
東電OL殺人事件を題材にして神原さんが芝居を作ると聞いた時、とても意外な気がした。今までの彼女の作品カラーとこの題材が全く重ならない気がして、一体どんなものが生まれてくるのか、とてもワクワクさせられた。
出来上がった作品はいい意味でも、悪い意味でも、神原さんにしか作れない作品になっている。そこには感心させられた。そして、こんなにも叙情的な作品になっている。事件自体を描くのではなく、彼女が抱えていた寂しさに対する神原さんの共感。それが作品を100%支配している。神原さんがワタナベヤスコを抱きとめて「大丈夫、私があなたを慰めてあげるよ」と言ってるような芝居。こういう作り方にまず驚いた。
ただ、この事件に対して神原さんがどういう考えを持ち、渡邊泰子に対して、自分の芝居を通して何を見せるのかをもっと示して欲しかった。
事件から10年経った今、この事件をテーマにして作られたこの芝居は、ただひたすら彼女へのレクイエムとしてのみ作られている。だから、なぜ彼女が殺されたのか、その背景には何があったかといったことは描かれない。ドキュメンタリー的なドラマは、ここには皆無である。犯人に対してなんて、まるで触れられない。
それどころか全く事件とは関係のない辻という女郎の話が中盤以降には展開していき、別の芝居の様相を呈していくことになる。彼女を通してワタナベヤスコと共通するものを提示していきながら、3人の少年のような男たちが、ヤスコに出会うまでが描かれる。解りきっていたことかも知れないが、神原さんは何を取り上げてもすべて神原ワールドに染め上げていく。事件に対する考察ではなく、彼女が殺された場所に対する神原さんの想いがこの芝居を作る。これはまさに神原さんの独壇場である。
出来上がった作品はいい意味でも、悪い意味でも、神原さんにしか作れない作品になっている。そこには感心させられた。そして、こんなにも叙情的な作品になっている。事件自体を描くのではなく、彼女が抱えていた寂しさに対する神原さんの共感。それが作品を100%支配している。神原さんがワタナベヤスコを抱きとめて「大丈夫、私があなたを慰めてあげるよ」と言ってるような芝居。こういう作り方にまず驚いた。
ただ、この事件に対して神原さんがどういう考えを持ち、渡邊泰子に対して、自分の芝居を通して何を見せるのかをもっと示して欲しかった。
事件から10年経った今、この事件をテーマにして作られたこの芝居は、ただひたすら彼女へのレクイエムとしてのみ作られている。だから、なぜ彼女が殺されたのか、その背景には何があったかといったことは描かれない。ドキュメンタリー的なドラマは、ここには皆無である。犯人に対してなんて、まるで触れられない。
それどころか全く事件とは関係のない辻という女郎の話が中盤以降には展開していき、別の芝居の様相を呈していくことになる。彼女を通してワタナベヤスコと共通するものを提示していきながら、3人の少年のような男たちが、ヤスコに出会うまでが描かれる。解りきっていたことかも知れないが、神原さんは何を取り上げてもすべて神原ワールドに染め上げていく。事件に対する考察ではなく、彼女が殺された場所に対する神原さんの想いがこの芝居を作る。これはまさに神原さんの独壇場である。