プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中村順二

2018-03-17 22:43:40 | 日記
1970年

ロッテは二十六日、午前十時半から東京・南千住の球団事務所で中村順二投手(21)=1㍍78、78㌔、右投げ右打ち、京都商、東芝=の入団を発表した。同投手はドラフト会議で第三位に指名された入団第一号選手。発表には永田オーナー、武田球団社長、濃人監督、青木チーフ・スカウトらが立ち会った。背番号は未定。同投手はノンプロ東芝時代に四年間で通算15勝をあげた本格派。重いストレートと変化球が武器で四十三年の明治百年祭記念ではオール神奈川の補強選手、四十五年の産別大会川崎予選では準決勝まで進出している。発表の席上、永田オーナーは「普通の人なら一生かかる金額をその気になれば十年そこそこでかせげるんだ。要は本人のこころがけ次第。大投手といわれた沢村投手(京都商出身、元巨人)の後輩だし、彼の域まで到達するようなすばらしいピッチャーになって欲しい」と激励。濃人監督も「スピードで押していくタイプというからウチのグラウンド(東京)にはぴったりだ。来年は最初から第一線で活躍してくれるように期待している」と肩をたたいていた。
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園田喜則

2018-03-17 21:37:36 | 日記
1966年

東京は十日、第一次新人選択会議で入団交渉権をにぎった大阪・北陽高の園田喜則内野手(18)の獲得に乗りだし、同日午後八時から土居スカウトが大阪市旭区中宮一の園田家を訪れ、同投手と両親の喜啓さん(50)とマサコさん(46)と会い約三時間にわたって第一回の交渉を持った。園田内野手は近大進学を強く希望しており、土居スカウトは球団の内容を説明しただけで、用意していた条件提示はしなかった。
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深沢修一

2018-03-17 21:01:46 | 日記
1966年

巨人の青木宥明スカウトは二十五日、佐々木金之助常務に甲府工、深沢修一外野手(18)の統一契約書を提出した。契約書は前日、深沢外野手が山梨県巨摩郡武川町の自宅で署名したもので、契約金は推定四百五十万円。巨人が入団を決定した新人としては伊野商・山下司遊撃手、宇部鴻城高・真鍋安政遊撃手につづいて三人目。同選手は身長1㍍80、体重74㌔、右投げ右打ち。青木スカウトの報告書によると100㍍を12秒4で走り、強肩強打の大型外野手という。球団本部での正式発表は、病気静養中の正力亨オーナーが元気になってから行なわれる。
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西田暢・坪井新三郎

2018-03-17 20:37:54 | 日記
1969年

中日ドラゴンズは二十四日午後三時から名古屋市中区栄の球団事務所で、ドラフト会議で第三位に指名した熊谷組の西田暢内野手(25)と、富士製鉄名古屋の坪井新三郎内野手(24)の正式入団を発表した。両選手とも背番号は未定。西田選手は、早大時代、三十九年秋、四十年秋、四十一年秋の三回、東京六大学野球で早大の優勝に貢献、四十年には、学生選抜チームの選手としてマニラに遠征しているほか、四十一年にベストナインに選ばれている。また、四十二年、熊谷組に入社してから、ベーブルース杯で打率5割をマーク、首位打者になっているほか、ことし夏の社会人野球では優秀選手に選ばれている。このほかベストナインにもなっている。四十二年の早大卒業時には、アトムズから指名されていたが、プロでやってゆく自信がないとして熊谷組に入社していた。1㍍73、70㌔、右投げ右打ち。
また坪井選手は、学生時代(浪商ーPL学園)に野球をやっていなかったというかわりダネ。高校卒業後、PL教団にはいり、野球をはじめ、ノンプロ、マツダオート名古屋ー富士製鉄名古屋と移っており富士鉄では二塁手で三番だった。1㍍68、63㌔、右投げ右打ち。

東方利重球団担当の話「西田君は俊敏という言葉がピッタリの即戦力となる選手だ。坪井君は無名だが、これからの野球を身につけることができると思う。二人とも中日のめざす機動力にピッタリの素質のある選手で期待できる」
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内藤久

2018-03-17 20:27:54 | 日記
1969年

西鉄ライオンズの国広直俊球団社長は二十二日、午後一時、東京・丸の内の「西鉄東京事務所」で、かねてから入団が決まっていた内藤久外野手(18)=山梨県日川高=の正式入団を発表した。同選手は父親の僖造(きぞう)さん(49)といっしょに事務所にきたが、野球は高校に入学してからはじめ、中学時代は陸上競技の万能選手だった。現在も百、二百㍍、砲丸投げなど七種目の県記録を保持している。左右両打ちの、いわゆるスイッチ・ヒッターで高校時代の通算打率は3割3分。長打力に欠けるうらみはあるが、ダイヤモンド一周14秒という俊足の持ち主だ。二十五日から平和台で行なわれる西鉄の秋季練習には参加する予定。身長1㍍77、体重78㌔、右投げ。

