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映画・演劇のレビュー

突劇金魚『富豪タイフーン』

2013-07-07 10:14:08 | 演劇
前半の緊張感は普通じゃない。芝居を見ながら、こんなにもドキドキしたのは、久しぶりのことだ。シンプルなのに、先が読めない。それほどの意外性はないのに、その異常さに引きずり込まれる。これはいつものサリngROCKで、今回殊更特別なことをしているわけではない。だが、従来のスタイルを踏襲しながら、それに磨きがかかった。

 舞台美術も、これ以上簡単なものはないほど、単純。でも、ゴテゴテ飾り付けるよりも断然効果的。中央の四角く区切られた舞台には、金色の渦巻き。これはチラシにもある。四隅には階段があり、その上には椅子。富豪夫婦が奥。手前下手には、メイド。中央には主人公である家庭教師、栄太(もちろん、山田まさゆき)。面接のシーンから、始まる。緊張感が持続する。一体何が起こるのか。彼らは何なのか。この家はどうなっているのか。そして、彼が感じる不安と緊張はそのまま僕たち観客のものとなる。

 けたたましく、大声を出し、笑うメイド(松永渚)の存在が不気味だ。もちろん、この家の家族はもっと変だし、この大きな家が迷路になっていて、それは空間だけでなく、この家族も、である。「富豪」という記号だけが前面に押し出され、その背後にあるはずの実態は闇の中にある。自給3000円のはずの、家庭教師の報酬が3万円のされる。常識を逸脱している。そこに象徴される不条理がそのまま、この家の不条理となる。彼に好意的な父(井田武志)と、否定的な母(高橋恵美子)。この家の謎が解き明かされていく、わけではない。どんどん深まっていくばかりだ。彼が教えることになる生徒はこの家の一人息子(原竹志)で、小学2年の頃から、ひきこもる。それ以後、家から出ていない。今では36歳。高2程度の学力を持つらしい。だが、彼はバカではない。時間をかけてじっくりと学びたいから、こんなにも、時間がかかったのだ。ここでは価値観が外の世界とは違う。栄太は、とまどいながら、お金に目が眩み、この仕事を続ける。

 これはミステリではない。「正直な生き方とは何なのか」を巡るお話なのだ。自分の価値観を大切にすると、どうなるのか。人は社会的な生き物で、周囲と折り合いをつけて、生きている。でも、周囲の目に振り回されていないか? 普通の価値観ではない、彼らの存在がどこまで栄太の常識を覆していくこととなるのか、ドキドキする。どこに観客である僕等を連れていくのか?

 だが、母親の死によって、その緊張ははじける。この事件が、芝居が後半戦に入る相図なのだが、ここから、彼らのバランスが崩れる。この家の外にある社会生活を持ちこんだ栄太によって、汚染されていく。芝居はここからつまらなくなる。そして、ここで居なくなった母親と入れ替わりのようにして、それまで部屋の中に閉じ込められていた娘(片桐慎和子)が登場する。彼女は30年間部屋から外に出たことがない。それは、生まれた瞬間から、ということである。この6人目の登場人物の参入から、お話は急展開する。彼らの生活が変わる。外の世界がどんどん入ってくる。やがて、父は放射能を恐れてシェルターに籠り、メイドと息子は、家出する。やがて、ここには娘しかいなくなる。この後半の展開がありきたりでつまらない。死んだと思われた母が帰ってきても、動き出したものは、止まらない。

 閉ざされた屋敷の中から、世界へ。サリngROCKの仕掛けた罠は、巧妙だ。後半が、つまらない、とありきたりな感想しか言えない僕が本当は一番詰まらない存在なのかもしれない。サリngさんはそんなことお見通しで、このドラマを仕掛けたのかもしれない。金色の渦巻きが書かれたアクティング・エリアと、壁に貼られたチラシ(この芝居のチラシが貼られる)の図柄がリンクする。チラシを見つめる栄太の姿と、それを家の中から見守る息子の姿を捉えた終盤のシーン(本来ならそこがファーストシーンとなるはずなのだが、敢えてこれをラストに持ってくる)が、この作品の全体を形作る。終わらない迷路の中で、出口もなく、途方に暮れる。

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