プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

大北敏博

2018-03-22 22:54:12 | 日記
1970年

巨人の沢田スカウトは、二十三日正午、ドラフト二位で指名した高松商・大北敏博投手(18)=1㍍77、73㌔、右投げ、右打ち=の交渉のため、香川県坂出市本町一丁目の自宅を訪れ、本人、父親重男さん(46)と入団交渉をした。大北投手はドラフト会議直後から進学の意思を表明、一回目の交渉でも巨人入りを拒否して進学の方針を変えなかった。沢田スカウトは、この日も「三塁手として育て、長島の後継者になってもらいたいと思っているので、なんとか入団してほしい」と約五時間にわたって説得した。しかし、大北側は沢田スカウトの熱心な勧誘にも、「進学の意思は変らない」と入団拒否の態度をつづけた。このため、沢田スカウトは具体的な条件を出すまでにはいたらず、二十八、九日ごろ再び訪問することを約束して帰った。なお、同スカウトは二十四日、高松商を訪れ、小林校長、久保野球部長に会い、大北のプロ入りを側面から説得してもらうよう要望する。
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東田正義

2018-03-22 22:28:27 | 日記
1967年

西鉄がドラフトで交渉権を獲得した三重交通の東田正義中堅手(21)の西鉄入りはほとんど確実になり、また日通浦和の竹之内雅史三塁手(21)も実現しそう。東田選手は補強選手として日本通運チームに合流、十日後楽園球場で行なわれた第十七回産業対抗野球の日産自動車×日本通運の決勝戦に参加、日通の四番と五番の主軸打者で活躍した。日産に惜敗した後、東田、竹之内両選手とも「プロ入りは監督に一任」と語ったが、円子・三重交通監督、因幡、日通監督とも同日「西鉄入りは間違いない」と表明したことから、ふたりの西鉄入りは確実である。香山中一年生から野球をはじめ、最初は投手、打力を生かして外野に転向したという東田選手は「西鉄入団」の質問に「プロでうまくやれるかどうか自信がないんですよ」と答えた。その口で「中西監督は好きなプロの人」とハッキリいう。「野球をやる以上、自分の技術をプロで生かしてみたいという気持ちはあります。だが、ぼくは外角球は本塁打でも打つ自信はあるんですが、内角球に弱い。内角打ちをマスターして打撃に自信をつけてからプロ入りしたい気もします。十二日帰って円子・三重交通監督に話をします。すべて監督さんにまかせます」試合では闘志をムキ出しにする東田選手はハキハキ質問に答える好青年だ。一任された円子監督の気持ちはどうか。十日午後、監督に代わって島中マネジャーは「会社の空気として、東田の西鉄入りを歓迎しています。円子さんも西鉄に行ってもいいんじゃないかといっていますし、東田は西鉄にゆきますよ」と話をした。奈良市御所の実家にいる両親は「本人の好きな道を選ばせます」俊足好打の東田の西鉄入りは間違いなさそう。
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望月彦男

2018-03-22 22:09:08 | 日記
1971年

西鉄ライオンズが来シーズンの秘密兵器として獲得した望月彦男投手(28)=1㍍77、74㌔、左投げ左打ち、東海一高ー電気化学=の入団発表が一日、福岡市天神二丁目の西鉄球団事務所で行なわれた。同選手は西鉄が左腕の即戦力要員としてひそかに目をつけ、ドラフト六位に指名して入団させた選手で、二十八歳のオールドタイマーだが、投手転向は社会人野球にはいってからで、これまで一度も肩を痛めたことがなく「使い減りしていない肩と、ストレート、カーブの切れのよさが魅力」(城島チーフスカウト)と、球団側は大いに期待している。西鉄の新人契約第一号になった望月投手は、ノンプロ時代の通算防御率が1.59。安定したピッチングの本格派投手で、電化時代の四十二年に西鉄が指名しようとしたこともあるが、電化の久保山監督(元西鉄)に頼まれて手を引いたといういきさつもある。出身は静岡県清水市で、山歩きが趣味という落ち着いた青年。「さっぱりした男で、まじめだから、若い選手のお手本になるだろう」と、発表に立ち会った古賀球団常務は明るい期待を寄せていた。

望月選手の話 プロはきびしいと思うが、がんばるつもりだ。体力の限界はあっても、プレーに年齢の限界はないと思うので、新人としてみんなに負けないようやるだけだ。三輪といっしょに投げたことがあるし、竹之内、東田ともノンプロ時代からの知り合いで、親しみやすい。
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佐藤政夫

2018-03-22 21:11:57 | 日記
1970年

電電東北・佐藤政夫投手(19)=1㍍76、68㌔、左投げ右打ち=と交渉を重ねている巨人は、十六日正午すぎ、前川スカウト担当総務、青木スカウトの二人が、宮城県仙台市原町の佐藤投手宅をたずね、佐藤に父親行雄氏(49)、母親とよ子さん(47)、岩部昭八電電東北野球部監督らをまじえて入団交渉を行なった。この結果、契約金五百万円、年棒百二十万円(ともに推定)で折り合いがつき、入団が内定した。正式契約は近日中に行なわれる。

佐藤政夫投手の話「巨人は好きな球団だし、どうせ野球をやるならプロで自分の力をためしたいと思っていた。力いっぱいがんばりたい」
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落合勤一