国広球団社長の話 「まっさきに注目したのは足が速いことだ。体格がいいし、これからの成長を楽しみにしている。背番号はまだ決めていない」

内藤選手の話「西鉄はファンが多いし監督さんが若いところに魅力を感じた。高倉さんのような外野手になりたいし、スイッチ・ヒッターなので巨人の柴田さんを手本にしたい。左右の打席では左のほうが打率はいいです」
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近藤重雄

2018-03-17 19:50:05 | 日記
1971年

ロッテ球団は三十日午後、東京・西久保の球団事務所で、ドラフト5位で指名した近藤重雄投手(29)=学法石川高出、川崎コロムビア、173㌢、76㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。同選手は石川郡浅川町の出身、学法石川高時代は本格派投手として脚光を浴び、県高校野球界でも三振奪取記録を残すなど期待されていた。「コロムビア」では下手投げの技巧派投手として活躍、三十九年の第三十五回都市対抗野球で久慈賞(敢闘賞)を獲得している。
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鳥谷元

2018-03-17 19:12:10 | 日記
1965年

福岡県・築上中部高のエース・鳥谷元(とりたに・はじめ)投手(18)=1㍍77、70㌔、右投げ、右打ち=の中日入団がこのほどきまった。柴田・池田両スカウトが福岡県の実家、中津を訪れ条件を提示していたが、十四日午後、名古屋市中区南外堀町のドラゴンズ球団事務所に電話で意思表示があったもの。同投手は速球派で、コントロールのよさは定評がある。これで中日のルーキー獲得は新宅、高岡、豊永についで四人目。
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星山晋徳

2018-03-17 19:07:08 | 日記
1965年

豊田、小淵、岡本、渡辺の四選手が契約を更改した。またこのほかに、星山が任意引退となった。星山はこの日友田社長を東京・有楽町の球団事務所に訪れ「名古屋市内で経営している喫茶店がいそがしい」という理由で退団を申し出た。球団側は、来シーズンの契約をする意思だったが、やむをえず任意引退としたもの。
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加藤英治

2018-03-17 18:50:48 | 日記
1966年

近鉄バファローズは一日、さきの第一次新人選択会議で第一位にランク交渉権を獲得したPL学園・加藤英治投手(18)=1㍍82、68㌔、右投げ右打ち=と第三回目の入団交渉を行なった。近鉄の加藤スカウトはまず午前十一時、大阪府富田林市のPL学園を訪れ、同校橋口勝教頭に、交渉を行なうむね了解を得たあと、加藤投手をともなって愛知県西春日井郡枇杷島町北大和町の加藤家を訪問、父親信秋さん(58)母親末子さん(54)おじの高市さん(50)をまじえて近鉄側の条件(推定契約金八百万円、参稼報酬年棒百八十万円)さらに退団後の保障など提示して話し合いを行なった。加藤家では条件、本人のプロ入りか、進学かの意思を再検討するということで、即答をさけ、二日午後一時から同家で加藤スカウトと再度話し合い、返事する。加藤家では本人の意思をいちばん尊重するーといっているが、加藤投手は「いまの気持ちとしては進学したい、大学を出てからでもプロ入りはおそくないと思う。それに教頭先生もあわてなくてもよいといっておられるしー。しかし、もし、自由契約になってからの保障や入団の条件などの点で家族が満足してくれればプロにはいってもよいと思っている」と話しており、きょう二日の交渉でほぼ進退がきまるものとみられる。

PL学園高・加藤英治投手(18)=1㍍82、71㌔、右投げ右打ち=の近鉄入りが一日内定した。同日午後六時ごろ近鉄・加藤スカウトは愛知県西春日井郡西枇杷島北大和町の同投手の実家をおとずれ、本人、父親信秋さん(57)おじの高市さん(50)をまじえ四度目の交渉を行なった結果、前回提示の条件(推定=契約金六百万円、参稼報酬百二十万円)で折り合いがついた。正式契約は今月中ごろ同家で行なう予定。

加藤投手の話 「これでやっとおちつきました。まだプロといってもピンときませんが、やるからにはベストをつくしてがんばります」
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西田暢

