習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

猫壺企画『elle dit;』

2006-11-12 01:33:38 | 演劇
 とっても真面目な芝居で、それ故見ていて、息苦しくなる。芝居自体が思いつめたように一直線に張り詰めたままラストまで突き進んでいくのだ。もちろんこういう芝居は嫌いではない。しかし見終わった時、たった1時間程の芝居なのにどっと疲れる。でも、その疲れは実はとても心地良い疲労だ。こんなふうに一生懸命、芝居と向き合う作家と出会えたことはうれしい。

 閉じられた空間の中で、ハムスターがずっとあちらこちらと動き回る。彼(女)はそこから出ることが出来ない。たとえ檻から出して貰えても、その部屋から外に出ることは出来ない。

 兄と弟の話である。弟は自分の名前も分からないまま病室で暮らしている。窓の外を見つめながら、日々を送る。兄はこの病院で働いている。彼と兄はこの舞台空間でリバーシブルな存在として存在する。白衣を着けると兄になり、脱ぐと患者である弟となる。二人はお互いにそれぞれの空間に取り込まれており、ここから出ることが出来ない。それは彼らと関わる2人の女たちも同じで彼らはこの閉ざされた空間で何も出来ないでいる。

 象徴としてこの空間の中央に居座り続ける白い毛糸を編む女は、ずっとそこを動かず彼ら4人を見守り続ける。男は時々そんな彼女と会話を交わす。月曜劇団の西川さやかさんがその存在感だけでこの芝居全体を司どっている。できたなら彼女と男の関係性をもう少し明確にして欲しかった。そのほうが、きっと芝居の作品世界が広がったはずだ。

 作品全体が独りよがりで、伝えるべきものが、形にならない。兄と弟のこともよく分からないし、彼らがそれぞれ一緒にいる女たちとの関係も見えにくい。男と話す時、もう片方の女はハムスターとなり部屋の中を動きまわるというスタイルはおもしろいが、それが何を意味するかを描けてない。

 4人がそれぞれ担う役割は分かるが、それを通して何を描こうとするかが、伝わりきらないのだ。もちろん作者の頭の中ではクリアになっているのだろうが、作品としてそれが伝わらなくては意味がない。『銀河鉄道の夜』の引用もあからさま過ぎて、恥ずかしい。

 ラストで男の周囲にダンボール箱を積み上げていき、その一つ一つには「自分」、「父」、「高校生」等々の名前がつけられてあり、それらの箱の山に閉じ込められていくシーンも言いたい事は分かるがストレートすぎて芸がない。人はそれぞれが同じようにこの世界の中に閉じ込められている。ここからいかにして出て行くのか。そんな事が可能か。

 突然弟が窓から飛び降り自殺するという展開も、そこから作品のテーマに迫るような見せ方が出来たならよかったのに出来てない。突破口は死だけなのか。それだけではあるまい。そのことをもっといろんな点から描いて欲しい。

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