圧倒的に面白い。寺山修司世界をものの見事に自家薬籠中にしてしまった佐藤さんのこの作品は、こんなにもシンプルなのに、どうしてこんなにも豊穣な世界を表現可能としたのか。
寺山の最期の作品となった『レミング』(写真は天井桟敷のフライヤー)を、佐藤さんはあくまでも自分のイメージ世界に引き寄せていくことで、スタイリッシュでモダンな作品に仕立ててしまう。だから、こんなにも美しい舞台になっている。
ある日、隣の部屋の壁がなくなってしまったことから起こる不思議な出来事。プライバシーがなくなり、何処へでも行き来が可能となり、どこからでも、誰からでも見られている、そんな状態になる。男は母親を床下に潜ませている。彼は妻と2人でここに暮らしている。男の夢に往年の大女優の夢が入り込んでくる。彼女の夢の中で男は殺されていくことになるが、この殺されるという甘美な夢の中で彼は陶然となる。母親はそんな息子を許せない。息子に取り憑く女を蹴散らしてしまおうとする。大女優による映画の撮影はフイルムが入っていないため、撮影した鼻先から消えていく。でも、どこかからか、誰かがカメラを回してこの撮影風景を映像に残しているのかもしれない。見る、見られる、の関係性はここではこんなに明確であるはずなのに、本当は限りなく曖昧なものになる。それは壁が消えてしまうというこの作品の基本構造と呼応する。
これは寺山世界の再現ではなくレプリカント流の再構築である。音と光と身体による寺山世界へのアプローチは、このとても単純な劇世界ゆえ成功している。栃村さんを中心とするレプリカントのパフォーマンスが作品の核を形成している。彼女の圧倒的な身体表現により、この単純な世界がこんなにも豊かなものになる。それは寺山のテキストを完全に超越している。
完璧なものと、未熟なものが同居するアンバランスな劇世界もまたこの作品の魅力となっている。オーディションによって選ばれたメンバーとのアンサンブルがとても効果的に表現されており、素晴らしい。どこまでが計算されたものなのか、よくわからないが見事だ。
開演15分前の開場時には、既に役者達が舞台でパフォーマンスを始めている。15分間たっぷり彼らが舞台と言う迷宮を彷徨っている姿を見せられることになる。そして、そのまま本番が始まる。一応セリフも筋書きもあるお芝居のスタイルはとってあるが、そのストーリー自体にはあまり意味がない。この枠組みの中にどれほどの驚きを投入できるかが、問題なのだ。ISTの狭い空間の壁がなくなり、役者たちは見えない壁を潜り抜け、自分と他者の境界を失い、途方に暮れていく。
この作品の魅力は、ドラマ部分よりも、圧倒的な音楽(もちろんそれは、佐藤さんの手によるオリジナルである)とパフォーマンスの迫力の方が、大きいことは先にも書いたが、作品自体が、寺山のテキストを使用したレプリカントによるオリジナル作品の趣を呈している。寺山修司を超えたのではなく、これは偉大な寺山への正しい意味でのオマージュなのである。
寺山の最期の作品となった『レミング』(写真は天井桟敷のフライヤー)を、佐藤さんはあくまでも自分のイメージ世界に引き寄せていくことで、スタイリッシュでモダンな作品に仕立ててしまう。だから、こんなにも美しい舞台になっている。
ある日、隣の部屋の壁がなくなってしまったことから起こる不思議な出来事。プライバシーがなくなり、何処へでも行き来が可能となり、どこからでも、誰からでも見られている、そんな状態になる。男は母親を床下に潜ませている。彼は妻と2人でここに暮らしている。男の夢に往年の大女優の夢が入り込んでくる。彼女の夢の中で男は殺されていくことになるが、この殺されるという甘美な夢の中で彼は陶然となる。母親はそんな息子を許せない。息子に取り憑く女を蹴散らしてしまおうとする。大女優による映画の撮影はフイルムが入っていないため、撮影した鼻先から消えていく。でも、どこかからか、誰かがカメラを回してこの撮影風景を映像に残しているのかもしれない。見る、見られる、の関係性はここではこんなに明確であるはずなのに、本当は限りなく曖昧なものになる。それは壁が消えてしまうというこの作品の基本構造と呼応する。
これは寺山世界の再現ではなくレプリカント流の再構築である。音と光と身体による寺山世界へのアプローチは、このとても単純な劇世界ゆえ成功している。栃村さんを中心とするレプリカントのパフォーマンスが作品の核を形成している。彼女の圧倒的な身体表現により、この単純な世界がこんなにも豊かなものになる。それは寺山のテキストを完全に超越している。
完璧なものと、未熟なものが同居するアンバランスな劇世界もまたこの作品の魅力となっている。オーディションによって選ばれたメンバーとのアンサンブルがとても効果的に表現されており、素晴らしい。どこまでが計算されたものなのか、よくわからないが見事だ。
開演15分前の開場時には、既に役者達が舞台でパフォーマンスを始めている。15分間たっぷり彼らが舞台と言う迷宮を彷徨っている姿を見せられることになる。そして、そのまま本番が始まる。一応セリフも筋書きもあるお芝居のスタイルはとってあるが、そのストーリー自体にはあまり意味がない。この枠組みの中にどれほどの驚きを投入できるかが、問題なのだ。ISTの狭い空間の壁がなくなり、役者たちは見えない壁を潜り抜け、自分と他者の境界を失い、途方に暮れていく。
この作品の魅力は、ドラマ部分よりも、圧倒的な音楽(もちろんそれは、佐藤さんの手によるオリジナルである)とパフォーマンスの迫力の方が、大きいことは先にも書いたが、作品自体が、寺山のテキストを使用したレプリカントによるオリジナル作品の趣を呈している。寺山修司を超えたのではなく、これは偉大な寺山への正しい意味でのオマージュなのである。