2018-03-22 20:30:32 | 日記
1965年

東映は来シーズンの新入団選手を五人予定。荒井健スカウトが交渉しているが十五日、このトップをきって落合勤一投手(18)=右投げ、右打ち、身長1㍍81、体重73㌔、中野実践高=の入団をきめた。落合は十五日午後五時三十分から、およそ三十分、東京・新宿西大久保の「第三松田ビル」で母親のフミさん(46)とともに荒井スカウトと最終的な話し合いをし、東映入団を了承した。契約金は推定三百万円。

東映フライヤーズは二十八日午後四時、東京・銀座西の東映本社で浜口春好三塁手(21)=電電近畿、1㍍74、80㌔、右投げ左打ち、落合勤一投手(18)=中野実践商、1㍍81、73㌔、右投げ右打ち=の両選手の入団を発表した。この日の発表は東映本社八階会議室に大川博オーナー、田沢八十彦代表、水原茂監督の首脳陣全員が列席するというものものしさ。二人にかける期待のほどがうかがわれた。浜口選手には元電電近畿・坂本辰馬コーチ、落合投手には母親フミさん(46)がつきそっていたが、二人ともさすがに緊張した顔つきだった。インタビューのあいまに東映は三遊間が弱いので、出場のチャンスがあると思うが・・・と質問がとんで、浜口選手がクチごもると、大川オーナーが「チミ、そんな質問するなヨ」と助け舟をだすなど、首脳陣は両選手の気持ちをほぐそうとつとめていた。浜口三塁手は徳島海南高から、ノンプロ電電近畿に入社、ファイトあふれるプレーが売り物の選手。ことしの都市対抗野球大会ではベストナインに選ばれている。昭和十九年一月十一日生まれ。落合投手は本格派選手として、東京都では指折りの投手といわれた。昭和二十二年一月二十一日生まれ。
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山下慶徳

2018-03-22 20:03:15 | 日記
1970年

ヤクルトがドラフトで第一位に指名したノンプロ河合楽器の山下慶徳外野手(23)=1㍍82、76㌔、右投げ右打ち、和歌山・海南高出=のプロ入りが決まった。五日午後二時、ヤクルト本社に稲垣正郁野球部長、久米孝一監督をたずね、本人をまじえて六度目の交渉、山下はプロ入りを了承した。契約条件は規定最高額の契約金一千万円、年棒百八十万円。

ことしのドラフト会議でヤクルトは、クリーンアップを打てる野手として山下にねらいをつけた。快足好打の中距離バッターで、守備も強肩とノンプロ球界では目立った存在になっていた。ヤクルトがとくに山下に目をつけたのはプロ向きの根性だ。激しい気性をむき出しにしてのプレーぶりを高く評価した。ドラフト会議後、小山スカウト部長が担当して十一月十八日に初交渉して以来積極的に働きかけ、和歌山県海草郡下津町の実家にも小山スカウト部長が足を運んだこともある。山下は、今シーズンの社会人野球のベストナインの外野手に選ばれており、その表彰式がすむ十七日ごろ上京して正式契約する。

「こどものころから、プロ野球選手になりたいと思っていました。だけど、いざプロにはいるかというせとぎわになったら、ものすごい不安に襲われました。不思議なものですね」プロ入りを決めた五日、山下は浜松市の河合楽器野球部合宿所でテレくさそうに笑った。ノンプロ球界の中心バッターとして、山下は今年度の社会人ベストナインの外野手に選ばれた。夏の都市対抗では一回戦で河合楽器はカネカに13-2で大敗した。春の選抜都市対抗でも準々決勝で富士鉄広畑に負けた。しかし山下はこの大会で12打数5安打、5打点をマークする働きをみせた。これが、山下がベストナインに選ばれる理由になった。同時にそれは、プロ野球のスカウトの目にとまるところになった。ヤクルトの小山スカウト部長は「社会人の好打者のうちで、山下を強く推したのはあの根性にほれたからだ」といい、片岡コーチも「変化球に強いバッティング、スイングの鋭さなどは主力打者になれる素質を持っている」と高く評価している。足も速く、ベース一周14秒そこそこというから、実力をフルに発揮すればクリーンアップの一角を占めることも可能だ。外人選手チャンスの穴をうめるというヤクルトの希望とピッタリだ。八人兄弟の六人目。父は山下が中学二年生のときになくなった。和歌山・海南高時代は本格派の速球投手だったが、河合楽器に入社してから野手に転向、久米コーチ(現監督)のマンツーマンの指導で主力打者に成長した。「ぼくの年齢や力で、これからプロでやっていくのに不安な気持ちがあるけど、男は度胸ですよ」きっぱりといい切るところが、小山スカウト部長をほれ込ませたのだろう。

山下慶徳外野手=打、守、走三拍子そろった好選手。和歌山・海南高時代には三十八年春、三十九年春、夏の三度、投手として甲子園に出場。四十年河合楽器に入社後、二年目に強打を生かし野手に転向した。父を中学二年のとき亡くし母親一人の手で八人兄妹の六番目で育てられシンは強い。ベース一周は最高14秒フラット、平均14秒5と大型選手としては足も速い。ことしの通算成績は打率3割5分、本塁打7、打点33。二十一年四月二十日生まれ。背番号10。
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