『佐々木イン、マイマイン』の内山拓也監督の本格商業映画デビュー作。ということだけど、こんな商業映画はない。若い内山監督はわかりやすい描き方はしない。もちろん娯楽映画ではない。ハードなドラマで情け容赦ない。磯村勇斗が主演してスターが出ているから一般劇場でロードショーされているけど、これは安易な妥協がないから一般受けはしないだろう。キツい映画でなんだかわからないという感想が続出しても仕方ない。だけどここからは内山監督の怒りが迸る。役者たちの抑えた演技からもそこに秘められたものがしっかり伝わってくる。
主人公が映画の真ん中で死ぬ。普通ならあり得ない展開である。しかもその後回想とかで出てくるというパターンではない。死んだからもう出てこない。彼が不在のまま映画は続く。弟が後半の主人公になる、とかいうわけでもない。文字通り主人公不在のまま映画はその後の時間が描かれるという前代未聞の展開である。しかも彼を殺した犯人は無罪放免で映画から退出する。
神奈川県警の警察官の対応は現実にはあり得ないようなとんでもない対応で驚く。こんな警察が日本の警察なのか、と震撼させられる。アメリカの黒人を平気で殺す白人警官並に酷い。怖すぎてもう警察には近付けない。映画はそれをデフォルメして描いているというのではなく、これはリアルだというふうに見せる。
ちゃんと捜査したなら犯人側の暴行は明白だけど、きちんとした対応はなく、血塗れの男を救急車も呼ばすに警察署に連行する。悪夢である。
冒頭のタイトルが出るまでの長い描写から彼らの置かれた現状を垣間見る。そして自転車を漕いでいていきなり頭を撃ち抜かれる。ここでようやくタイトルが出る。その間は20分くらいか? そんな衝撃的なオープニングから映画は本格的に始まる。
これが何を描こうとする映画なのか、なかなか明確にはならない。明確なストーリーがないからだ。この家族の現状もことばでは語られない。父親のこと、母親の病。弟との関係。同居している恋人とのこと。まるで無口で、今ある目の前のことだけで話は進む。そして親友の結婚パーティの夜。事件は起きる。
従来の映画文法からはこんな展開はあり得ない。全く新しいスタイルでお話を構築する。それが映画に不思議なリアリティを生み出す。終盤、隠蔽警察官(滝藤賢一!)を射殺するシーンが描かれる。あれも衝撃的だ。銃を簡単に手にして復讐を果たすのか、と一瞬思うけどそうじゃない。冒頭の射殺と同じでここは幻想。だけど、幻想と現実なんて紙一重だ。問答無用で情け容赦ない現実が押し寄せる。昨日見た『HAPPYEND』同様、こんな映画が商業映画として公開される今の日本映画って凄い。