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映画・演劇のレビュー

古川日出男『馬たちよ、それでも光は無垢で』

2011-09-22 21:32:14 | その他
 3・11を扱った小説である。これからこういう小説がどんどん登場するのだろう。福島出身の作家である古川日出男が、今、あそこに行かねばならない、という想いから、自分が生まれた場所を目指して車を走らせる。

 震災から1カ月。この小説を書き始める。まだ、客観的な情報はない。というか、そんなものはない。どこにもない。自分の目で確かめたいと思う。作家として出来ることは事実を書くことであり、見たものから想像力を発揮させ、自分の物語を書きとめることだ。だが、圧倒的な事実を目の前にして、自分に何が出来るのか。フィクションは書けない。不可能だ。では、何を書くのか。それがわからないから書き始める。書くことを通して自分の使命は自ずと見えてくるはずだ、と信じる。福島第1原発から30キロ圏を目指す。

 この行為に何の意味があるのか。それすらわからないまま、被災地を走らせる。描かれたものは事実をもとにした小説だ。ノンフィクションではない。作家が編集者を伴い被災地を行く。そんなふうに書くと、なんかいやらしいものを感じる。だが、ここにはそんないやらしさはない。わざとらしさもない。3月11日彼は京都にいた。被災したわけではない。福島出身の作家だが、福島在住ではない。今は東京で暮らしている。それは後ろめたいことなんかではない。ただの事実だ。

 4月にはいって、ニューヨークに行く。その記述が挿入される。グラウンド・ゼロに立つ。そこで感じたこと。9・11から10年。3・11から2カ月。今この小説を書いている彼がそこにはいる。レンタカーで被災地を目指した彼。ニューヨークで仕事をこなす彼。時間が前後していく。さらには、先に東北を舞台にした渾身の長編『聖家族』を書いた自分が今何を為さねばならないのか。この小説の中に、あの小説の主人公、狗塚牛一郎が登場し、被災地に立つという幻影を見る。

 この混沌とした小説が描く現実はとてもリアルだ。このつかみどころのなさに圧倒される。それが何なのか、なんてどうでもいい。これはどうしても書かねばならないという気持ちに突き動かされた衝動的な作品である。先日の中村賢司さんによる空の驛舎『under-ground』同様、今、作らねばならないという想いがここには溢れている。

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