストで、衝撃の事実が明かされる。彼女には身寄りがなく、トトと自分だけの母子家庭だったことが見えてくるのだ。すべては幻だった。現実を受け入れることができなくて、幻想に逃げることもできない。どうしようもない事実から目をそむけたい。だけど、自分の罪は許せない。だから、自分を責め続ける。トトを死なせたのは自分なのだ。だから、自分が幸せになることなんか、できない。
そんな彼女の周りでとんちんかんなくらいに明るくて、ノーテンキな家族劇が繰り広げられる。いくつものダンスシーン、ピアノの生演奏による音楽もふんだんに盛り込んで、バカバカしくて、ウソ臭い芝居が繰り広げられる。これはそのすべてが母親の心の中のドラマだったのだ。
と、こう書きながら、はたしてそれでいいのか、という疑問も残る。実は、ここに書いたようなことが、そう明確には描かれていないのだ。なんだか曖昧なのである。僕がただ誤解しているだけなのかもしれないくらいのあやふやさが残る。しかも秘密だが、あまりの披露から少し居眠りした。だから、書きながら不安だ。これでよかったのか。
でも、そんなことも、こんなことも含めて、僕はこの作品の不思議なテイストがとても気に入っている。作、演出を手掛けた田村佳代さんとその劇団であるGUMBOの面々が大々的にバックアップしたこの作品のなんとも言い難い不思議な空気感に圧倒された。