
こんなにも暗くて、つらい映画なんか見たくはない。でも、スクリーンから一瞬も目が離せない。ずっとこの主人公2人の姿を凝視してしまう。2人の間に入ってうろうろする彼女の弟も含めた3人の姿をただただ追いかける。彼らがどこに行きつくのかを目撃してしまう。きっと悲惨な最期が待っている。ここにハッピーエンドはあり得ない。わかっていても、凝視してしまう。そうさせるだけの「何か」がここにはある。
人間の暗い本性に光を当て、そこで生きる彼らの姿を通して、彼らがどこかにたどりつくまで、何もないような話をただ見るばかりだ。仕事もせずにただ、毎日をやり過ごすだけの男は偶然パチンコ屋で出会った少年に導かれて彼の家に行く。この世の果てのような場所にあるそのあばら屋で、彼ら家族4人は暮らしている。生計は姉の稼ぎにかかっている。寝たきりの父親と、その介護をする母親。少年院帰りの弟。イカの加工をする工場で働くが、それだけでは家族4人を養えない。自分の体を売って生計を立てるしかない。妻子持ちの最低の中年男と付き合っている。腐れ縁のような感じで、惰性で繋がっているばかりだ。
社会の最底辺で生きる男女が、お互いに距離を置きながら、寄り添うことで生きようとする。彼らを前にして、愛とか恋とかいうような言葉は空しい。池脇千鶴の露出度の高い恰好はセクシャルではなく、なんだかもう隠すものもないという感じで、それだけでどんよりした気分にさせられる。それって凄い。彼女の圧倒的な存在感がこの映画を牽引する。綾野剛はただ、彼女の近くで佇むばかりだ。でも、離れない。そんな二人の間に立ち、ふらふらする菅田将暉がまた素晴らしい。そのあまりの軽さがもの悲しい。
ここには特別なお話なんかない。先にも書いたように、観客である僕らは、ただ、彼らを見守るばかりだ。だが、それだけの2時間なのに、見終えたときの充実感は半端じゃない。暗くて重くて辛くてしんどい映画なのに、それを凝視したことで、生きていくことの何かとてつもなく大切なものを教えられた気分にさせられる。厭ではない。それどころか、なんだか清々しい。
人間の暗い本性に光を当て、そこで生きる彼らの姿を通して、彼らがどこかにたどりつくまで、何もないような話をただ見るばかりだ。仕事もせずにただ、毎日をやり過ごすだけの男は偶然パチンコ屋で出会った少年に導かれて彼の家に行く。この世の果てのような場所にあるそのあばら屋で、彼ら家族4人は暮らしている。生計は姉の稼ぎにかかっている。寝たきりの父親と、その介護をする母親。少年院帰りの弟。イカの加工をする工場で働くが、それだけでは家族4人を養えない。自分の体を売って生計を立てるしかない。妻子持ちの最低の中年男と付き合っている。腐れ縁のような感じで、惰性で繋がっているばかりだ。
社会の最底辺で生きる男女が、お互いに距離を置きながら、寄り添うことで生きようとする。彼らを前にして、愛とか恋とかいうような言葉は空しい。池脇千鶴の露出度の高い恰好はセクシャルではなく、なんだかもう隠すものもないという感じで、それだけでどんよりした気分にさせられる。それって凄い。彼女の圧倒的な存在感がこの映画を牽引する。綾野剛はただ、彼女の近くで佇むばかりだ。でも、離れない。そんな二人の間に立ち、ふらふらする菅田将暉がまた素晴らしい。そのあまりの軽さがもの悲しい。
ここには特別なお話なんかない。先にも書いたように、観客である僕らは、ただ、彼らを見守るばかりだ。だが、それだけの2時間なのに、見終えたときの充実感は半端じゃない。暗くて重くて辛くてしんどい映画なのに、それを凝視したことで、生きていくことの何かとてつもなく大切なものを教えられた気分にさせられる。厭ではない。それどころか、なんだか清々しい。