プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

望月彦男

2018-03-28 23:26:56 | 日記
1971年

「シーズン初めの練習といえばどこでも同じようなもの。プロに入ったからといって、これまでと特別に変わったことはしないし、気分のたかぶりもない」西鉄ライオンズ入団の契約第一号、望月彦男投手はベテランのような心境で平和台球場の自主トレーニングに参加している。山歩きが好きという二十九歳の静かなヒネ新人。金田(巨人OB)や梶本(阪急)のことを思えばまだ八年も、十年間もがんばれるが、こんなのは日本では例外の部に入る超人。「体力に限界はあっても、プレーの年齢には限界はないと思いますよ」入団発表のとき年齢のことを報道陣に質問されて、望月はこういった。ノンプロ時代の電気化学(静岡)では機械の計画に取り組む技術者であり、そのまま会社に残っておれば将来はなにひとつ不安はなかった。給料は八万円ぐらいもらっていたとか。ライオンズに指名されたからといって、三十三にも近づいてなぜ冒険に踏み切ったのか。野球狂かケタはずれの自信家か。あるいは金と名誉がほしかったのか。若い選手たちのなかにまじって黙々と練習している望月に、もう一度プロ入りの動機をたずねてみた。たしかに野球は「好き」といった。「あれがプロでやれるなら、オレだってと思ったことはある」そうだ。自信も持っている。しかしぬるま湯につかって、はい出せばカゼを引くし、それかといって決して居心地はよくないのに、いつまでも野球にすがりついて生きている、みじめな人間とはまるで正反対の性格。「ノンプロに残っておれば、からだに故障がないかぎりプレーを続けなければならない。コーチになり、監督にもなれば、いつまでたっても野球から足を洗えない。だから会社をやめた。あと何年投げられるかわからないが、全エネルギーを燃やしてぶつかってみたい」という。野球人生にふんぎりをつけるためにプロの世界を選び、あとで思い残すことのないように、好きな野球だけに打ち込もうというのだ。「金ですか、それだけがねらいなら、カケと同じようなもの」と実力以上の金をほしがる選手たちが耳にセンをしたいようなことをいう。どのていどの大物か、まだキャッチボールを始めた段階だから実力を計り知ることはできない。ノンプロ時代の防御率は1.59というから、打ちにくいタマはいくつか持っていそうだ。本人は「球種はストレート、シュート、カーブの三つだけ」といっているが、河村コーチは「それだけあれば十分。キャッチボールをしている姿から想像して、剛速球のタイプではないようだ。問題はコントロール。短いイニングを押えてくれるようになれば大助かりだ」と期待している。ライオンズにとっては貴重な左腕投手だ。乗替は成長がもたつき、まだたよりにならない。昨シーズンは左投手がいないばかりに、勝てる試合をいくつか落としたことがあった。河村コーチは「短いイニングでも」といっているが、望月は、ノンプロ時代は先発の完投型だった。「気が長いこと」を自分の長所にしている。自分の感情をコントロールできる大人である。この冷静さは、マウンド上で意外な力を発揮するかもしれない。
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斎藤輝美

