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映画・演劇のレビュー

IQ5000『スクランブルエッグ』

2007-04-29 06:53:42 | 演劇
 この芝居を見ながら、僕は、なぜか腹筋さんの惑星ピスタチオ時代の傑作『ファントム』を思い出していた。あの作品で彼は、細胞から宇宙までをたった一人で演じきり、生命の誕生から世界の終わりまで、を見せきってくれた。彼の代表作である。「等身小から等身大をへて宇宙へ」というキャッチコピーとフライヤーのデザインがあの作品を想起させたのかもしれない。

 この作品自体はとてもささやかな物語であり、壮大なドラマを期待すれば、ある意味で肩すかしを食わされてしまうことになるだろう。しかし、このささやかさこそが、実は腹筋さんの今回の壮大な挑戦でもある。

 これは、とある養鶏場のゲージの中を舞台にして、ここから自由への逃走を試みるニワトリ2128号(朝田博之)の物語である。実は、この芝居については、終演後に直接腹筋さんに話してしまったから、もうここに書くことはない気分なのだが、もう一度、この作品について、少し書き足しておく。

 これはとてもシンプルでわかりやすい話だ。人間に飼われて飼育されるニワトリたちの不安と平穏な日々が綴られる。そんな中に2匹の新入りがやって来る。その中の1匹は間違って入れられた雄鶏である。芝居は、彼がここを抜け出して世界を見ようとするまでの物語である。周囲の仲間の話を聞き、自由への憧れを募らせる。ベルトコンベアで運ばれる衛生的でおいしい食事、室温も管理され快適な環境がここには整えられている。それは何不自由ない生活だ。しかし、そんな環境に彼は異議を唱える。人間に飼いならされ、卵を産むためだけに生きるのがニワトリの生きる道ではない。この小屋を出て、壁のむこうの風景が見たいと願う。

 彼は人間の手を掻い潜って必死の逃走を繰り広げる。そして、まさかの、高い壁を、自分の翼で飛び越えていく。このラストの、ニワトリによる飛翔シーンは感動的である。この後、この壁のむこうにはどんな世界があるのか、ということは一切描かれない。なぜなら、それは今の彼には預かり知れないものだからだ。更には、この後で彼がこの自由の代償として何を失うことになるのか、なんてこともこの芝居は描かない。描く必要もないからである。それはまた別の話なのだから。

 この見事な割り切り方は見ていて気持ちがいい。腹筋さんはごちゃごちゃ理屈を捏ねたりしない。単純に2128がここを出たいと望む、その気持ちだけを描くのだ。また、周囲のニワトリたちも、そんな彼に対してイジワルしたりすることなく、単純に応援してくれる。複雑な[ニワトリ]関係(人間関係ではないからね)を描く必要なんてないと判断したからだ。

 飼いならされたニワトリたちによる世界を、我々人間社会の縮図として象徴的に描くことも可能だった。確かにそんな読み方もここからは出来る。しかし、ここでも腹筋さんは「そんなことはどうでもいい」と言わんばかりにそんな深読みを拒否する。「これはもっと単純なものだ」と言うように作品を纏め上げるのだ。1時間20分という上演時間は、この作品に彼が込めた姿勢を暗示する。

 これは、変化とか、成長を描く大河ドラマではない。ざっくりと、《自由への飛翔》としてのドラマだけを見せる。それだけでいいのだ。ピスタチオ時代のメソッドも利用しているが、全体的には若い役者たちの自由な芝居を大事にし、彼らの熱意を汲み取りながら全体を再構築していくというスタイルを取っている。役者たちは決して上手くないが、小さくまとまろうとしないのがいい。それも腹筋さんの意図であろう。

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