1970年
巨人の沢田スカウトは、二十三日正午、ドラフト二位で指名した高松商・大北敏博投手(18)=1㍍77、73㌔、右投げ、右打ち=の交渉のため、香川県坂出市本町一丁目の自宅を訪れ、本人、父親重男さん(46)と入団交渉をした。大北投手はドラフト会議直後から進学の意思を表明、一回目の交渉でも巨人入りを拒否して進学の方針を変えなかった。沢田スカウトは、この日も「三塁手として育て、長島の後継者になってもらいたいと思っているので、なんとか入団してほしい」と約五時間にわたって説得した。しかし、大北側は沢田スカウトの熱心な勧誘にも、「進学の意思は変らない」と入団拒否の態度をつづけた。このため、沢田スカウトは具体的な条件を出すまでにはいたらず、二十八、九日ごろ再び訪問することを約束して帰った。なお、同スカウトは二十四日、高松商を訪れ、小林校長、久保野球部長に会い、大北のプロ入りを側面から説得してもらうよう要望する。
巨人の沢田スカウトは、二十三日正午、ドラフト二位で指名した高松商・大北敏博投手(18)=1㍍77、73㌔、右投げ、右打ち=の交渉のため、香川県坂出市本町一丁目の自宅を訪れ、本人、父親重男さん(46)と入団交渉をした。大北投手はドラフト会議直後から進学の意思を表明、一回目の交渉でも巨人入りを拒否して進学の方針を変えなかった。沢田スカウトは、この日も「三塁手として育て、長島の後継者になってもらいたいと思っているので、なんとか入団してほしい」と約五時間にわたって説得した。しかし、大北側は沢田スカウトの熱心な勧誘にも、「進学の意思は変らない」と入団拒否の態度をつづけた。このため、沢田スカウトは具体的な条件を出すまでにはいたらず、二十八、九日ごろ再び訪問することを約束して帰った。なお、同スカウトは二十四日、高松商を訪れ、小林校長、久保野球部長に会い、大北のプロ入りを側面から説得してもらうよう要望する。