2018-03-28 22:41:31 | 日記
1971年

西鉄がドラフト八位に指名した横浜高・斎藤輝美内野手(18)=175㌢、70㌔、右投げ右打ち=の入団が、二十二日内定した。この日、午後二時半、西鉄・渡辺スカウトが横浜市金沢区富岡の横浜高を訪れ、学校側と同校野球部の渡辺監督、斎藤選手と交渉あいさつを行なったが、席上、学校側、両親、本人とも、西鉄入団に異論がないことを確認した。正式決定は、今月下旬か来月はじめに、渡辺スカウトが横須賀市鴨居の斎藤選手宅を訪問、両親と条件面で話し合ったうえで契約することになっている。この日、横浜高を訪れた渡辺スカウトは、同校の黒土理事長、沼田校務主任、渡辺監督にドラフト指名のあいさつを行なった。学校側は「直接、斎藤家と話し合ってほしい。プロ入りするかどうかは、あくまで本人しだい」との態度をみせた。同席した斎藤選手は「すでに両親や兄たちとも相談したが、みんなぼくの気持ちを尊重するといってくれた。監督も行けといっている。まだ条件など聞いていないが、ぼく自身は指名された限り西鉄でやってみたい」と、はっきり意思表示した。同選手は一年からレギュラーとして出場。最初は投手だったが、一年の途中から遊撃に転向、三年では三塁を守り、主将をつとめた。打順も二年生から四番を打ち、三年間の通算打率は・350、本塁打は練習試合を含めて20本。渡辺監督は「高校生としては、バッティング面で水準以上のものをもっている。とくにリストがいい。うちからプロ入りした飯田(中日)米山(西鉄)より素質は上」と評価した。十九日、ドラフト会議で指名されたとき、本人は漁師をしている父親新蔵さん(50)を手伝って網打ちに出ていた。しかし、「なにか西鉄が指名してくれる気がしていた」となかば期待していたという。それが現実となって「うれしい」と素直に声をはずませた。

西鉄・渡辺スカウトの話 きょうは学校側に交渉するとあいさつをした。学校側は本人しだいといってくれた。両親とは条件面で話し合うが、家族、本人とも西鉄入りに固まっているようだ。
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井上幸信

2018-03-28 21:56:51 | 日記
1968年

大洋がドラフト会議で第三位に指名した尾道商の井上幸信投手(18)=183㌢、75㌔、右投げ右打ち=の入団が二十一日、正式に決まった。大洋の引地スカウトはこの日午前、広島県尾道市の井上宅で具体的条件を提示、スムーズに交渉が成立した。同投手は今春の甲子園大会の準優勝投手である。
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永射保

2018-03-28 21:34:46 | 日記
1971年

鹿児島県立指宿商高(指宿市)のエース永射保君(17)は、プロ野球の広島カープ入りが決まった。十五日午後五時半から鹿児島県川辺郡大浦町永田の自宅で、黒岩典雄指宿商高野球部長立ち会いで父親の明雄さん(51)不在のため、母親のマサエさん(47)と球団の藤井弘スカウトの間で話し合いが成立、契約書に調印した。永射投手は左投げ、左打ちでストレートの剛速球が武器で、ことしの夏ごろからプロ入りの話があった。身長172㌢、体重70㌔。

永射投手の話 サラリーマンの就職も内定していたが、思い切って入団を決意した。入団するからにはプロ意識に徹しがんばりたいので、私がいちばん身近に感じている広島カープを選んだ
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高橋明

2018-03-28 21:06:42 | 日記
1968年

西鉄ライオンズは九日午後三時福岡市天神の球団事務所で、高橋明外野手(18)=柳川商、180㌢、75㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。同選手は西鉄がドラフト会議で交渉権を得、城島スカウトが獲得交渉していたもの。高橋は宮崎県日南の出身。油津中から柳川商へ進んだが、中学時代すでに百㍍を11秒9で走る快足の持ち主だった。柳川商では、現西鉄コーチの鬼頭氏が監督。同氏が投手から外野手(おもに中堅)に転向させた。ベース一周14秒2と高校生ばなれのした脚力は外野手としてうってつけ。柳川商では四番を打ち、昨年は通算打率4割2分をマークした。鬼頭コーチの話では「リキもあり、ホームランも打てるバッターだ。かれを外野にまわしたのは、ほかに高校球界で通用する左投手がいたから。足がすばらしい」とのこと。高橋は「高校とプロでは投手の投げるタマが違うから、それをたしかめるまでは、目標も抱負もなんともいえません。ただ一生懸命やるだけ」とひかえめに語り、鶴丸常務や鬼頭コーチに「プロは根性しだいだ」と励まされて大きくうなずいていた。
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豊田憲司

