1967年
西鉄・城島チーフ・スカウトは、二日午後三時、伊勢市一志町の旅館吸霞園で獲得交渉を進めている三重交通・東田正義外野手(21)=1㍍81、78㌔、右投右打=と会い契約金一千万円、年棒百八十万円(推定)の条件を提示、東田はこれを了承して入団が決まった。また電電東海・後藤清投手(20)=1㍍80、60㌔、右投右打=も入団が決定しており、それぞれ十九日、福岡市内天神二丁目の球団事務所で契約する。新人の入団が決まったのは大分商・河原投手を含めこれで三人となった。東田はことしの都市対抗で西濃運輸の補強選手として出場、熊谷組戦では本塁打一本を含む四打数四安打、3打点。十一月の産業対抗でもやはり日本通運の補強選手として出場、十七打数五安打、5打点、一本塁打で準優勝に貢献、優秀選手に選ばれた。西鉄は選択会議で二位に指名、すぐ深見スカウトが交渉にのり出し他。だが、深見スカウトが広島にコーチで招かれたため交渉は一時中断していた。東田は二日朝、勤務先の三重交通松阪営業所に退社届けを出す予定だったが、所長が不在のため三日に延ばされた。会談が終わったあと、城島スカウトは奈良県桜井市大福の自宅に末義さん(47)=運送業経営=と敏子さん(44)の両親をたずねて了承を求め、さらに三日、東田とともに本社(三重県津市)に円子監督をはじめ、関係者にあいさつする。
西鉄・城島チーフ・スカウトは、二日午後三時、伊勢市一志町の旅館吸霞園で獲得交渉を進めている三重交通・東田正義外野手(21)=1㍍81、78㌔、右投右打=と会い契約金一千万円、年棒百八十万円(推定)の条件を提示、東田はこれを了承して入団が決まった。また電電東海・後藤清投手(20)=1㍍80、60㌔、右投右打=も入団が決定しており、それぞれ十九日、福岡市内天神二丁目の球団事務所で契約する。新人の入団が決まったのは大分商・河原投手を含めこれで三人となった。東田はことしの都市対抗で西濃運輸の補強選手として出場、熊谷組戦では本塁打一本を含む四打数四安打、3打点。十一月の産業対抗でもやはり日本通運の補強選手として出場、十七打数五安打、5打点、一本塁打で準優勝に貢献、優秀選手に選ばれた。西鉄は選択会議で二位に指名、すぐ深見スカウトが交渉にのり出し他。だが、深見スカウトが広島にコーチで招かれたため交渉は一時中断していた。東田は二日朝、勤務先の三重交通松阪営業所に退社届けを出す予定だったが、所長が不在のため三日に延ばされた。会談が終わったあと、城島スカウトは奈良県桜井市大福の自宅に末義さん(47)=運送業経営=と敏子さん(44)の両親をたずねて了承を求め、さらに三日、東田とともに本社(三重県津市)に円子監督をはじめ、関係者にあいさつする。