2018-03-17 18:35:19 | 日記
1969年

中日がドラフト会議で三位に指名した熊谷組・西田暢(にしだ・とおる)内野手(25)=1㍍73、70㌔、右投げ右打ち、早大出=のプロ入りが決定した。中日の土屋球団総務は十八日午後一時半、東京・中野区上高田三丁目の西田宅を訪れ、父親理助さん(60)=野球評論家、法大出=母親、歳子さん(57)をまじえて四回目の入団交渉を行なった。その結果、会社側(熊谷組)でも同選手のプロ入りに異存はなく、条件(契約金九百万円、年棒百八十万円=推定)で了解点に達したため、西田選手の中日入りが決まった。なお、正式契約は二十四日、名古屋市栄町の球団事務所で行なわれる。
西田選手は、四十二年早大を卒業したとき、サンケイ(現アトムズ)にリストアップされたが、これを振りきって熊谷組に入社。早大時代から華麗な守備が注目されたが、打撃がいまひとつパッとしなかった。ところが、ことしは春の選抜、大阪大会、都市対抗、産別大会に出場、通算打率は3割2分4厘と、一段と打力がつき、社会人野球の本年のベストナインに選ばれた。
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泉嘉郎

2018-03-17 18:03:25 | 日記
1970年

南海・泉嘉郎投手(25)=1㍍76、77㌔、右投げ右打ち、菰野高出、七年目=は八日あさ、大阪・なんばの球団事務所に新山社長を訪ね、「これ以上野球をつづけても、一軍でやれる自信がないので退団させてほしい」と申し出た。新山社長はこれを了承、任意引退選手とすることを決めた。泉投手は昨年、皆川投手がケガで戦列をはなれたため、開幕投手に抜てきされた。「1勝もしていない開幕投手」と話題をよんだが、昨年は3勝にとどまり、ことしは1試合に登板1イニングを投げただけだった。
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広瀬宰

2018-03-17 17:58:31 | 日記
1968年

東京は十七日午後二時半、ドラフト第二位で指名した農大・広瀬宰遊撃手(22)=1㍍77、70㌔、右投右打、大分豊南高出=と大分県佐伯市勝尾にある広瀬の実家で正式契約した。契約には石川スカウト、広瀬の父親肇さん(61)=広瀬商事社長=母親君子さん(51)長兄精一郎さん(33)農大・河瀬監督らが立ち会った。契約金七百万円、年棒百七十万円(ともに推定)で、入団発表の期日は未定。

広瀬は農大で一番ないし三番を打ち「吉田(阪神)ばりのフィールディング」(青木チーフ・スカウト)の定評をもち、産経、中日からもマークされていた。
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塩谷治

2018-03-17 17:23:10 | 日記
1969年

東映は、かねてからドラフト外の新人交渉を進めていたが二十五日、三沢高・八重沢憲一遊撃手(18)=1㍍75、69㌔、右投げ右打ち=、山田高・塩谷治投手(18)=1㍍80、76㌔、右投げ右打ち=の二選手の獲得に成功した。瓜生スカウトは二十四日に青森入りし、二十五日午後二時、三沢市にあるホテル「向陽園」で八重沢と話し合い入団の運びとなった。また午後五時、青森市松原町の自宅に塩谷投手をたずね母親きんさんの立ち会いのもとに契約を完了した。なお二人の正式入団発表は来春早々の予定。
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中島節男

2018-03-17 17:09:22 | 日記
1966年

サンケイアトムズは、一日、富永格郎、谷口勝範両投手を自由契約、中島節男内野手を任意引退選手にすると発表した。中島は今シーズン途中から胸部疾患のため一軍を離れていたが、このほど横浜市鶴見区の矢橋整形外科医院で診察の結果、選手生活を断念することになった。
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池島和彦

2018-03-17 17:03:53 | 日記
1969年

沢田スカウトは午後三時すぎ、兵庫県神戸市須磨の明大・池島和彦投手(21)の実家たずね両親に交渉権を獲得したあいさつをした。

阪神は二十五日午後四時から大阪市北区梅田町の阪神電鉄本社六階会議室でドラフト第七位指名、三協精機の池島和彦投手(22)=大阪・上島高ー明大、1㍍81、74㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。池島投手は明大で星野仙(中日)とともに活躍した実績をもち、四年の春秋リーグではともに3勝をあげている。明大卒業の昨年は巨人が第八位に指名し、交渉権を得ていたが、放棄したためにノンプロ三協精機に入り、都市対抗で活躍している。きめダマは長身からの速球、シュートで右の本格派として将来性が期待されている。

池島和彦投手の話「出身が神戸のせいもあって阪神は好きなチームだった。一日も早く第一線で投げられるよう努力したい。来春は自主トレーニングから参加して早くチームのムードになじみたい」
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