1975年
巨人の伊藤芳スカウトは二年前、手を握り合って再会を約した一人の高校生との別れのシーンを思い浮かべている。北海道についでプロ野球選手の不毛の地といわれる山陰は鳥取の片田舎。「八頭高に下手のいいピッチャーがいる」という情報に、飛んでいった。投げて打って、夏の甲子園予選の八頭高は、その少年のワンマンチームだった。コントロールこそいま一歩だが、打者の手元でグッと浮き上がるタマの威力にひと目ぼれ。こっそり八頭高もうでがはじまった。他球団のスカウトは、だれも知らない。無競争ー。掘り出し物の金の卵にはなんとも身震いした記憶がある。「キミは、将来きっとエースになれる。どうだ、プロ野球に入らないか」しかし県予選が最高のヒノキ舞台だった少年に、自信はなかった。ましてONがいるあこがれの巨人。そのチームから自分が勧誘されるなんて、夢物語だ。「社会人に就職を決めてしまいました」二年たって自信がついたら、そのときはよろしくお願いします」ドラフト会議を数日後に控えたある日、三菱重工三原に少年は入社の手続きをとった。歳月は流れて五十年のドラフトー。一番クジを引き当てたロッテの濃人スカウト部長は胸を張っていう。「ワシ、このピッチャーが来年出てこなかったら腹を切るぞ」ことしイの一番に指名された田中由郎投手こそ、八頭高のあの少年だった。実力ナンバーワンの折り紙つき。十八日の本抽選で、最後の二枚の封筒を争ったのが巨人とロッテだったことも、運命のいたずらだったのか。「二年後に巨人に入れる保証はない。入るならいまだ、といったんだけどねえ。どうしても自信がないというもんで・・・」ロッテとの入団交渉が進むにつれて、伊藤スカウトの田中への未練はますますつのるだろう。金の卵を最初に発見した男のドラフト哀歌である。
巨人の伊藤芳スカウトは二年前、手を握り合って再会を約した一人の高校生との別れのシーンを思い浮かべている。北海道についでプロ野球選手の不毛の地といわれる山陰は鳥取の片田舎。「八頭高に下手のいいピッチャーがいる」という情報に、飛んでいった。投げて打って、夏の甲子園予選の八頭高は、その少年のワンマンチームだった。コントロールこそいま一歩だが、打者の手元でグッと浮き上がるタマの威力にひと目ぼれ。こっそり八頭高もうでがはじまった。他球団のスカウトは、だれも知らない。無競争ー。掘り出し物の金の卵にはなんとも身震いした記憶がある。「キミは、将来きっとエースになれる。どうだ、プロ野球に入らないか」しかし県予選が最高のヒノキ舞台だった少年に、自信はなかった。ましてONがいるあこがれの巨人。そのチームから自分が勧誘されるなんて、夢物語だ。「社会人に就職を決めてしまいました」二年たって自信がついたら、そのときはよろしくお願いします」ドラフト会議を数日後に控えたある日、三菱重工三原に少年は入社の手続きをとった。歳月は流れて五十年のドラフトー。一番クジを引き当てたロッテの濃人スカウト部長は胸を張っていう。「ワシ、このピッチャーが来年出てこなかったら腹を切るぞ」ことしイの一番に指名された田中由郎投手こそ、八頭高のあの少年だった。実力ナンバーワンの折り紙つき。十八日の本抽選で、最後の二枚の封筒を争ったのが巨人とロッテだったことも、運命のいたずらだったのか。「二年後に巨人に入れる保証はない。入るならいまだ、といったんだけどねえ。どうしても自信がないというもんで・・・」ロッテとの入団交渉が進むにつれて、伊藤スカウトの田中への未練はますますつのるだろう。金の卵を最初に発見した男のドラフト哀歌である。