2018-03-28 20:04:10 | 日記
1971年

西鉄がドラフト会議で五位に指名したいすゞ自動車・豊田憲司投手(23)の入団が、十三日内定した。この日上京した城島渉外課長と担当の渡辺スカウトが、午後七時から東京・築地の花房に豊田投手を招き、条件を提示(契約金五百万円、参稼報酬百五十万円=いずれも推定)して約一時間話し合った結果、同投手の内諾を得た。正式契約は、十三日がいすゞ野球部の納会のため、十五日に退部、退社届けを会社に出したあと、今月中に行なう。この夜、渡辺スカウトが豊田投手と交渉するのは二回目。一回目は単にあいさつ程度に終わっていた。しかし、指名される前から「とにかくプロでやってみたい。どこでもいい、指名してくれないかなあ」と期待していただけに、西鉄の指名にも「自分の気持ちはそのとき決まっていた」という。ただ、会社側はチームの大黒柱だけに、一応プロ入りに反対の立場をとり、渡辺スカウトにも面会をしばらく断る態度をみせた。本人は広島県呉市に住む父親・茂太郎さん、母親・静枝さんとも相談、両親からは「プロでやってみろ」と激励されて、会社側とも話し合い、プロ入りの了解をとりつけた。同投手は、呉港高から四十一年、芝工大に入学、一年の春からリーグ戦に登板、三年の秋にリーグ優勝をとげている。四十五年、いすゞ自動車に入り、春のスポ日大会で初の1勝をあげたが、一年目は出遅れて振るわなかった。二年目の今シーズンは、都市対抗予選で日本鋼管を完封、東芝にも完投勝ちするなど、敗戦は産別大会予選の1敗だけ。先発、リリーフで活躍した。スライダー、シュートと横の変化を武器としているが、スピードもあり「落ちるシュートをおぼえればすぐ使える」(渡辺スカウト)投手。芝工大時代、西鉄の片岡捕手、それにこんどのドラフトで西鉄が二位に指名している電電北海道・柳投手と同級生である。

豊田投手の話 西鉄に指名されてかえってよかったと思う。若いこれから強くなるチームだから、わたしもやりがいがある。ライオンズは小さいころ、黄金時代を見ただけだが、プロ野球はテレビなどで見ているし、なんとかうまくとけ込めばやれるという気持ちだ。とにかく、早くプロで通用するようがんばりたい。

渡辺スカウトの話 力で押す投手ではないが、落ちるシュートをおぼえれば即戦力となる投手。それにまだ伸びる余地を残しているし、きっと期待どおりやってくれるだろう。
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佐々木剛

2018-03-28 19:24:29 | 日記
1969年

産経は十七日午後零時五十分から小雨降るキャンプ地・佐伯球場で試合形式による初の紅白戦を行なった。紅軍は佐々木(三年生)が好投し、武上の第一号の本塁打が出、調子の出ない白軍の石岡を打ち込み6-1と快勝した。「天気が悪く十分な練習試合にならなかった。投手では佐々木、打者では武上、溜池、福富がよかったが、問題の守備面はまだまだ」と別所監督は慎重な構えだった。石岡、佐々木というエース級と新鋭が投げ合ったが、調子は佐々木の方がグンとよかった。神宮キャンプでカゼを引き三日ほど休んだ石岡は、それだけ出おくれた感じでスッキリとしたところがなかった。わずかに大きく落ちるカーブが、石岡の面目を保った程度。一回トップの武上をいきなり四球で歩かせたあと、丸山と三塁を争う新人溜池のうまいヒット、パワーのある久代の痛打をあびた。一昨年テスト生(釜石北高)で入団した佐々木は、スタートから飛ばした。一回を三者凡退に押えた。「調子はまあまあでした。ここという時、思い切って投げ込んだのがよかったのでしょう」と佐々木。三回、東条に左中間を破られ二塁打されたあと、失策と犠飛で1点取られ、五回にも倉島に右中間二塁打、このあと落ちついて東条を中飛、代打西園寺を外角スライダーで三振に打ち取った。「昨年投げたこともないカーブと、外角へのスライダー、この二つのボールを覚えた」(別所監督)という佐々木は、5イニング投げ3安打、無四球は立派。別所監督は「スピードも申しぶんない。オープン戦からどんどん使っていく」と早くも合格点をつけ、満足そうだった。
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