プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

乗替寿好

2018-03-29 22:22:57 | 日記
1968年

西鉄ライオンズは二十八日午後、福岡市天神の同球団事務所で、乗替寿好投手(18)=若狭高、175㌢、74㌔、左投げ左打ち=の新入団を発表した。同投手はさきの新人選択会議で西鉄が二位に指名、城島スカウトが二十一日に内定にまでこぎつけていたもの。発表には仙吉さん(51)も立ち会った。新入団第一号の乗替投手は、さっそく二十九日から福岡市百道の雨天練習場で練習を開始する。

国広ライオンズ球団社長が、さしだしたユニホームとライオンズのマーク入り帽子を、乗替投手が胸にあてがうと、カメラのフラッシュがいっせいに光った。ライオンズ首脳が畑(元西鉄)井上(前西鉄ー巨人)いらいの左腕として期待する本格派投手。新入団第一号である。一瞬、その表情がこわばったが、甲子園出場三回、ことし国体優勝投手は、落ち着きをとりもどすのに、そうヒマはかからなかった。「小さいときからプロ野球にあこがれていました。野球は小学校六年からはじめています。ジカにプロ野球のゲームを見たことはないが、テレビではよく見ました。ええ、ライオンズのゲームも何度か見ています。西鉄に指名されたときは、それだけにうれしいと思った。内角のストレートが武器です。逃げないピッチングをしたいですね」つめえりの学生服がちぎれそうな乗替の胸囲は1㍍あるという。キリリとした顔も意志の強さをあわらすようだ。手はヤツデのように大きい。話しているうちに「あまり自信はありません」といっていたのが「国体の優勝で自信がついた」と変わった。発表に先立っては、城島渉外課長の案内で、ホームグラウンドの平和台球場や、百道の雨天練習場を見学している。雨天練習場では、河原投手がピッチング練習の真っ最中。乗替はしばらくクギづけだった。「福岡にはだれひとり知り合いがいないので、その点がいくらか不安です」ちょっぴりと親元をはなれる十八歳の胸中をうちあけたが、国広球団社長が「人情にあつい土地がらなので、すぐになじむよ」といたわった。父親仙吉さんは「小さいときから病気ひとつしたことがない。子供のときは相当の腕白だった。きっとがんばってくれると信じている」と口をそえた。なお乗替投手の背番号は70番台の予定。乗替投手の入団発表につづいて、十二月二日に東尾投手(箕島高)三日に宇佐美投手(木更津中央)の正式発表が予定されており、三新人が顔をそろえる三日に、楠根オーナーにあいさつすることになっている。

乗替投手の話 もうプロでやる踏んぎりは完全につきました。あまり勉強が好きでないので、野球以外に生きる道はないという決意でやります。ピッチングだけでなく、バッティングも好きです。サク越えのホームランを打ったこともあります。

国広球団社長の話 春から乗替君の名前は聞いていた。国体の優勝でその評価は決定的になった。

乗替寿好投手の略歴 のりかえひさよし。昭和二十五年十一月十五日生まれ。若狭高一年のとき一塁を守り、二年生の春から投手に転向して、ことしの福井国体で3試合を1失点、24三振に押え優勝した。甲子園には四十二年の春夏と、ことしの春の三度出場している。現住所=福井県小浜市下竹原1-38。
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鳥谷元

2018-03-29 21:30:06 | 日記
1965年

中日ドラゴンズは十三日、名古屋市中区南外堀町の球団事務所で鳥谷元(とりや・はじめ)投手=十八歳、築上中部高、1㍍78、75㌔、右投げ、右打ち=と正式契約、入団を発表した。同投手はさきに入団した豊永とともに、九州高校球界で速球投手として知られ、昨年暮れ、柴田スカウトが福岡県豊前市の同投手宅を訪れ、中日入りの意思表示を得ていたもの。オーバーハンドからの速球を武器とする力投型で、足も速い。
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橋本勉

