プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

東田正義

2018-03-26 23:14:36 | 日記
1967年

西鉄・城島チーフ・スカウトは、二日午後三時、伊勢市一志町の旅館吸霞園で獲得交渉を進めている三重交通・東田正義外野手(21)=1㍍81、78㌔、右投右打=と会い契約金一千万円、年棒百八十万円(推定)の条件を提示、東田はこれを了承して入団が決まった。また電電東海・後藤清投手(20)=1㍍80、60㌔、右投右打=も入団が決定しており、それぞれ十九日、福岡市内天神二丁目の球団事務所で契約する。新人の入団が決まったのは大分商・河原投手を含めこれで三人となった。東田はことしの都市対抗で西濃運輸の補強選手として出場、熊谷組戦では本塁打一本を含む四打数四安打、3打点。十一月の産業対抗でもやはり日本通運の補強選手として出場、十七打数五安打、5打点、一本塁打で準優勝に貢献、優秀選手に選ばれた。西鉄は選択会議で二位に指名、すぐ深見スカウトが交渉にのり出し他。だが、深見スカウトが広島にコーチで招かれたため交渉は一時中断していた。東田は二日朝、勤務先の三重交通松阪営業所に退社届けを出す予定だったが、所長が不在のため三日に延ばされた。会談が終わったあと、城島スカウトは奈良県桜井市大福の自宅に末義さん(47)=運送業経営=と敏子さん(44)の両親をたずねて了承を求め、さらに三日、東田とともに本社(三重県津市)に円子監督をはじめ、関係者にあいさつする。
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藤沢哲也

2018-03-26 22:13:04 | 日記
1971年

中日・山崎スカウトは、ドラフト会議で一位に指名した鶴崎工・藤沢哲也投手(18)=1㍍82、72㌔、左投左打=を獲得するため大分入り、同市鶴崎葛木の鶴崎工をたずねて森永野球部長、内川監督に交渉を始める前のあいさつを行なった。正午すぎ、同校をおとずれた山崎スカウトは藤沢が野球部を退部していることを確認、これから交渉を始めることを伝えた。森永部長は「本人と学校の将来のために法大に進学をすすめている」とプロ入りに反対の立場をとっているが、交渉することについては同意した。山崎スカウトはこのあと藤沢家(同市鶴崎)で父親・直氏(48)=セメント瓦製造販売業=母親・寿子さん(45)と交渉する予定だったが、不在のため会えなかった。次回交渉は二十七日に行なわれるが、本人がプロ入りの意思表示をし、家族も賛成していることから中日入りは確実とみられる。
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金子勝美

2018-03-26 21:58:03 | 日記
1971年

中日がドラフト会議で四位に指名した早大・金子勝美内野手(22)=1㍍75、74㌔、右投右打、大宮高出=の入団が二十五日、決まった。中日・中川代表、田村スカウトは同日午後五時半すぎから大宮市吉敷町の自宅に金子をたずね、父親・兼吉さん(61)母親・とみさん(58)をまじえ、約一時間入団交渉を行ない、中日側は規定最高額の契約金一千万円、年棒百八十万円(ともに推定)を提示、金子側も快諾した。なお正式契約は来月四日、名古屋市中区栄町の球団事務所で行なわれる。この日の話し合いは二十一日の第一回交渉で事情説明などがすんでいたためスムーズに進み、あっさり入団が決まった。金子は高校二年の春、三年の夏と二度甲子園に出場。四十二年のドラフト会議ではロッテに指名されている。早大では二年春から三塁手としてレギュラー、三年春には打率四割三分四厘で首位打者になっている。今秋から外野手にコンバートされているが、中日では内野手として使う予定。

中川代表「ウチは内野手が手薄なのでレギュラーになるチャンスは多いと思う。即戦力になってもらいたい」

金子内野手「一日も早く中日の水になれ、お役に立ちたい。今秋は成績が満足のいくものではなかったが、初心にかえり、全力を尽くしたい。内野手としてとってもらったのはうれしい」
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上水流洋

2018-03-26 20:14:35 | 日記
1971年

近鉄に五位で指名された鹿児島商・上水流(かみずる)洋投手(18)=1㍍76、76㌔、右投右打=は二十六日午後、鹿児島市川上町下花棚の自宅で、父親・慶志氏(61)、母親・キミさん(51)とともに伊香スカウトに会い、近鉄入りを表明した。条件面の交渉は二十七日に行なわれる。電話でのあいさつはしていたが近鉄は初交渉。その席で上水流が「住友金属に就職が決まっているが、プロで自分をためしてみたい」ことを伊香スカウトに伝えた。野村野球部長、稲富監督も「がんばってみろ」とプロ入りを勧めており、二十七日に行なわれる条件面の交渉で近鉄入りが決定しそう。上水流は昨年、夏の甲子園大会の一回戦で江津工の三沢(新日鉄広畑ー中日)と投げ合い0-2で敗れ、今季は甲子園に出なかったが通算25勝5敗。本格派の投手で各球団からマークされていた。

上水流投手「プロで自分をためしてみたい。直球とカーブしか投げていないが、一試合平均十個の三振をとってきた。直球なら高校クラスでは自信を持っている」
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望月充

2018-03-26 00:11:50 | 日記
1971年

阪神がドラフト会議で三位に指名していた大昭和富士・望月充外野手(23)=1㍍79、73㌔、右投右打=の入団が三十日、決定的となった。小鶴、櫟両スカウトは入団交渉のため同日午後五時半、富士市松岡の同選手宅を訪れ、父親・弥作さん(36)=建築業=をまじえた席上、規定最高額の契約金一千万円、年棒百八十万円を提示した。望月側は「これからよく話し合って決めたい」と即答をさけたが、望月はすでに大昭和富士・斎藤野球部長にプロ入りの了解をとっており、来年一月六日に予定されている次回の話し合いで「阪神入り」を表明するもよう。

望月選手「規定の最高額という条件でした。これから両親や会社関係の人たちとよく話し合ってから決めたいと思います。斎藤部長には一応、了解はとってあるし、ぼく自身、阪神はきらいなチームではない」
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