プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

北尾一喜

2018-03-09 22:29:32 | 日記
1969年

南海・新山代表は四日午後、大阪・浪速区蔵前町の球団事務所でドラフト会議で第九位に指名した中村高・北尾一喜遊撃手(18)=1㍍74、66㌔、右投右打=と十位指名の鯵ヶ沢高・堀内三郎外野手(18)=1㍍79、71㌔、右投右打=の入団が内定したと発表した。北尾は内海スカウトが三日、高知県幡多郡西土佐村の実家をたずね、三度目の交渉で入団の内諾を得たもの。堀内は堀井スカウトが十一月二十八日に青森県西津軽郡深浦町の自宅をたずね、一回目の交渉で内定していた。
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関根浩史

2018-03-09 19:12:06 | 日記
1982年

社会人ナンバーワン投手で大洋にドラフト2位指名され、先ごろ入団を発表した日産自動車の関根浩史投手(21)=千葉工出身=は三十日、育ての親である森川和千葉工業高校野球部監督と入団のあいさつに本社を訪れ、土屋社長、神崎運動部長の激励を受けた。年明けの五日から長崎で行なわれる自主トレーニングに参加する同投手だが、落ち着いた口調で、忙しいそぶりも見せず「早くみんなにとけ込み、一軍で投げたい」と即戦力ルーキーらしく、抱負を語った。

関根投手は181㌢、75㌔の恵まれた体形で、時速140㌔といわれる速球が武器の右腕本格派投手。高校時代は、二年生の秋季県大会で完全試合を達成、三年の春にも本社が後援している千葉市内大会で二度目の完全試合をし完全男として注目された。卒業後、日産自動車入りしてメキメキ頭角をあらわし今年のドラフトで大洋に2位指名された。だが日産側の引き止めで交渉は難航したが、本人の「どうしてもプロへ行きたい」という強い希望に会社も折れ、二十四日に仮契約、二十五日に入団が発表された。「やっと決ってホッとした」と、関根投手は年内にカタがついてホッとした表情。「自分でカッとなりやすい性質なので、斉藤明さんのようなガッツのある投手になりたい」と、抱負を語った。応対に出た土屋秀雄本社社長が同投手の手を取って「千葉にスタジアムを作る計画のさ中でもあるので、本県出身のプロ野球選手として頑張って欲しい。ピンチに立ったら、恩師の森川監督の顔を思い浮かべて、切り抜けて下さい」と励まし、同投手も大きくうなずいた。希望だった在京セ・リーグに入団した同投手は「ノンプロと違ってプロは競争が激しい」と、ちょっぴり不安を隠さなかったが、「来年からは酒、タバコをやめ自分自身で節制を心がけて頑張る」と、社会人ナンバーワン投手にふさわしく、決意の言葉に自然と力がこもった。また、付き添った森川監督は、「ケガと健康だけには十分気をつけて欲しい」と教え子の行く末を気遣った。同投手は正月を自宅ですごしたあと三日夜から四日朝には長崎入りし五日から有望選手を集めて行なわれる自主トレーニングに参加する。そのあと十五日に合宿に入り十九日から合同自主トレに加わる予定。実家は千葉市仁戸178。
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国岡恵治

2018-03-09 18:43:45 | 日記
1969年

阪急・藤井スカウトは二十五日午後七時ドラフトの二位に指名した鴨島商・国岡恵治投手(17)の自宅(徳島県美馬郡脇町)をたずね本人、父親正隆さん(48)=農業、母親元さん(48)と二回目の入団交渉を行なった。前日につづいて藤井スカウトはプロ野球、阪急のチーム・カラーなどを説明、このあと初めて条件(契約金七百万円、年棒百六十万円=推定)を提示した。国岡側は「条件についてはゆっくり考えてみたい」と態度を保留したが、両親、本人とも阪急入りを希望しており、次回の交渉で条件が折り合えば、入団が決まりそう。
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田中由郎

2018-03-09 18:02:21 | 日記
1975年

濃人スカウト部長がドラフト一位の田中由郎投手(三菱重工三原)獲得に奔走、鳥取県八頭郡若桜町に田中の実父・敏博さん(48)をたずねて入団要請を行った。敏博さんは「会社とさえケンカ別れしなければ・・・」との意向で基本的にはプロ入りに賛成。意を強くした濃人部長は二十四日に再び三原へ引き返し、三菱・小橋平八郎監督と二度目の交渉に入る。
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渡部司

2018-03-09 18:00:29 | 日記
1969年

中日・法元スカウトは兵庫県相生市の石川島播磨重工をおとずれ、野球部・前田監督に第二位指名の渡部司投手(19)と交渉を始めるあいさつをした。前田監督は「渡部はまだ未成年だし、宮崎県高鍋市にいる両親と相談しなければ、気持ちは固まらないだろう。二、三日中に電話で話し合うので、そのときはっきりすると思う」と答えた。
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中沢泰司

2018-03-09 18:00:29 | 日記
1975年

阪神がドラフト四位で指名した高知商・中沢泰司外野手(18)=1㍍80、74㌔、右投右打=の入団が三日、決定した。渡辺スカウトは同日午後二時、南国市里改田の自宅を訪ね、本人、父親、末雄さん(47)母親・啓子さん(41)をまじえ二回目の入団交渉を行い、契約金八百万円、年棒百六十万円(いずれも推定)で入団が決まった。同選手は中央球界では無名だが、高知商では三番を打ち、俊足(百㍍11秒8)好打ちの持ち主。入団発表は二十五日、大阪・北区梅田の球団事務所で行われる。

