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映画・演劇のレビュー

点々の階『点転』

2021-02-28 15:12:07 | 演劇

今回の久野さんはエンタメだ。とてもわかりやすくて、ドキドキさせられる。派手な芝居ではないけど、どちらかというと、とても知的で静かなお芝居なのだけれども、これはちゃんとしたエンタメなのだ。見終えたとき、スカッとして、あぁ、面白かったと思える。もちろん見ている間も、この先どうなっていくのか、ストーリーの奇抜さで観客を引っ張っていく。エンタメの王道だ。

ある女性の葬儀から始まる。彼女の葬儀にやってきたある小説家と彼女の弟子のやりとりがお話の中心になる。彼の書いた作品の中で描かれる「点転」という架空の競技。17年前に書かれた後、亡くなった女性がそれを実際に行い、やがて各地で広まり、今ではプロまでがある競技になっている、という事実を作家自身は、ここに来るまでまるで知らなかった。

小説の中で描かれたことが現実になったなら、という充分あり得ることを起点にして、久野さんはそこからこういうお話を自在に展開する。こんな芝居があっていいのか、と驚くばかりだ。しかも、嘘くさいお話ではなく、お話はとてもリアルで、でも不思議な空間を提示する。あり得るけど、あり得ない。そんな微妙な境界線上で繰り広げられるあっという間の70分である。『点転』だけでなく他にも彼の小説は現実になっていく。途中でさりげなく提示されるSF小説。それが現実になってしまった、というオチも素晴らしい。そこで初めて死んでしまった彼女の「死」のほんとうの意味も(なんとなく)明確になる。葬儀の後、彼女が焼かれて骨になるまで。ここに集まってきた人たちの物語。

彼女の師であるその小説家と彼女の弟子である点転の棋士の青年。お話の中心は最初にも書いたようにこの2人のやりとりだ。芝居の基本はこのふたりによる会話による。それが繰り広げられる会話劇だ。いや、その前に最初からここにいた男女の無言のやりとりがあった。開場からふたりはずっといた。このふたりは途中からは芝居にかかわらず、ずっと小説を読んでいる。もうひとり、葬儀に来た女も登場する。彼女に至ってはなんと途中からずっとソファで寝ている。こんな芝居ありか? ふざけているのではない。

作家は自分の書いた小説が現実になることを認めない。これはあくまでも自分が考えたフィクションなのだ、という。自分の頭の中の世界であり、それを文字にした小説でしかない。でも、フィクションは、その世界に魅せられた読者によって、実際に行使されて、今では独り歩きして現実になっている。誰にも読まれることがなかった小説群。売れない作家だった彼の本を死んだ彼女は大事にしたのはなぜか。彼の本をたくさんの人たちに贈った。会葬者はみんな葬儀に借りていたその本を持ってきたのは、なぜか。

死んでしまった彼女がどんな人で、何を思ってその競技を始めたか、その詳細は描かれない。不在の彼女(死んでいるからね)は置き去りにしたまま、お話は進展していく。というか、5人の関係性もよくわからない。同じ場所で偶然出会い、同じ時間を過ごしたはずなのに、彼ら自身の関わり合いはドラマにはならない。

ちょっとした思い付きでしかないようなお話の仕掛けを丁寧に味付けしたらこんなにも不可思議な世界を現出させた。さりげなく、こんなお話を仕掛ける作、演出の久野那美さんの世界で僕たち観客は翻弄される。細部まで不思議がさりがなくちりばめられ、それらが相互に影響し、この世界を形作る。ラストでそのすべてが明かされることになる。見事だ。


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