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映画・演劇のレビュー

プロトテアトル『ノクターン』

2015-01-26 21:15:49 | 演劇
まだ若い作者がこんなノスタルジックな作品を作っていいのか。大学4年生の彼が、15歳を回顧する。それを感傷的に描かれるといささか辟易するのだが、FOペレイラ宏一朗は実に淡々とそれをする。その冷静さはこの芝居を気恥ずかしさから救っている。

中学卒業から8年、居酒屋でプチ同窓会をする4人の男女。だが、そこには彼らが忘れてしまったもうひとりのクラスメートがいる、気がする。不在の彼をめぐるそれぞれの物語が記憶の奥底から立ち現われてくる。

中学3年の冬。卒業をまじかに控え感傷的になっている彼らの物語は、誰にも心当たりがあることだろう。中学時代の回想。そこで彼らが拘ったこと。大人になれば考えもしないような些細なことにも13から14,5歳という頃は、一喜一憂する。あまりに遠くなってしまって、あの頃の痛みなんか思い出せない(思い出したくはない)のだが、(本当言うと、今も心では中学時代は封印してある)この作品の男女はそんな時代の痛みを体現する。

そんな封印した過去にその少年は登場する。彼はいなかった。彼らは4人組の仲よしグループ、だった。だが、それぞれの思い出の中、溢れ出る記憶には確かに彼がいた。

記憶の中にある幻。たかが8年前のことを4人とも完全に忘れているはずなんかない。だが、この作品が見せる幽霊は存在しなかった彼がそこには確かにいたのではないか、という前提で展開していく。一番大切なものを人は知らぬ間に失う。そして素知らぬ顔をして生きていく。残酷なものだ。4人にとって「彼」という存在は何だったのか。そこがもっと明確にできたならこれは凄い作品になったかもしれない。忘れられた幽霊はなぜ彼らのもとを再訪したのか。これはちゃんとしたホラーとして、終わらせるべきだったのに、最後はいささか感情過多になるのが惜しい。(そこまではちゃんと抑制が効いていただけに、やってしまったな、っていう感じだ)

だが、それでもFOペレイラ宏一朗は、敢えてありきたりな意匠を纏いつつ、ノスタルジックな青春もの、に見せかけて、人の心の中に巣食う闇を立ち上げることには成功した。

と、ここまで書いて翌日、ウイングフィールドのはたもとさんからメールを貰う。そこには「この芝居の4人は死んでいて、幽霊として現れる男だけが生きているんです、」と、そんなことが書かれてあった。「えっ!」 でも、なるほど。そういうことだったのか、と思い、それからいろいろ考えてみると合点がいくところも多々ある。ペレイラさんにやられたよ、と思う。

 と、いうことで、書き直しはしない。最初に書いた文をそのまま、ここにアップする。


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