『ラブストーリー』のクァク・ジェヨン監督が『僕の彼女はサイボーグ』に続いて再び日本映画に挑戦する、という意味でこれは期待できると最初は思った。だけど、マーケットの問題や、キャスティングやら、なんか少し雲行きが怪しい、気がした。劇場公開時はひっそりと上映され、すぐに消えていったし話題にも上らなかった。公開から2年。ようやく見る決心をしたのだが、始まってしばらくして、これは無理、と思う。マジシャンの話というのが、うまくお話全体にハマらない。嘘くささばかりが前面に出る。その結果美しい風景を背景にしたロマンチックな恋物語がただのプロモーションビデオ並みの薄っぺらさを露呈する。作り手の頑張りがまるで生きてこない。
しかも、ヒロインがまるで魅力的ではない。新人を使うのなら、彼女がそれなりの魅力を持つ存在でなくては、意味がない。なぜ、この子だったのか、まるでわからない。彼女でなくてはならないという切実さが見当たらない。映画はキャスティングが命だ。リスクの大きいい新人起用を岩井俊二はいつも見事に成し遂げる。なのに、今回のクァク・ジェヨンはどうしてこんなことになったのか。
これは明らかに岩井俊二監督の『Love Letter』の影響下にある映画だ。でも、彼にはすでに『ラブストーリー』という傑作がある。では、今回岩井俊二が『ラストレター』を作ったようにクァク・ジェヨンも再び自身の『ラブストーリー』の世界を進化したセルフリメイクしようとしたのか。
残念ながらそれはない。この映画は出来損ないだ。一番ダメなところは、お話のリアリティのなさ。マリックの協力を仰いだマジックに説得力がないのではどうしようもない。お話の根幹を為し、嘘を本当に変える原動力となるはずの「マジック」がチャチだ。メインとなる大仕掛けの脱出劇もそれがどれだけ危険か、という臨場感が伝わらない。ふたりの恋が命がけのものだ、ということを伝えるはずなのに、そこがチャチではお話にならない。
もうひとりの自分がこの世界には存在している、ということ。そして、自分とうりひとつ(うりふたつなのだけど、もっと切実に同じ、という意味で)の知らない誰かの存在が彼、彼女のどういう影響を与えるか。マジックが必要なのはそういう設定部分のリアリティであり、その驚きだろう。そこからお話は転がりだすはずなのだ。いつも突飛な設定から見事にお話を突き動かすクァク・ジェヨンなのに、今回はそこがあまりに甘い。ロマンチックなのは構わないし、できることなら甘いラブストーリーに魅了されたい。だってこれは映画なのだ。僕たち観客はシビアな現実をここに見たいわけではない。だけど、お話に乗れないと気持ちよく騙されられない。僕たちはちゃんと騙されたいのに。