プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

藤井信行

2018-03-21 21:48:46 | 日記
1969年

ロッテがドラフト会議で六番目に指名したノンプロ協和醗酵・藤井信行外野手(20)=1㍍82、79㌔、右投げ右打ち=の入団が十九日決まった。この日、午前十時、中村オーナー代理、青木チーフスカウト、中西スカウトが山口県防府市の協和醗酵本社を訪れ、会社側の了承をとった。そのあと青木、中西量スカウトが、徳山市の藤井宅を訪問。本人、両親もまじえて話し合い、条件的(契約金五百万円、年棒百五十万円=いずれも推定)に折り合って入団が決まったもの。
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佐藤正治

2018-03-21 21:28:04 | 日記
1969年

阪神は二十日午後四時から大阪市北区梅田町の阪神電鉄本社六階会議室で、ドラフト第五位指名の佐藤正治外野手(25)=名古屋商大付属ー専大ー河合楽器、1㍍72、75㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。佐藤の特徴はベース一周14秒5を誇る俊足で、ノンプロの河合楽器で昨年31、ことしは20の盗塁を記録している。

佐藤正治選手の話「阪神でプレーするのが夢だった。あるていど自信はもっているが、どのていどやれるかはやってみないとわからない。自分の特徴を生かしてがんばりたい」
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土屋紘

2018-03-21 21:16:24 | 日記
1967年

中日がトップで指名したのは十分考えた上でのことだ。プロで使えるという確信があったから指名したといえる。投手陣の強化をねらっている中日がマークした土屋とはどんな投手かー。土屋は今春駒大を卒業し、電電東京入りした本格派投手。駒大時代はすでに中日入りしている新宅捕手の三年後輩、伊藤久投手と同期だった。長野県佐久市臼田高出身。体力にもめぐまれている。特徴は手首の使い方がよく、一見外人ばりの投法。球質も重く、適当に荒れるため打ちにくい。得意のドロップは角度がある。小保方マネジャーの話によると「実戦向きの投手、オープン戦より公式戦に力を発揮するタイプだ。度胸もある」といっている。「中日がトップで指名してくださったことは驚きました。プロで自分の力をためしたいと思っています。監督とよく相談して結論を出します」土屋のハラは決まっているようだ。中日には先輩が二人いるから、大変心強いらしい。「平松がプロであれだけやっているから、プロ入りしたら負けたくない・・・。勉強することが、いっぱいあるでしょうが・・・・」地味な球歴だが、根性はしっかりしているようだ。
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藤原真

2018-03-21 21:05:29 | 日記
1967年

南海は十三日、ドラフト会議で交渉権を獲得した慶大・藤原真投手(22)と一回目の交渉をしたが、同投手は、すでに就職が内定している鐘紡を強く希望している。藤江清志渉外課長はこの日、午後二時四十五分羽田空港着の全日空機で大阪から上京、その足で藤原を下宿先(東京都千代田区富士見町二丁目)にたずねてあいさつしたあと、同四時すぎから東京都渋谷区神宮前の神宮橋旅館で約二時間話し合った。話し合いの内容は、藤原の現在の意思を確認したていどで、条件の提示や球団の説明などは行なわれなかった。前日(十二日)兵庫県西脇市南本町の実家と電話で身の振りかたについて相談している藤原も、藤江渉外課長に「プロは不安だ。ぶなんなノンプロを選びたい気持ちに変わりがない」ことをはっきり示したが、こんごの交渉には応ずる用意があることも伝えた。藤原はドラフト会議があったあと、関係者とじっくり将来の問題について話し合ってはおらず、そのため近日中に慶大・前田祐吉総監督の意見を求め、十五日には実家へ帰って父親一郎さん(55)兄信幸さん(30)とあらためてプロ入りするかどうかの結論を出す。南海と本格的交渉にはいるのでそのあとになり、藤江渉外課長は「最後まで誠意を持って話し合いたい。こんどは、家族の方もまじえて説得したい」といっていた。

藤原投手の話「現段階では九割がた鐘紡にいくつもりだ。両親もぼくにすべてを任せてくれているが、いま一度話し合うために十五日郷里の西脇(兵庫県)に帰る。その結果がどうなろうと、十六、七日に藤江さんとまたお会いするつもりだ。
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