この作品を見るのは2度目だ。前回はアイホールで見た。衝撃的な傑作だった。そして、それと同じくらいに衝撃だったのは、この芝居の狭さ、だ。こんなにも狭く空間を使う芝居を見たことがない。しかもそれをアイホールで上演したのだ。広いアイホールの舞台をあそこまで狭く使い、さらには客席も狭く使う。ありえない、と思った。でも、そのありえなさがこの作品の魅力なのだ。
でも、始めて見たとき、出来ることならこれをちゃんと狭い劇場で上演されたものとして見たい、と思った。最初これは燐光群のアトリエである梅ヶ丘BOXで上演された。きっとそこで見たならもっと衝撃を受けたのではないか。大阪でやるのなら、絶対にウイングフィールドで見たい。そう思った。今回なんとその想いが実現した。できることなら、梅ヶ丘BOXと同じような条件で見たい、というその願いが叶えられたのである。
これは「屋根裏」と名付けられた空間を巡るお話である。舞台となる屋根裏キットを舞台とした作品だ。そこはありえないほど狭い空間である。そこに籠り人は何を思うのか。何をするのか。それが描かれる。
前から2列目で見た。その圧倒的な近さがこの作品にとっては凄い力となる。この閉塞感。短いエピソードの羅列である。エッセイ風の作品になっている。ひとつひとつのエピソードは思うよりも軽やかだ。しかし、その集積は我々をとんでもない地点へと誘うこととなる。閉ざされた空間から見た世界は今ある世界の縮図だ。我々がどこに向かおうとしているのか。その指針を指し示す。
豊かさを求めて、経済成長をしてきた日本が、ある地点から行き詰まった。先にはもう進めない。では、どこに向かうのか。経済的な豊かさではなく、精神的な豊かさを、なんていうつまらないお題目はいらない。ウサギ小屋と揶揄された日本人の生活スペースは、戦後改善されて、もうそんな言葉は聞かなくなった。でも、ウサギ小屋は恥ずかしいことだったのか? 一概にそうは言えまい。
狭い空間に体を寄せあって過ごす幾つものエピソード。これは凄いと思うのは、そこで描かれるエピソードに対して坂手さんが敢えて何も言わないことにある。この作品の方向性は明確にはならない。何なのだろうか、と考えながら見る。見ることを通してどんどん途方に暮れていく。簡単ではない。でも、その簡単じゃない場所に、時代に、今の僕たちはいる。その事実に愕然とする。何度でも見たい、そう思わせてくれる作品だった。