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映画・演劇のレビュー

馳星周『光あれ』

2011-09-23 21:34:25 | その他
 あまりに痛ましくて、涙もでない。原発の町を舞台にしたメロドラマである。これを社会派告発ドラマだとは理解しない。3・11以前に書かれた小説である。2009年8月号から2011年3月号まで、オール読物に掲載された。まさにどんぴしゃでその直後に事故は起きている。これは美浜原発が舞台だ。原発反対運動も描かれる。そういう時代もあった。だが、やがて、諦めがあり、不安に目を瞑り、生きて行く。ここには、生きていくために原発に頼らざる得ない現実がある。

 地方都市の現実がけだるいタッチで綴られていく。「閉塞感に押しつぶされるこの街で、やるせなさを抱きつつ男は生きる」という帯の文章がこの小説を簡潔に示している。5話からなる連作長編の第1話は、主人公が10年振りに出席する同窓会のシーンから始まる。中3の担任だった先生(原発反対運動をしていたが、やがては諦め管理職になる)の死。しばらく会うこともなかった親友との再会。そこからドラマは書き起こされる。今の彼の現実が見えてくる。そして、親友の事故死で終わる。どうしようもない現実からの逃避なのかもしれない。自殺なのか事故なのかわからない。どちらでもいい。彼は死に囚われていた。逃れられない。そこまで彼を追い込んだものは、地方都市の貧困だ。あらゆる意味で。借金を抱えてどうしようもない状況で、それでも生きて行かなければならない。

 主人公は原発でガードマンとして働いている。好きでここに働くのではない。仕事がないからだ。これは生きて行くための選択である。親友の死を描く1話の後、2話からは回想になる。2話は中学時代の2人(1話の親友との話だ)。3話は高校時代。そして4話は20代半ば。3つの時代が描かれていく。そして最終話では、再び現在に戻り、1話の後の時間が描かれる。30代半ばになり、死んだ親友の妻との関係(親友の死後、いろいろ面倒を見ているうちにそういうことになる)を清算しなければならないと思っている。だが、ずるずる断ちきれないまま関係を引きずり、やがて、取り返しのつかないことになる。その後、妻や子との関係や、昔棄てた女との再会を描くことを通して、彼が再生への道をたどる姿が描かれる。

 直接原発が語られるのではない。だが、ここには原発の街で生きることが描かれるのだ。原発がなければこんなことにはならなかったのかもしれない。それは責任転嫁と紙一重である。すべてを原発のせいにするべきではない。これはどこにでもある緩やかに死んでいく日本の地方都市の現実なのかもしれない。ここから逃げないということが、正しいことかどうか。そんなこと、わからない。だが、あのラストシーンは胸に沁みる。

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