2018-03-29 19:57:14 | 日記
1969年

阪急は二十四日午後三時から大阪・梅田の球団事務所で、橋本勉投手(18)=報徳学園高。身長185㌢、体重84㌔、右投げ、左打ち=の入団を発表した。阪急の新人の入団は今季6人め。背番号は58。ドラフトに関係ない無名の選手だが、恵まれたからだに柔軟性もあり、将来性の豊かな本格派投手。控え投手だったので記録的なものはないが重い速球が持ち味で課題は下半身をきたえることといわれる。
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阪口忠昭

2018-03-29 19:20:45 | 日記
1972年

河村投手コーチが就任の弁で「食うか食われるかの場面では打者にボールをぶっつけろ」とタンカを切ったのを知って一番喜んだのがこの阪口だったらしい「ぼくの持ち味は、インコースに思い切ってほうるところにあったとですからね。よけいな人には当たってもしかたがなかでしょ。広瀬さん、門田さんに当て、住友さんの頭にぶっつけてしもうたけど、ぼくは悪かったと思うたことはなかですよ。わざとぶっつけにいったわけじゃなし、またわざと投げて、見事に当てるような技術はまだぼくにゃないですからね」「遠賀土手行きゃカリが鳴く・・・」度胸千両の川筋カタギ。直方学園のワンマン投手が二年間のプロ生活でも大切に育てつづけてきたのがそれだった。「プロ入りしたときゃ、どこにタマがゆくかわからんようなノーコン投手で、タマ走りものろのろしとったでしょ。だれかのマネして手っとり早く形を作ろうとしたこともあったですよ。だけど、やめました。ほかのもんと投げ方や球質が違うとみんなにいわれたから・・・。どうせやるならだれにもマネのでけんようなピッチャーになってみようと思うたですね。ハァ・・・」まだ星のない男のままである。「早く勝ちたい」とはいうが他の投手のように早く1勝したいとはいわない。つまり「まとめて勝ちたい」わけだ。昨シーズン後半の平和台のロッテ戦に二回から登板、六回まで無失点でとばし、代打起用で引っ込んだあと、先輩投手が打たれてフイになった試合があるが「あそこで代えられないような信頼をつかまにゃあ」と力んでみせる。ルーキー加藤初の目標(10勝)を知って「新人に負けては恥だ」とばかり「おれも10勝」と、やや背伸びした目標をかかげた。さて今秋、遠賀土手にガンが鳴くころ、阪口は何勝しているだろうか。
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植木一智

2018-03-29 18:53:46 | 日記
1968年

阪神タイガースは二十五日、ドラフト二位指名の竜谷大・植木一智投手(22)=身長178㌢、体重75㌔、左投げ左打ち=と三回めの交渉を行なった結果、ほぼ入団確定へこぎつけた。阪神の河西渉外課長は同日午後一時半、京都府綴喜郡西田辺町の植木宅を訪れ話し合った。同課長は、この日初めて条件(契約金百万円、年棒百二十万円=推定)を提示したが、前回まで「ノンプロかプロか、まだはっきり決めていない」と語っていた植木も「すでに就職が決まっている三菱重工神戸に阪神側がうまく話をつけてくれれば入団してもよい」と軟化、阪神入りの意思をほのめかした。このため、内定している就職先の了解がつきしだい、入団決定の運びとなりそうだ。

河西スカウトの話 きょうは条件面のことも一応話してみた。その結果、就職先と話しをつけてくれれば入団するという返事がもらえたので近いうちに三菱重工神戸へ行って了解を得たい。
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上薄淳一

2018-03-29 18:22:44 | 日記
1969年

西鉄ライオンズがドラフト会議で七位に指名した鹿児島県川内実高・花田敏郎投手(18)=178㌢、73㌔、右投げ、右打ち=と、同九位指名の同校上薄淳一内野手(18)=181㌢、70㌔、右投げ、右打ち=の西鉄入りが正式に決定。ライオンズ城島スカウトは十一、十二日の二日間にわたり、鹿児島県川内市の上薄、花田両選手宅に出向き入団交渉した。上薄選手=市内東開門町=は父親淳美さん(46)が大の西鉄ファンでスムーズにライオンズ入りが決定。花田選手は住友金属への入社が内定していたので態度を決めかねていたが、十二日朝、西鉄入りに踏みきり、ただちに契約をかわした。両選手は二十日過ぎ来福、福岡市球団事務所で入団発表を行なう。
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