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映画・演劇のレビュー

空の駅舎『空の駅舎』

2007-03-18 07:23:06 | 演劇
 この芝居をどこに帰着させるのか。それはかなり難しい問題だ。しかし、終盤で怒濤のように説明ラッシュになってしまうのはどうだか、と思う。そこまで全く説明なく話を展開させてきて、それでもこれだけの緊張感を持続させてきただけに、あの説明は確かにわかりやすい謎解きにはなっているが、そこまでしなくとも、という気がするからだ。それより、そうしたことで反対にだからどうした?と突っ込みを入れたくなったのも事実である。あの説明で納得するか、と言えばかなり微妙だ。

 しかし、もし、説明もなく終わっていたらどんな気持ちになるのか。舌足らずで独りよがりな作品という印象になるか。それとも個々のイメージがきちんと交錯していかないことが作品の魅力として評価できたろうか。それも微妙なところだ。どちらにしても、作者の優しさが作品の力を弱めている。しかし、その優しさがこの芝居の魅力であることも確かだ。

 前作『空を覗に行く』を作り得たことで、初めて、この未上演だったこの劇団自体の基となる戯曲の上演に踏み切れたのだと思う。この作品の完成度にようやく劇団が追いついたことを嬉しく思う。これは劇団自身の成熟なくしたありえなかった公演だ。

 くじらの声が聞こえてくる。耳の聞こえない少女(津久間泉)が山間のバス停留所にやって来る。男(河本久和)に手話で語りかける。いくら話されても彼には理解できない。困惑するだけだ。芝居はこのシーンから始まる。コミニケーションの困難さ。共通言語をもたないこと。それは同じ言葉を話していても生じる。本当はそれが一番怖いのだ。話をしているはずなのに何も伝わっていないこと。ここにいるのにいない状態。家族の中ですら何一つ伝わっていないこと。

 少女を少年(三田村啓示)は撲殺する。噛み合わない。互い違いの方向を向いて会話している人々。話しているのにそれを聞いていない。イライラしてくる。水族館に行く。遠足の日。聾唖学校に通う小学生。でも、バスが来ない。少女は遠足に行けない。少女の事を待ち伏せしていた中学生の彼。石を握り締めて。彼女の顔を殴りつける。

 少年の父は会社の若い女子社員と浮気している。母もまた父を裏切っている。彼らは子供を山村留学させる。彼のために。しかし、少年は両親に棄てられたと思う。

 4つの時計が舞台の四隅に置かれている。それぞれが別々の時間を刻む。バスは来ない。男は待ち続ける。彼が待っているのは一体何なのか。彼は中学の理科の教師だ。そして少年の担任でもある。彼が忘れてしまいたい記憶。これは彼が見た幻である。少女を殺した少年は死んでいる。誰が彼を殺したのか。自殺か。それとも父親が殺したのか。それとも。

 とてもすっきりした空間で、迷宮を彷徨うようなお話が展開していく。明確になることなんて何もない。すべては藪の中でいいのだ。だが、その混沌をそれぞれの痛みとしてこの芝居が提示できたなら充分だと思う。

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