習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

ugly duckling『スパイク・レコード』

2006-11-13 20:44:31 | 演劇
 『トキシラズ』2部作から、アグリーは自分たちの新しい形を明確に打ち出してきた。柴田隆弘の美術から池田ともゆきに変わり、隅々まで緻密に作りこんだ具象から、何もない空間も取り込んで組み立てられた抽象へと変わったことも大きく影響した。それをきっかけに、演出のスタイルが作品自体の方向性を明確にする形に変わってきたのだ。今までの台本が作品をリードするというパターンを脱することになった。

 池田ともゆきさんの美術に立ち向かうのはかなりの力量が必要だ。美術が作品を生かすことはあっても、助けてはくれない。太刀打ちできない演出家ならその前にお手上げになるのだ。その空間でどう芝居を立ち上げるかを考えれないと生きないセットだ。シンプルなだけに手強い。演出の池田祐佳理は『トキシラズ』の時にかなり苦しめられている。
だが、このセットを活かしきったとき作品は思いもかけない方向に広がりを見せることになる。具象には限界がある。その事を池田ともゆきさんはよく知っているから演出家泣かせの美術を作る。だが、才能ある演出家は当然それを活かし作品を仕上げる。

 さて、今回の作品も入り口は吉川貴子である。彼女の演じる鐙という少女が水先案内人となる。鐙が骨抜き工場でスパイク(中村隆一郎)の骨を見つけるところからドラマは始まる。スパイクは「世界なんて知らなくても不満はないの、幸せよ」という彼女を無知だと笑いながらベルトコンベアを流れていく。

 ベルトコンベアを流れる骨、骨、骨、単純な労働の日々。その中で見つけた一片の骨。スパイクが耳もとで囁く声。彼女による彼を探す旅が始まる。この圧倒的なオープニングから一気に作品世界に引き込まれていく。

 物語は現在の時間から過去の時間へスライドして行き、大きく動き出すことになる。そこには、1人の少年(樋口美友喜)がいる。転校生の彼が先生(大田浩司)に導かれ自分の歴史を語り出す。さらなる過去の物語へ、少年の誕生から今までのクロニクルが先生と少年により追体験されていく。『りんごの歌』に誘われ、母と子の歴史が描かれる。この国が、まだ貧しかった頃の記憶だ。赤線を舞台に、不具者の母と靴磨きとの恋、母に死が描かれる。

 少年は時代の目撃者となる。しかし、彼の歴史を先生は書き換えようとする。現実を消し去り美しい歴史として教える。嘘をほんとにする。先生は悪い人ではない。彼は少年のために最大限の努力をしてるつもりだ。たとえそれが間違っていようとも。そんな先生に導かれ少年は世界と向き合うことになる。

 先生は崩壊した教室と、崩壊した自分の家庭の間で、少年に自らの夢を託す。「君はなんにでもなれるのだ」と言う。好きなものになっていいんだと言われた彼は「僕は、《ことば》になりたい」と言う。そして、少年はスパイクとなる。

 少年のスパイクを樋口さんが演じ大人になったスパイクは中村くんが演じる。中村くんがおもいっきりかっこいい伝説の男を演じており(ちょっと笑えるけど)すごくさまになっている。

 鐙はスパイクを探し、彼の死を知る。そして握り締めていた彼の骨を手にスパイクの作ったレコード(記録、そして記憶)を抜き去っていくため、走り出す。いつまでも、いつまでも彼女が走り続けるラストシークエンスが感動的だ。それは決して出口は見えない闇の世界でも、そこを走り続けることで確かな未来はやって来ると信じていいんだと、この芝居は教えてくれるからである。

 登場人物の1人1人が短いシーンで作品世界の輪郭をしっかり描ききってくれるがいい。本当ならスパイク少年を主人公にして彼の成長物語として作れば見やすい芝居になるのに、そんなことは絶対しない。それが作者である樋口美友喜のやり方であり、彼女の世界観なのだ。この世界はそんなに簡単には出来ていない。そして、そんな世界を1人1人の人間が作っているという考えが根底にあるから、彼女の芝居では全員が主人公になる。

 作品の入り口が吉川さんなら、出口になるのは先生の妻を演じた出口弥生だ。彼女はこの芝居で唯一作品世界とかけ離れた存在に設定されている。彼女の演じる妻の考えは間違っているが、その理想論が、この芝居に広がりを与え、そこを芝居は突破口とする。

 妻が難民救済のために救援物資である山のような靴を持ち、自らボランティアとして外国に出て行くシーンは強烈だ。正義のためなら夫を平気で犠牲にする。(世界の人たちを救いたいという理想のために。)先生は彼女をあきらめる。

 自分たちの幸福よりも、もっと大きなものに目を向け、その結果全てを失うことになる彼女はこの芝居の隠れた主人公でもある。自分の夫さえ見えなかった彼女に世界の貧しい人たちを救えるのか。

 彼女が死んだ夫の骨を見つけられず、狂ったように探し続けるシーンと鐙の旅立ちが交錯する。彼女は決して自分は間違ってなかった、と思ってる。しかし、根本的なところで何かを見誤ったことは確かなのだ。対して鐙には、自分に何が必要なのかもまだわからない。しかし、彼女はスパイクのように走り始める。

 手塚治虫の『火の鳥』をモチーフにした壮大な抒情詩『トキシラズ』を経てアグリーが等身大のクロニクルを通して、<世界と自分との位置>、そして、<自分たちにできること>を示そうとしたこの作品は彼女たちのこの10年間の到達点であると同時に新しいスタートとなる記念碑的な傑作である。

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