とてもおもしろかった。1時間の完璧な空間造形がなされた作品は、ラストで斜めに傾いたドアに手をかけて、外に出て行くシーンまで、見事に作り上げられている。これは世界であり、宇宙だ。闇の中から繰り返されるいくつものイメージの連鎖。倒れ、起き上がる運動。ゆっくりと動いていく。ダンサーたちが作り上げる世界に引き込まれていく。
闇の中に浮かび上がる赤茶けた空間。隆起する地面。一部が剥がれ、盛り上がっている。そこにうつぶして倒れたままの女。どこまでも続く廊下に、マネキンが立ち、その隙間を抜けていく。2人の男の間で揺れる女は、2人に愛されていたはずなのに、いつの間にか2人の男から暴力的に扱われていく。女が空中に浮かび立ち上がり落下していく。はっとする動きが何度もある。個々のシーンに力があり、そこから想像されるイメージは様々なものを想起させてくれる。
セピア色の空間はノスタルジアではなく、かっての記憶。太古の風景を思わせる。人が人になる以前の記憶だ。
5人のダンサーはとても静かに、時に激しく、時には全く動くこともなく、流れゆく意識を空間の中に刻み込んでいく。圧倒されるのではない。静かに、静かに染み入るように伝わってくる。原初の風景がここに展開していく。その声に耳を傾ける。微かにに聞こえてくる人類が生まれる以前の記憶が描かれていく、ように僕には見えた。
タイトルの「フィカス」とは、古代ラテン語で「無花果」のことらしい。パンフレットによれば、「イチジクはそれ自体が実であり、花であるという境界線の曖昧な所をひっそり生きている」とある。とてもよくこのステージを象徴している。解りやすい解説だ。「舞台上にはイチジクも虫も出て」こないが、この舞台自体がイチジクであり、虫たちの世界を見事に表現している。
闇の中に浮かび上がる赤茶けた空間。隆起する地面。一部が剥がれ、盛り上がっている。そこにうつぶして倒れたままの女。どこまでも続く廊下に、マネキンが立ち、その隙間を抜けていく。2人の男の間で揺れる女は、2人に愛されていたはずなのに、いつの間にか2人の男から暴力的に扱われていく。女が空中に浮かび立ち上がり落下していく。はっとする動きが何度もある。個々のシーンに力があり、そこから想像されるイメージは様々なものを想起させてくれる。
セピア色の空間はノスタルジアではなく、かっての記憶。太古の風景を思わせる。人が人になる以前の記憶だ。
5人のダンサーはとても静かに、時に激しく、時には全く動くこともなく、流れゆく意識を空間の中に刻み込んでいく。圧倒されるのではない。静かに、静かに染み入るように伝わってくる。原初の風景がここに展開していく。その声に耳を傾ける。微かにに聞こえてくる人類が生まれる以前の記憶が描かれていく、ように僕には見えた。
タイトルの「フィカス」とは、古代ラテン語で「無花果」のことらしい。パンフレットによれば、「イチジクはそれ自体が実であり、花であるという境界線の曖昧な所をひっそり生きている」とある。とてもよくこのステージを象徴している。解りやすい解説だ。「舞台上にはイチジクも虫も出て」こないが、この舞台自体がイチジクであり、虫たちの世界を見事に表現している。