1968年
西鉄ライオンズは二十八日午後、福岡市天神の同球団事務所で、乗替寿好投手(18)=若狭高、175㌢、74㌔、左投げ左打ち=の新入団を発表した。同投手はさきの新人選択会議で西鉄が二位に指名、城島スカウトが二十一日に内定にまでこぎつけていたもの。発表には仙吉さん(51)も立ち会った。新入団第一号の乗替投手は、さっそく二十九日から福岡市百道の雨天練習場で練習を開始する。
国広ライオンズ球団社長が、さしだしたユニホームとライオンズのマーク入り帽子を、乗替投手が胸にあてがうと、カメラのフラッシュがいっせいに光った。ライオンズ首脳が畑(元西鉄)井上(前西鉄ー巨人)いらいの左腕として期待する本格派投手。新入団第一号である。一瞬、その表情がこわばったが、甲子園出場三回、ことし国体優勝投手は、落ち着きをとりもどすのに、そうヒマはかからなかった。「小さいときからプロ野球にあこがれていました。野球は小学校六年からはじめています。ジカにプロ野球のゲームを見たことはないが、テレビではよく見ました。ええ、ライオンズのゲームも何度か見ています。西鉄に指名されたときは、それだけにうれしいと思った。内角のストレートが武器です。逃げないピッチングをしたいですね」つめえりの学生服がちぎれそうな乗替の胸囲は1㍍あるという。キリリとした顔も意志の強さをあわらすようだ。手はヤツデのように大きい。話しているうちに「あまり自信はありません」といっていたのが「国体の優勝で自信がついた」と変わった。発表に先立っては、城島渉外課長の案内で、ホームグラウンドの平和台球場や、百道の雨天練習場を見学している。雨天練習場では、河原投手がピッチング練習の真っ最中。乗替はしばらくクギづけだった。「福岡にはだれひとり知り合いがいないので、その点がいくらか不安です」ちょっぴりと親元をはなれる十八歳の胸中をうちあけたが、国広球団社長が「人情にあつい土地がらなので、すぐになじむよ」といたわった。父親仙吉さんは「小さいときから病気ひとつしたことがない。子供のときは相当の腕白だった。きっとがんばってくれると信じている」と口をそえた。なお乗替投手の背番号は70番台の予定。乗替投手の入団発表につづいて、十二月二日に東尾投手(箕島高)三日に宇佐美投手(木更津中央)の正式発表が予定されており、三新人が顔をそろえる三日に、楠根オーナーにあいさつすることになっている。
乗替投手の話 もうプロでやる踏んぎりは完全につきました。あまり勉強が好きでないので、野球以外に生きる道はないという決意でやります。ピッチングだけでなく、バッティングも好きです。サク越えのホームランを打ったこともあります。
国広球団社長の話 春から乗替君の名前は聞いていた。国体の優勝でその評価は決定的になった。
乗替寿好投手の略歴 のりかえひさよし。昭和二十五年十一月十五日生まれ。若狭高一年のとき一塁を守り、二年生の春から投手に転向して、ことしの福井国体で3試合を1失点、24三振に押え優勝した。甲子園には四十二年の春夏と、ことしの春の三度出場している。現住所=福井県小浜市下竹原1-38。
西鉄ライオンズは二十八日午後、福岡市天神の同球団事務所で、乗替寿好投手(18)=若狭高、175㌢、74㌔、左投げ左打ち=の新入団を発表した。同投手はさきの新人選択会議で西鉄が二位に指名、城島スカウトが二十一日に内定にまでこぎつけていたもの。発表には仙吉さん(51)も立ち会った。新入団第一号の乗替投手は、さっそく二十九日から福岡市百道の雨天練習場で練習を開始する。
国広ライオンズ球団社長が、さしだしたユニホームとライオンズのマーク入り帽子を、乗替投手が胸にあてがうと、カメラのフラッシュがいっせいに光った。ライオンズ首脳が畑(元西鉄)井上(前西鉄ー巨人)いらいの左腕として期待する本格派投手。新入団第一号である。一瞬、その表情がこわばったが、甲子園出場三回、ことし国体優勝投手は、落ち着きをとりもどすのに、そうヒマはかからなかった。「小さいときからプロ野球にあこがれていました。野球は小学校六年からはじめています。ジカにプロ野球のゲームを見たことはないが、テレビではよく見ました。ええ、ライオンズのゲームも何度か見ています。西鉄に指名されたときは、それだけにうれしいと思った。内角のストレートが武器です。逃げないピッチングをしたいですね」つめえりの学生服がちぎれそうな乗替の胸囲は1㍍あるという。キリリとした顔も意志の強さをあわらすようだ。手はヤツデのように大きい。話しているうちに「あまり自信はありません」といっていたのが「国体の優勝で自信がついた」と変わった。発表に先立っては、城島渉外課長の案内で、ホームグラウンドの平和台球場や、百道の雨天練習場を見学している。雨天練習場では、河原投手がピッチング練習の真っ最中。乗替はしばらくクギづけだった。「福岡にはだれひとり知り合いがいないので、その点がいくらか不安です」ちょっぴりと親元をはなれる十八歳の胸中をうちあけたが、国広球団社長が「人情にあつい土地がらなので、すぐになじむよ」といたわった。父親仙吉さんは「小さいときから病気ひとつしたことがない。子供のときは相当の腕白だった。きっとがんばってくれると信じている」と口をそえた。なお乗替投手の背番号は70番台の予定。乗替投手の入団発表につづいて、十二月二日に東尾投手(箕島高)三日に宇佐美投手(木更津中央)の正式発表が予定されており、三新人が顔をそろえる三日に、楠根オーナーにあいさつすることになっている。
乗替投手の話 もうプロでやる踏んぎりは完全につきました。あまり勉強が好きでないので、野球以外に生きる道はないという決意でやります。ピッチングだけでなく、バッティングも好きです。サク越えのホームランを打ったこともあります。
国広球団社長の話 春から乗替君の名前は聞いていた。国体の優勝でその評価は決定的になった。
乗替寿好投手の略歴 のりかえひさよし。昭和二十五年十一月十五日生まれ。若狭高一年のとき一塁を守り、二年生の春から投手に転向して、ことしの福井国体で3試合を1失点、24三振に押え優勝した。甲子園には四十二年の春夏と、ことしの春の三度出場している。現住所=福井県小浜市下竹原1-38。