たまたまこの作品が彼の遺作となってしまった。偶然とはいえ、このタイトルである。そこに何らかの運命のようなものすら感じる。62歳。これからまだまだ映画を撮れたはずだ。亡くなる前日も新作の準備で打ち合わせをされていたらしい。こんなはずじゃなかったのだ。
2002年に『陽はまた昇る』でデビューした。あの映画は素晴らしかった。新人監督の作品とは思えない完成度、だけど、新人らしい初々しさ。VHSを作った男たちの戦いを描いた企業内の熱いドラマだ。企業で働く人たちの群像劇なんて、そんな映画はなかなかない。西田敏行を中心にして、地味だけど、ひとりひとりの人間がちゃんと描かれていた胸が熱くなる映画だった。
それからたった18年のキャリアで、あれだけたくさんの映画を作り、逝ってしまう。全速力で駆け抜けた。この最後の作品は、こんなタイトルだから、まるで遺書のように見える。この道を一直線に突き進む。迷うことはない。映画は北原白秋の生涯を描く。後半は彼と山田耕筰の2人の話になる。自分がやりたいことを全力でやること。めちゃくちゃだけれど、呆れることばかりで、でも、それがその瞬間の彼に出来たことであり、やりたかったこと、だったのだろう。佐々部清はそれを肯定も否定もしない。きちんと寄り添い、みつめていく。こんな生き方もある、と。そこに自分の人生を重ねたりはしない。それはちょっとおこがましい。そうではなく、客観的に見つめることで、そこにひとりの生き様があることを伝える。映画からいろんなことを感じて欲しいのだ。彼はいつもそんな作り方をする。自分を押しつけることはしない。映画の中で共に生きる。どんな有名人が主人公であろうと関係ない。だいたいこの映画の白秋はとんでもない。大森南朋が演じるからというわけではない。
彼の最晩年の3作品。いずれも劇場で見られなかった。それまでの作品はほぼすべて劇場で見てきたにもかかわらず、である。どうしてそんなことになったのかはわかりやすい。2010年代に入ってメジャー公開される作品が少なくなってきたからだ。単館でひっそりと公開され気付けば見逃している。作品自身も地味な映画が多くなったことも影響した。自由に好きな映画が撮れなくなったのかもしれない。『この世界の片隅で』もアニメより早く,彼が劇映画として作るはずだった。だけどかなわなかった。彼らしい企画で、きっと素晴らしい映画になったはずだ。彼の代表作になったかもしれない。
ひとりの作家の誕生から死までをリアルタイムで目撃したことになる。しかも、自分とほぼ同い歳だ。彼のほうがふたつ年上。同じ時代を生き、同じような風景を見てきたはずだ。とても立派な人だった。そんなこと、映画を見ればわかる。妥協せず、自分らしさを貫いた。この映画の北原白秋と山田耕筰のふたりのいいところを合わせたような人だった、のかもしれない。
『陽はまた昇る』の直後に公開された『チルソクの夏』が実は彼の実質的デビュー作だ。初々しい青春映画の佳作で、彼の生真面目さが存分に発揮されていた。メジャー大作とミニマムな映画。この最初の2作品で彼の持ち味は開花された。続く『半落ち』でブレイクしてその後は飛ぶ鳥をおとす勢いだ。でも、10年代に入ってから作品は小粒になり、彼らしい作品も少なくなる。そんな中『ツレがうつになりまして』は、笑いながら見ることの出来る優しい作品で、あんなに重い映画なのに、とても楽しい映画だった。人間を見つめる優しい視線で貫かれていたからだ。その後の映画はあまり感心しないものもある。きっといくつもの困難があり、それと立ち向かいつつ難産の末作られたのだろう。メジャー映画がなくなり、地方を舞台にした地域密着型の映画が中心地になる。小規模だが妥協せず、自分の作りたい映画を作る。激しい怒りに満ちた『東京難民』には驚いた。こんな映画を佐々部さんが作るのか、と。
最後の3本。『八重子のハミング』『ゾウを撫でる』そして今回の『この道』。傑作だとはいえないけど、身につまされる。そんな作品だった。特にこの最期になった作品は、もっとやれたのではないか、と思う。これが最期では納得しない。これはただの通過点でしかない。ここで倒れるなんて思いもしなかったはずだ。ゆっくりと一歩ずつ、しっかりこの道を踏みしめながら、前進する。真面目で誠実。そんな人だった。たまたま最期になったこの映画が示すところもそこに尽きる。心からご冥福をお祈りします。