高知商・中沢外野手「プロで自分の力をためしたかった。阪神でがんばりたい」
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福島秀喜

2018-03-09 17:59:40 | 日記
1975年

日本ハムがドラフト一位で指名した丹羽鉦電機・福島秀喜投手(19)=1㍍77、75㌔、右投右打=と三位の同社・中村武義投手(24)=1㍍75、70㌔、左投左打=の入団が決まった。瓜生編成部長は三十日午後二時、福岡市中央区薬院の新博多ホテルに両投手と同社の池田監督を招き「指名順位は違っても即戦力と考えている」と、いずれも契約金二千万円、年棒二百四十万円(いずれも推定)の条件を提示。両選手とも了解した。二人は近日中に愛知県尾張旭市の会社に退職届けを提出する。福島は博多商時代の四十八年、中日に四位で指名されたが「社会人で力をつけたい」と入団を断った。入社二年目の今シーズン頭角をあらわし、速くて重い球を武器に18勝4敗、防御率0.93と好成績を残した。注目されるのは被本塁打が一本もなく、203の三振を奪っている点だ。また中村は柳川商時代は一塁手兼救援投手だったが、ノンプロでは投手に専念。スリークォーターの左腕で鋭い変化球を得意としている。四十八年の都市対抗地区予選で一回戦(対東邦ガス)で14三振を取り、二回戦(対三菱自動車)では負けたが一安打ピッチングを演じエースとなった。今シーズンも福島と交代で登板、12勝6敗、防御率1.25と活躍している。しかし家庭の都合から今シーズンで退社し柳川市の実家を手伝うことになっていた。日本ハムは昨年も丹羽鉦電機から川原投手を獲得した。今年また二人を指名、同社では池田監督が「チーム編成に支障をきたす」と日本ハムに申し入れたことから、決定が遅れていた。瓜生部長は丹羽社長を説得、入団にこぎつけた。

瓜生編成部長「一つの会社から両エースを引き抜くのは心苦しいが、ウチとしても即戦力としてぜひ必要だったので無理を聞いてもらった。福島は力で押すタイプだし、中村は左からの変化球を得意とする全く違ったタイプでウチにない戦力だけに期待も大きい」
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堀内三郎

2018-03-09 17:58:40 | 日記
1969年

南海の新山代表はドラフト会議で指名した鯵ヶ沢高・堀内三郎外野手(18)との交渉は順調に進んでいると発表した。これは堀井スカウトが二十八日、青森県西津軽郡深津町の自宅に本人、父親・源一さん(53)=鉄道員=をたずね交渉していたもの。
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渋谷通

2018-03-09 17:57:39 | 日記
1969年

広島がドラフト二位で指名した平安・渋谷通一塁手(18)=1㍍80、73㌔、左投左打=は二十三日、郷里の酒田市住吉町の自宅に帰り、父親の正吉さん(48)=鉄道公安官=と相談し「プロ入りして、実力をためしたい」と話した。広島は、木庭スカウトが二十二日午時、平安高を訪れ、同校の野球部の風間部長、藤森監督に会い交渉の了解を取っている。渋谷は「親も反対はしないから早くプロで実力をためしたい」といい、正吉さんも、早く態度を決めたい、といっていることから、二十六日、木庭スカウトが酒田市入りするときに、了解点に達するものと思われる。

渋谷選手「二十六日まで山形にいて、両親と一緒に木庭さんのくるのを待つつもりです。プロへいきたい気持ちは十分あります。広島はきらいではありません」

父親・正吉氏「むすこがけさ(二十三日)帰ってきたので、これからよく相談しようと思っていますが、最終的には、本人の意思を尊重するようになると思います」
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但田裕介

2018-03-09 17:56:24 | 日記
1969年

阪神は二十二日午後四時、大阪・北区梅田町の阪神電鉄本社六階会議室でドラフト三位指名の堀越高・但田(たじた)裕介投手(18)=1㍍74、68㌔、左投左打=の入団を発表した。発表には母親麗子さん(41)と田辺・堀越高野球部監督が同席した。阪神のドラフトによる選択選手の入団三人目である。なお背番号は未定。但田はことしの選抜大会の準優勝投手。高校球界では三沢高・太田(近鉄入団)と並ぶ本格派投手として注目を集めていた。柔らかいからだを使って真っ向から投げおろす速球が武器で、オープン戦ながら二年生の秋には一試合18三振を奪ったこともある。この日午前、大阪入りした但田はすぐ西宮市甲子園の合宿虎風荘を見学。ピッチングのままの強気な性格らしく、発表の席でも元気いっぱいだった。

但田投手「いつかはプロでやりたかったので、大学へいって肩でもこわしたりしては指名してもらえないと思い、プロ入りに踏み切りました。それに甲子園で投げたかったし、阪神が好きだった。阪神のゲームはしばしばテレビで見ただけですが、江夏さんのように力で押していく投手になりたいと思います。三沢高の太田君についても、あっちはあっち、ぼくはぼくなりにやって、一日でも早く第一線で投げられるようにするだけです」

村山監督「はっきりした性格の子なので楽しみにしている。言葉どおり一日も早く第一線に出られるよう一生懸命やってほしい」
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