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映画・演劇のレビュー

『カンウォンドの恋』 『昼間から呑む』

2012-10-06 21:43:17 | 映画
ホン・サンスの新作が知らない間にリリースされているよ、と思い、レンタルしてきたのだが、これは新作ではなく、98年の彼の第2作。しかも、昔、『江原道の力』というタイトルで公開された作品で、確かNEO韓国映画祭とかいう特集上映で、公開された時に見ている。そこでは、それまでの韓国映画とはまるで違うニューウェーブとでもいうべき作品群が紹介された。それはとてつもない驚きだった。そして、その中でも白眉の作品がこれだったのだ。

 しかも、これが僕が初めてホン・サンスと接した記念すべき作品だったのである。衝撃的だった。「韓国映画の力」を実感させられた作品だ。でも、そんな作品なのに、内容を忘れていて、映画を見ながらようやく気づいたという体たらくだ。

 ただ、今の目でこれを見たとき、この作品のおもしろさが以前ほどには感じられなかったのも事実だ。それは僕の感性の衰えであることは歴然とした事実だが、たった14年ほどで、こんなにもいろんなことが変化していることにも驚く。ここにあるのは、かつての韓国だ。高度経済成長を遂げ、従来に価値観を払拭した韓国ではない。そのことに、改めて気づく。

 初めて見たときのようには、このふたりのすれ違いが、心に響かない。もともとホン・サンスの映画は感情移入を拒否する一面はあるのだが、その突き放したタッチが以前ほど、心地よくはない。殺伐とした風景と、そこで展開する淡々としたドラマは、彼らの抱える現実を照射している。だが、その痛みは個々人のもので、観客であるわれわれには届かない。映画なのだからちゃんと伝えてよ、とも思う。だが、彼はそんなことに興味はない。ただ、ある事実のみ。ドラマチックから限りなく遠い。ある意味こんなにもドラマチックになりそうな話なのに、である。だから、今回の日本語タイトルは詐欺であろう。

 これは、韓国の暗さが、まだまだちゃんと残っていた時代の映画である。今の映画ではない。21世紀の韓国映画からは、こういうイメージは完全に払拭された。だが、先日見たノ・ヨンソク『昼間から呑む』は、意外にもこの映画とよく似ている。あれは、現代の韓国映画ではなく、20世紀のそれであることが、改めて実感できた。というか、あの映画が、ホン・サンスのタッチをまねしているだけではないか、という気もするが。時代が変わったにも、かかわらず、それをまだ引きずる『昼間から呑む』という映画は、これもまた、衝撃的な作品なのかも知れない。あの貧乏くささは、半端じゃない。

 失恋から、旅に出て、心の痛みを癒すつもりだったのに、どんどん暗い気分になる。たったひとり、殺風景な風景の中、よくわからない旅をする主人公の姿をただ追いかける。ここには見事になんにもない。漠然とした孤独があるだけだ。大体旅の始まりからして、情けない。友人2人と飲んでいて、みんなで旅をしようと盛り上がり、まるで気の乗らない彼は半ば強引に誘われ、行くことにするのだが、約束の場所に行くと、そこには誰もいない。2人は酒の席の戯言として、そんな約束なんて忘れていたのだ。

 何もないといえば、たぶん。ない。でも、あるといえば、ある。そんな、なんとも曖昧な気分がここには描かれている。これをおもしろいと思うか否かは、それもまたかなり微妙だ。

 あの頃、ホン・サンスが描いた不安は、今の韓国では、きっとあまり問題にされないのだろう。だが、誰もがもう忘れようとしている時代の気分は、ほんとうは忘れてはならないものなのではないか。偶然にも、この新旧の2本の同じタイプの映画をほぼ連続して見て、僕自身もいろんなことを忘れていたことに気づく。昔、ベ・チャンホの最高傑作『神さまこんにちは』を見たときの衝撃にまで、さかのぼる。いや、ちゃんとその前の『鯨とり』まで戻ってもいい。

 あの時はとても新しいと、思った『江原道の力』が、今、こんなにも遠い。そして、それ以前の作品から遠いと思った『江原道の力』がこんなにも、それ以前の作品に近い。それって何なのだろうか。たかがこの10数年で韓国が何を得て、何を失ったのか。その事実をたった2本の映画が教えてくれる。内容ではなく、そこに描かれる気分が、こんなにも雄弁である。


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